幕間2 再会と侵食 第1話
01
天城沙都美は繁華街を駆け抜けていた。
数刻前に起きた魔獣災害、そして黒き鬼姫の忘れ形見の暴走の影響で、街のあちこちから火の手が上がっている。街の風景に残された人影は命を失くした亡骸ばかり。生きている者たちの姿はいずれも避難シェルターへ移動してしまったのだろう。
この寂れた街並み。
壊れゆく景色を目の当たりにした沙都美は、かつての大戦を思い出さずにはいられなかった。
「アラタ……ミコト……くそ、なにをやっているんだ、私は……ッ!」
沙都美はきつく唇を噛み締める。
アラタを傍に付けていればミコトの安全は保障される。その甘えた考えが最悪の事態を招いたのだ。
「カグヤ様から、託されていたのに……」
天城アラタ――かの黒き鬼姫の忘れ形見――は、この数年間で紛れもない人間として生きていた。
だからこそ信頼しすぎてしまった。彼がまだ子供であるということを失念していた。あまりに強すぎる圧倒的な力がいつまでも味方であると油断していた。
先代御子・カグヤに託されたミコトばかりを護ろうとして、彼の弱さを見てやることができなかった。
その結果がこれならば――やはりあのとき怪物は殺しておくべきだった、と考えて沙都美は自己嫌悪に陥る。
(そうじゃないだろ……これは、私が招いた私の責任だろうが……)
そのときだった。
沙都美の聴覚に甲高い獣の遠吠えが叩きつけられる。
「チッ、対魔機動隊が取りこぼした残党か」
眼前に現れた手負いの狼。
それは、沙都美の姿を認識すると一瞬怯えたように動きを止めて、それから憎しみを込めた勢いで飛び掛かった。
「邪魔をするな、お前に構っている暇は無いんだよ、こっちは!」
沙都美は掌に収束させた霊子の渦を狼の顔面に打ち放った。
大きく吹き飛んだ狼は地面を転がって、それでもなお傷ついた体をふらふらと起こし、憎悪に滲んだ瞳を沙都美に向けてくる。
「……そういえば、あのときのアイツは、そんな目で私を見ていたっけな」
かつて、鴻上からの連絡を受けて、黒き鬼姫の忘れ形見を葬りに出向いたときを思い出した。
あのときミコトが割り込んでいなければ、沙都美は確実に天城アラタになる前の名もなき怪物をこの手で殺していただろう。だがミコトは怯える怪物の手を取って、そのあたたかな優しさで憎悪を包み込んで――そうして最悪の怪物に人間として生きる道を与えたのだ。
あれが正しいことだったのかはいまもわからない。
黒き鬼姫の忘れ形見を葬らず、その身柄を保護したことは、間違いだったかもしれない。
けれど。
あのときの、なにもかも包み込んでしまうミコトの姿は、いつかのカグヤの面影を沙都美に思い起こさせた。
「悪いな。私はあの子やカグヤ様のようにはできない不器用ものでな。霊子術式があれば苦しめず仕留めてやれたが、いまの私では一撃でうまく葬ってやれなかった」
だからもう一撃だけ我慢しろ、と。
沙都美は霊力を纏わせた右脚を大きく振り上げて、動くこともままならない手負いの魔獣に鉄槌を下した。
◇
閑散としたショッピングモール。
その噴水広場付近で倒れる人影を発見した沙都美は、その人影に引き寄せられるように足を進ませた。
血の海を床一面に広げながら、誰もいないショッピングモールに取り残された残骸は、あまりに痩せこけていて実に不健康そうなものだった。
――だからこそ、かつて同じ主に仕えた同僚の亡骸だと、すぐに気づいた。
「鴻上……おい、なにをやってる! なにが起こっているのか説明しろ、バカが!」
亡骸はなにも答えない。
ただ虚空を見つめて身動き一つ取らず固まっている。
「霊子術式は一体誰に奪われた? 封却書庫の鍵を持っているのは御子・サクヤとお前だけだ。お前が封却書庫から霊子術式を取り出したのか?」
それでも問い続けた。
御子室を追放され、しがない相談所の所長として過ごしてきた沙都美には、いま鴻上の身の周りでなにが起きているのかさえ知り得ない。
だから、より状況を把握するためには、彼の言葉が必要だった。
いつだって、戦うのは沙都美で、考えるのは鴻上で、そんな二人を導くのがカグヤだった。
「なあ、教えてくれよ、鴻上……相変わらず口下手で、わかりづらいんだよお前は……」
沙都美は手近にあった柱をきつく閉じた拳で殴りつけた。
なにも知らず、なにも理解せず、こうして取り残されている自分が腹立たしくてしょうがない。
「ミコトは……あの子はどうしたんだ、答えろ!? 私は、あの子を護らなくちゃいけないんだよ、おい!」
やはり答えは返らない。
嫌な静寂に満たされた空間には、ただひたすら沙都美の声だけが響いた。
「アラタが鬼の力を暴走させたこと、ミコトの身に危険が迫っていること」
手が血に濡れることも厭わず沙都美は胸倉に掴みかかって、その動かなくなった鴻上の亡骸を無理やり起こした。
「それを私に報せたのはお前だろうが!」
そのとき淡い霊子の燐光が沙都美と鴻上を包み込んだ。
その光は一つになるように収束して塊となり、やがて鴻上の亡骸へと吸い込まれていく。
「……これは、なにが起きて?」
わけもわからず沙都美は鴻上の亡骸を手放して、その不気味にも思える光から逃げるように一歩後退した。
ぴくり、と亡骸の指先が僅かに動きを見せた。