第三章 崩壊のとき 第10話
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ウソだと思った。
桜香は加賀美の背中を追走しながら、天城アラタが市街地を破壊しているなど間違いと願い続けていた。生まれながらの『最強』という肩書は気に喰わないが、彼は決して悪い存在ではなかったはずだ。
むしろ、子供のようになにも知らず、無邪気に笑っているような男なのだ。
それが見境なく周囲に破壊を撒き散らしている。
近付く現場からは絶え間ない破砕音が広がり、その余波で市街地には火災も発生している。
それでも信じることができない。
できるわけがない。
たった数日とはいえ彼の側にいた。故にそんなことは断じてありえないと信じたい。
しかし。
その願いは虚しく崩れ去った。
路地裏の影から覗き見る大通りの先。
轟々と燃え上がる猛火に包まれた市街地の中心に『怪物』がいた。
深い闇に全身を覆われながら、その深紅の双眸に映り込んだなにもかもを壊さんとする、正真正銘の『怪物』がそこにはいたのだ。
もはや面影などどこにもない一匹にケモノだ。
けれど、それでも桜香にはわかる。あれは間違いなく――天城アラタだった。
「まさか一番頼りになってた戦力が、いまは倒すべき敵になるなんてな。……まったく、あれをどうにかしろってんだから沙都弥センパイもひどい」
そんな愚痴をこぼしながらも、加賀美の表情はがちがちに強張っていた。
「よしっ……各員、あれを取り囲むように配置につけ。相手が動く前に一斉に全力で攻撃。それでどうにか終わってくれれば――」
「加賀美指揮官。私に行かせてください」
桜香は毅然とした態度で口を挟んだ。
当然、加賀美は眉をしかめた。
「花織、お前ってやつはまだわからないのか! あれは人間一人で勝てるような相手じゃないんだ! いくらお前が天才だろうとなんだろうと、一人で飛び出すような真似は私が許さん!」
ケモノが反応せぬように息を潜めた怒声だった。
おかげで迫力なんてありはしない。だから桜香は背筋をまっすぐに伸ばして、暴れ回るアラタを見据えながら言う。
「私は天才なんかじゃありません。あの男にはまだ私の剣が届かないことも承知してます」
桜香は悔しげに拳を震わせながら、されど力強い眼差しで言葉を紡いだ。
「だからみなさんお願いします。もしも私が殺されそうになったときは援護してください。もし援護が間に合わないようなら、せめて私の死までの時間を使って攻撃の準備を進めてください」
「わからんヤツだな! いいか、たしかに命懸けだし、死ぬ危険性は大いにある! だが、だからと言って、自分から死にに行くような真似は――」
「死ぬつもりなんてありません」
桜香は凛とした声で言い返した。
「でも彼を殺すつもりだってない。だから私に任せてください。たった一つだけ私に策がありますから!」
「おい、待て、このバカ――」
答えを待たずに桜香は大通りに飛び出した。
そして、紅蓮の炎に包まれた市街地に佇んだ災禍が、ゆっくりと振り返る。
ソレは腕を大きく振り上げて、焼けたアスファルトを蹴り砕きながら、桜香へと迫って鉄槌のごとく腕を叩き付けた。
桜香の華奢な体が大きく宙を舞って、数メートル吹き飛んでから地面に落ちていく。
一連の流れを見守っていた加賀美が叫ぼうとして、
「くそ、総員――」
「待って。まだ桜香は『待て』と言ってる」
響がそれを止めた。
彼の視線の先では桜香がゆっくりと立ち上がるところだった。
おそらく、怪物の一撃で腕の骨がやられたはずだし、地面に叩きつけられた衝撃はいまだその体を蝕んでいるに違いない。
「…………」
「ぐ、うぅ……あ、アア……っ!」
立ち上がった桜香の姿に怪物が苦しく呻くような音を漏らした。彼はまだ生きている獲物にとどめを刺そうと腕を突き出したが――。
しかし、それは桜香の胸を穿つ寸前で止まっていた。
桜香は怪物の腕をそっと両手に包むこんで、それから優しく大きな体を抱きしめた。
物陰から見守る隊員たちが息を呑んだが、不思議なことに怪物は一切抵抗しなかった。
「大丈夫よ。アンタは一人なんかじゃないでしょう? アンタがそんなんじゃミコトが悲しむわよ」
「ぅ、ウウ……」
「ほら、思い出して。響と私とみんなで遊んだことを。それからミコトと過ごしたあたたかな時間を……」
泣いている赤ん坊に言い聞かせるように桜香は言葉を紡いだ。
怪物の体から徐々に力が抜けていくのがわかる。
「ぎ、ゥうあ……」
かつて一人の少女が怪物をなだめた。
そのとき彼女が怪物に向けたのは、殺意でも敵意でもなかった。
きっと。
ただひたすらに。
どこまでも純粋な――愛情だったはずだ。
だから桜香もそうする。
嘆き、悲しんで、暴れまわる。そんな手の掛かる子供をあやすようにして。
「く、ぁ……みこ、と……オレは……」
「ようやく、目が覚めた?」
いつしかアラタはあるべき姿に戻っていた。
彼はその瞳に映る市街地の荒れ果てた惨状と、眼前の傷ついた桜香の姿を交互に見た。
そして、すぐにそれが誰の仕業か気付いてしまった。
「オレは……オレは……お、れ……っ!」
「きゃっ!?」
桜香はいきなり突き飛ばされて尻餅をついた。
なにか文句を言ってやろうと顔を上げて、だがそこにはもう少年の姿などなかった。