第三章 崩壊のとき 第6話
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遠ざかっていく背中。
桜香はそれを眺めながら自分がいまどうするべきかを考えていた。
アラタを護れとサクヤからは頼まれているが、ここで桜香が彼と一緒に行けば相原がなにをしでかすか予測できない。
これは明らかに罠だ。
アラタならばそう簡単に負けることなどない。
いや、負けるなんて到底ありえないが、それでも敵の手が読めないからには不安が広がる。
相手の思惑がまるでわからないせいで、どう動けばいいのか答えが一向に見つからない。
果てしないもどかしさに襲われていると、
「おりょ? 今度はボクだ」
また電子音が鳴っていた。
どうやら響の端末かららしく、同僚の『男の娘』はささっと相手も確かめずに応じた。
おそらく響もこの状況に焦りを覚えているのだろう。
そして、その焦りはまた別の側面を帯びて、響の表情に浮かんでいた。
桜香が耳を済まして集中すると、響の通信相手が誰かはすぐにわかった。
『帝都三番街にて魔獣の群れが確認された。せっかくの休暇中に悪いがいまからやれるな?』
「了解です。一応、ここに桜香……花織がいますけど、どうしますか指揮官殿?」
『花織がそこにいるのか? ……そうか、わかったよ。魔獣戦となれば戦力は多いに越したことはない」
しばしの逡巡の間を置いて。
通信端末の向こうで加賀美が声を大にした。
「花織、聞こえているな!』
「は、はい!」
突然、加賀美に怒鳴るように名を呼ばれ、反射的に返事をしながら桜香が跳び跳ねる。
そして、指揮官たる彼女から次の言葉が発せられるのを桜香は待った。
『頭は冷やせたか?』
「え、っと……」
『まあいい。とにかく勝手な行動と無茶だけはするな。我々は帝都と民を護る立場ではある。だが、そのために自分の命を投げ出すな」
加賀美にしては珍しい優しく諭すような声音だった。
「他の誰かがその行動を尊いと言っても、私はそんなのバカのやることだと吐き捨てる』
「…………」
桜香は上官の言葉を噛みしめる。
大型魔獣に一人で飛び込んで死にかかったこと。
アラタの絶対の一撃の威力を考慮せず、それを使わせようとしたこと。
いかに己が未熟だったか思い知らされる。
『敵を倒す力を求めるのはいい。強さを証明しようとするのもいい。お前のその生き方を否定なんてしないし、むしろその在り方こそがお前の強さだろう」
一拍の間を置いて彼女は次の言葉を紡ぐ。
「だが、いつでも、どんなときでも――なによりも己の命を最優先に考えろ!』
「……はい!」
桜香は力強く頷いた。
通信端末越しに語っていた加賀美が、ようやく桜香が待ち望んだ告げる。
『いまこのときを以て隊員・花織桜香の謹慎を解く! 至急、叶響と共に現場に急行せよ! 我々と合流しだい出現した魔獣を叩くぞ!』
「了解!」
そして通信が切れた。
桜香は一度響と視線を交わして頷き合った。
それからミコトに向き直る。
「話は聞いていたわね? 私たちは魔獣を倒しに行く。あいつ……アラタならきっと大丈夫だから――」
「うん、わかってる」
こくん、とミコトは小動物のように頷いて、強い意志の宿った瞳を返してきた。
「わたしはショッピングモールの人たちを避難誘導するよ!」
「え、いや、危険よ! すぐ避難警報が鳴るはずだからミコトはさっさと――」
「ううん、わたしだけなにもせずにはいられない」
ミコトの意思は固かった。
「警報が鳴ればみんなパニックで混乱が溢れ返るはず。そうなれば逆にもたついて避難が遅れるかもしれない。だから、そうならないように、わたしがちゃんと避難誘導する!」
真っ直ぐに桜香を見上げるミコトは一歩も退く気がなかった。
アラタが子供たちのために走っている。
桜香や響が、帝都とそこに住む人々を護るため、身を呈して戦っている。
みんな、それぞれやるべきことを為そうとしている。
それなのに、自分だけが安全に避難するなんてこと、絶対に嫌だった。
ミコトは戦うことはできない。
けれど、そんな自分にもやれることはあるはずだと、そう信じている。
その決意を無下になど誰もできなかった。
「わかった。ここの避難誘導が終わったら、ちゃんとミコトも逃げなさいよ!」
「うん!」
不安はある。
心配でもある。
けれど桜香は友を信じて前を向いた。
いまこのとき魔獣に襲われている人々がいる。
桜香の剣術は、周りの連中を見返すためだけに鍛えてきた無粋な剣に違いない。
それでもきっと――いまなら誰かを護るために振るえるはずだ。
「響、行くわよ!」
「あいあいさー!」
そして二人の戦士は戦場へと駆けていく。
一人この場に残ったミコトは大きく深呼吸をして、己の役目を全うすべく動き出す。