幕間1 第二次百鬼大戦 第5話
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「こうがみ、少しよろしいでしょうか?」
「はい。私などでよければ、お話を伺いましょう」
がちゃり、と扉が開いて小さな影がそこにあった。
鴻上は慌てて電灯を点けて暗闇を振り払う。不安そうな表情のまま俯いている幼い少女を、ほとんど使ってもいないベッドに腰掛けさせる。
ちょこんと座った幼い少女を不安にさせぬようにと、鴻上は膝をついて同じ目線になって語り掛ける。
「どうしました、サクヤ様。もしや催してしまったのでしょうか?」
「こうがみ、そのようなことをレディに言うものではありませんし、そもそもちがいましゅ……す! わたくしはもう一人でもおてあらいに行けますから!」
「これは失礼しました。たしか、サクヤ様はいま……」
「八歳です! ふふん、もうなんでもできるお年頃、なんですよ!」
なぜか自慢げに子供らしく平坦な胸を張ったサクヤ。
それを微笑ましいとは思いながらも、子供特有の感性には乏しいため反応に困る。
そもそも、子供大人関わらず人付き合いを苦手とする鴻上からすれば、こういうとき気の利いた返しはできるはずもなかった。
一瞬、褒めるべきなのか? とも思ったが、結局はサクヤの言葉を受け流して話を進める。
「また侍女の目を盗んで部屋を抜け出したのですか? 今宵は私などに一体どのようなご用件でしょう?」
「それは……えっと、母上のお話を聞かせてほしくて……」
ほんのりと頬を朱色に染めながら、サクヤは恥ずかしそうに言った。
彼女はまだ八歳の子供でありながら、自分の立場を明瞭に理解しているが故に、普段は弱音など決して吐かない。
傍からすれば不気味なほど『御子』の肩書に相応しい幼子の姿。
それは、幼くして母を失って、そして妹を奪われ、唯一残された『御子』という立場に縋りながら成長してしまった結果だろう。
その齢不相応な少女がただ一人心を開いているのは、時折周囲の目から隠れて電話している沙都美だ。
そんな沙都美から、鴻上という人間が母の友人だった、という話を聞いてからは、こうして鴻上の部屋に訪れることも多くなった。
少しくらいは、自分にも懐いてくれている……、のだろうか? と考えて、すぐに鴻上はその考えを否定した。
――いや、それはない、か……単純に、孤独に引き籠っている私になら弱音を吐いても大丈夫、外の連中に言いふらすこともない、と判断しているだけだろう。
それでも、先代御子・カグヤの面影を持った少女に頼られるのであれば、鴻上としては悪い気などしなかった。
「もう二〇回以上は先代御子のお話をさせていただいている気がするのですが」
「む、むぅ……い、いいんです、いいんです! 何回だって聞きたいのです。たぶん、この御子室で一番母上のことをご理解していらっしゃるのは、こうがみだと思いますから……」
「天城ではいけないのですか? おそらく、私などより彼女のほうが、より先代御子のことを詳しく――」
「それが、侍女たちに電話しているところを見られてしまって、いま警戒されているところなのです」
「なるほど。彼女は御子室を追放された人間ですからね。そんな人間と次期御子が話していることがバレてしまえば、やれ一大事だやれ大問題だと面倒な連中に騒がれることでしょう」
懸命なご判断です、と鴻上が告げる。
サクヤはいま一度えっへんと胸を張って見せた。
基本的には子供とは思えぬほど聡明な御方なのだが、時折見せる年相応の子供らしさが不意に母親を想起させる。
「いいでしょう。それでは、僭越ながら私が先代御子のお話を、語り聞かせて差し上げましょう」
「ほんとう、ですか!? えへへ、ありがとうございます、こうがみ!」
本当に、心から嬉しそうに花開くような笑顔で、サクヤが明るく一礼した。
そんな表情を向けてくれることが、どうしようもなく嬉しくて、鴻上は彼女と接するこの瞬間だけは穏やかな笑みを無意識に浮かべてしまう。
――ああ、そうか。
この御子室で、常に気を張っているのは自分も彼女も同じなのだ、と鴻上は悟った。
そして、おそらくは肩の力を抜ける瞬間というのも、お互いにこの一時に限るのだろう。
「では、まずは……いつだって誰より前に突き進んで、はちゃめちゃに周囲を驚かせてくれる、そんな御子・カグヤの武勇伝を語りましょう」
「……はい!」
そうして御子・カグヤと、時折自分や沙都美の話を織り交ぜながら、二時間も鴻上は語り続けた。
いつしか、くぅくぅと可愛らしく寝息を立て始めたサクヤは、とても穏やかな表情で「ははうえ……」と呟いた。
どれだけ気丈に振る舞おうと、どれだけ聡明で大人びていようと、まだ八歳になったばかりの子供だ。心の奥底では母親の愛情や温もりを欲していて当然だろう。
鴻上は優しく滑らかな髪を撫でた。
「……御子・カグヤ。あなたが残した命と意志は確かにここに」