第三章 崩壊のとき 第8話
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「ひっ……!?」
喉を引き攣らせたような声が耳に届く。
アラタがそちらに視線を向けると、双眸に涙を溢れさせながら尻餅をついている相原の姿があった。
そして彼の周り――全身を斬り刻まれ、あるいは刺し穿たれ、その場に血の海を広げるモノがあった。
その数は八。
小さな八つの塊。
男だったモノが五、女だったモノが三。
アラタには意味がわからなかった。
だから、光を喪失した瞳を揺らめかせながら、その事実を確かめるように倒れるモノの一つを抱き上げた。
たしかな重さがアラタの腕に訪れる。
しかし、それはあまりに重くて、冷たかった。
左目がくり抜かれている。
頬の半分は皮を剥がれて血肉を晒している。
残された右目から流れ落ちるのは、果たして涙なのか血なのかわからない。
もう原型なんて留めていない。
だが、ここまでされていても、この小さな体が誰なのかはわかった。
名前も知らないアラタの友人だ。
いつだって楽しそうに笑顔を浮かべながら、こんな怪物とだって一緒に遊んでくれた、どこまでも純真無垢な男の子だった。
生意気で口を開けば暴言ばかりの子供だったけれど、そうやって対等の存在としてアラタを見てくれるこの子共が好きだった。
ドクン、と。
鼓動が破裂するように跳ねる。
なにかがアラタの内側を這いずり回っている。
やがて、ころん、と抱きかかえた子供の頭が落ちた。
まるでボールのように転がって、部屋の隅でこつんと壁にぶつかり止まった。
綺麗に両断された首からは血の噴水が弾けて、アラタの全身を深紅に染め上げていく。
誰も生きてはいなかった。
この男の子といつもつるんでいた二人。
どうやらこの男の子と兄弟だったらしい二人。
アラタをやけにリアルなおままごとに誘ってくる女の子三人組。
――みんな。
――みんな、その尊い命を奪われていた。
まるで弄ぶように、あまりにも残酷で残忍な、猟奇的な殺され方で。
心臓が爆発しそうだった。
全身が痺れて、どれだけ喘いでも空気が吸えず、満たされない肺が業を煮やしたように熱くなる。
喰い破られる。
アラタの内側に巣食っているナニかが、最後の枷を壊して理性を呑み込んでいいく。
「ぐ、うぅ……が、ルゥアアアアアアア!!」
「ひぎいぃぃい!? ち、ちがう! お、おお、落ち着けよ、お前! 僕じゃない! これ、ここ、こんなっ、こんなこと僕にできるわけないだろォオ!」
アラタの慟哭と相原の叫びが重なった。
「ウゥアア、アアァァアア――――ッ‼」
「やめろって……なにする気だよ、お前! だから違う違う違う違う違う! 僕じゃないんだっ!? ひと、人殺しなんて、僕にはできない、ほん、本当だってぇえ! 頼む、違う、僕じゃない僕じゃない僕じゃないんだ! 僕はただこいつら連れてきただけで、お前を呼べって言われただけで……と、とにか、とにかく違うんだ、違うんだってばぁアア⁉」
頭を抱え、体を震えさせながら、相原は必死に弁明の言葉を並べる。
だがもう遅かった。
彼の視界に映ったアラタの姿は、どす黒い奔流に呑み込まれ、本来の面影などどこにもなかった。
濃密な闇のごとき霊力に包まれた少年は、唯一黒とは別の色を帯びたソレを相原に向けてきた。
この部屋を満たす血よりも赤い。
まるで宝石のように美しくも、しかしあまりにも禍々しい真っ赤な双眸は、それだけで相原を殺してしまう勢いだった。
理性なき怪物がそこにいた。
それは両手を地について、血肉に飢えた狼のように、標的と定めた相原へと疾駆した。
「ひぃいい⁉ やめ、やめろ、やめろって! 頼むぅ、頼むよォ……僕じゃない、僕じゃないんだ、僕じゃないんだよ!」
もはや怪物に成り果てたモノに言葉は通じない。
漆黒の鬼と化したソレが相原に飛び掛かる。
「僕じゃないって言ってるだろおおおおっ!?」
相原は絶叫を響かせながら、かろうじて怪物が突き出した必殺の腕を避けていた。
だがこの狭い部屋に逃げ場はない。
あるとすれば、
「クソ、クソ、クソ! なんだよ、なんで僕がこんな、こんな目に遭わなきゃいけないんだよ、クソォォォオオ‼」
相原はもう考えていられないと、とにかく必死に走ってベランダに出た。
そして、そのまま止まることもせず、錆びた鉄柵を飛び越えて落ちていく。
姿を消した相原を追いかけようとして、しかし怪物は標的を発見できず低い唸りを上げた。
次いで高らかな――泣き叫ぶような咆哮が世界を揺らした。