第三章 崩壊のとき 第5話
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「ふぅー、楽しかったー!」
噴水広場のベンチに腰掛けながら、ミコトはとても満足そうに息を吐いた。
足元には三つの買い物袋が並んでいる。
近所の子供たちへのプレゼント。響のコーディネイトで選んでもらった衣類たち。これから一週間を食い凌ぐための食材を詰め込んだものだ。
一方、桜香の手には一冊の本が入った小袋がぶら下がっている。
『良好な対人関係! ~剣で繋がる絆~』とかいう怪しい本だった。そんなものを頼ってしまうほどであれば、響が言っていたように桜香は友人が少ないのだろう。
「な、なに? なんでジロジロ見てんのよ? もしかしてアンタも読みたいの?」
「いや、べつにいいや、オレは……」
時刻は一六時を回っている。
もうほとんどショッピングモール内部を網羅しただろうか?
女性用下着売り場だけはアラタも突入する勇気が湧かなかったが(響はしれっと入っていった。そして女子二人とわいわいと下着選びしているのが遠目に見えた)、ゲームセンターではミコトから小銭を借りながら対戦ゲームやクレーンゲームに興じたし、アクセサリー売り場ではあまりにもバカ高い高級ネックレスやら腕時計やらに目を回していた。
たまにはこんなふうにミコトたちと外出するのも悪くない。
そんなことをアラタが思っていると、不意にピロピロと電子音が響いた。
「あれ? 私、謹慎中なんだけど……」
桜香が言いながら取り出したのは、対魔機動隊の隊員に支給される通信用端末機だった。
ようやく謹慎処分が終わるのかと期待を込めた眼差しだったが、そこに表示された相手の名前に桜香は眉間にしわを寄せた。
響がそれを覗き込んで、
「げ、モブAって相原のヤツじゃんか……」
げんなりとした表情を浮かべている。
非常に変わり者の響でさえも、相原という男のことは苦手なようだ。
アラタとしても、ミコトに手を出した男のことなど、第一印象からして好きになれない。
桜香はしばらく迷っていたようだったが、ふうっと一つ息を吐き出して通信に応じた。
「はい、こちら花織」
『やあ、天才剣士さん。つーかはやく出てくれない? いずれ御子室の近衛隊所属になる僕の機嫌をあんまり損ねないほうがいいと思うけどお?』
相変わらず他人を小馬鹿にするような口調だ。
ちっ、と耐え切れなかったのか、あるいはわざとか桜香は舌打ちをした。
「そちらこそ無駄な前置きはしなくて結構です。はやく用件を伝えたらどうなんです?」
『はあ~……まったく、せっかちな女だねえ、君ってヤツはさ。まあいいや、それじゃあお望み通りに用件を伝えよう。と言っても僕が用あるのは君じゃないんだけどね。そこにあの怪物クンがいるだろ?』
「……いえ、いませんが」
『おいおいウソはよくないねぇ。こっちは全部お見通しなんだぜ? 怪物クンとゴスロリ野郎とあのバカ女――みんなで仲良くショッピングモールでお楽しみ中かよ。いや、ほんと謹慎中って立ち場わかってる、キミ?』
この場にいる全員の背筋が震えて鳥肌が立った。
相原はこちらのことを監視していたらしい。いまも監視していると考えるべきか。
誰だって覗き見されて気分のいいものではない。
なにはともあれ、これ以上相原に嘘など通用しない、と考えるべきだろう。
アラタは桜香の手から通信端末機を奪い取る。
「おいテメェ、どっから見てんだ?」
『はあ? お前、バケモンのくせに誰に口利いてんの? つーか、どっから見てるか? そんなの僕が知るわけないし教えるつもりもないっての!』
「そうかよ。そんでテメェはオレになんの用だってんだ?」
『ああ、そうだった。ええーっと……いまから帝都の北外周区の一番デカい廃墟ビル……あー、そこの三階、一番奥の部屋まで来てくれるぅ?』
「断る、って言ったら?」
『断れないんじゃない? お前が昨日一緒に遊んでた無知なガキどもがここにいるんだ。なんなら声を聞かせてあげようか?』
通信端末機から微かな音が聞こえてきた。
それはたしかに子供たちの声で、おそらくは口を縛られているのだろう。うー、うー、と言葉にも叫びにもならない弱々しく呻くようなものだった。
「テ、メェ……人質ってことかクソ! なにが目的だ、この陰湿野郎!」
『きひ、ひゃっははは、ウケる! なーにマジ切れちゃってんの? お前、バケモンだろ。そんなバケモンと遊んでた危なっかしいガキどもを、帝都を護って戦う正義のヒーローが保護してやってるだけだって!』
「…………ッ」
奥歯が砕けそうなくらい噛みしめる。
きつく握られた拳からは、爪が皮膚を食い破ったか鮮血が垂れ落ちてきた。
『じゃ、そういうわけで、待ってるぜ? あー、もちろん、怪物クン一人で来いよ?』
「ガキどもに手ェ出してみろ! ただじゃおかねえぞ、この外道が!」
猛り狂うイノシシのように息を荒げながら、通信端末機を桜香に返してアラタが駆け出した。
その背に声が掛かる。
「アラタ!」
「…………」
一刻もはやく子供たちを助けたい。
しかし、それがミコトの声であるならば、アラタは一度足を止めて肩越しに振り返る。
ミコトは、なにを言うべきか迷ったように表情を揺らし、やがてたった一言だけ口にした。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
そして今度こそアラタは疾駆した。
曇天の空からはポツリと一粒の雨が降り始めていた。