第三章 崩壊のとき 第12話
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ショッピングモールからはすっかり人の気配が消えていた。
どうにかこうにか避難誘導をこなしたミコトは、いまだに警報が鳴り響いている店内をたった一人駆け回っている。どこかに逃げ遅れた人がいないか、最終確認をしているのだった。
ひたすら腕を振って、懸命に足を動かして――通路の先にゆらりと佇む人影を見つけた。
「あ、あの! はやく避難してください!」
息も切れ切れに声を投げかけると、そこにいた男は鷹揚と首を横に振った。
「その必要はありません。もう街を襲っていた魔獣はすべて退治されちゃいましたから」
「え、っと……」
ミコトはそう言われてから気付いた。
目の前にいる不健康なほど痩せている男。彼が着ている衣服はどこか対魔機動隊の制服と似ている。対魔機動隊の制服が紺色なのに対して、こちらは穢れのないような白色だった。群青のローブを羽織っているものだから一目で制服とわからなかったのだ。
たしか、極東統合政府・御子室近衛隊の制服、だっただろうか?
ということはつまり、
「あ、もしかして、救助に来てくださったんですか?」
「ふむ、まあ、そんなところ……ですかね? ええと、天城ミコトさんでしたか? これから私と一緒に来てもらえますか?」
「は、はい……」
なんて不甲斐ない。
避難誘導をしていた自分が救助されるなんて、とミコトは苦笑して男が差し出した手を取ろうとした。
しかし。
「え……?」
「が、は……っ」
男の腹部から、ギラリと凶悪に照明を反射する刃が、突き出していた。
弾けた血液がミコトの頬を掠める。
「貴様、殺さずともよかった子供を殺したな」
刃の向こうから静かで冷え切ったような声がした。
「ぐ、ふ……おやおや、野蛮な戦闘兵器のくせに……貴方でも子供には情が移りましたか?」
目の前の痩せた男が喀血しながら嘲るように言った。
ミコトにはなにがなんなのか、まるで理解が追いつかない。
「子供だろうが死ぬのは勝手だ。だがおかげで『最強』は俺の敵となるどころか、ただの腑抜けになってしまった。これは契約違反だ。貴様は俺が求めるべき敵を一人奪ったのだからな」
「おかしい、ですね? たしかに、鬼に目覚めたはずなんですが……っ!」
言いながら男は懐から分厚い書物を取り出した。
そして、
「ええーっと……ああ、傷を癒すための、霊子術式は……あらら、ダメ、ですね……これはちょっと複雑すぎて、いまから構築するのは難しい、か……」
「古の技法だか神秘だか知らんが、それだけの力を扱うには手順がいるのだろう? なら先手を取って終わらせてしまえば――」
「くく、事前に用意しておけば、手順を踏む必要は、ありませんがね……っ!」
痩せた男の足元――その影が不気味にうねりながら地面から離れていく。
そして、その影が刃を突き立てる青年に襲い掛かった。
青年はやむなく太刀を引き抜いて後退した。
すかさず影を斬り裂くが、しかし影はすぐに形を取り戻す。
だが構うことなく青年は刃を振るい続けた。
すると痩せた男ががくりとひざを折って、呼吸を荒げながらその場に突然ひれ伏した。
「フン。影が受けた『痛み』は本体にも反映されるのだろう?」
「ひ、ヒヒ……いや、ほんと困りましたよ……苦労して『霊子術式』なんて技法を蘇らせたのに……まったく、なんですかこの役に立たない力は……」
「役には立った。魔獣を使役して監視の目を張っていたおかげで、貴様のような無能でも黒き鬼姫の憑代を突き止めたられただろう?」
青年は倒れた男の頭を容赦なく蹴り飛ばした。
そして、痩せぎすの男が地に倒れ伏すより先――終の一閃が煌めいた。
肩口から腹部までバッサリと斬り裂かれる。
男の体からは噴水のように鮮血が溢れだした。
もはや男はなにか言葉にすることもなく意識が落ちた。
否、その肉体は間違いなく、死を迎えたのである。
「安心しろ。御子室近衛隊、三番隊隊長・鴻上光彰……貴様が求めていた闘争は問題なく俺が起こしてやるさ。だから、ここで大人しく死んでおけ、外道」
「あ、いや……」
目の前で人が死んだ。
目の前で人が殺された。
ミコトは、これがなにか悪い夢のようにしか思えなかったが、しかし震える体と血の気が引いていく感覚が、紛れもない現実を突き付けてくる。
ミコトは全身から力が抜けて、ふらふらとその場に尻餅をついた。
無機質な瞳をした青年が、そんな少女を静かに見下ろして、それから白い首筋に刃を突き付けた。
「一緒に来てもらうぞ、闘争の鍵よ」