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IRREGULAR;HERO ~正義の怪物~  作者: 紅林ユウ
幕間 第二次百鬼大戦
21/61

幕間1 第二次百鬼大戦 第2話

    02


 黒き鬼姫が世界から姿を消して八ヶ月ほどの月日が流れた。

 鬼姫の気まぐれに反発した一部の上位個体『アヤカシ』たちと、それに準ずる魑魅魍魎たちの抵抗などはあったが、最大の戦力と八割以上の同胞たちを失った彼らの鎮圧にそう時間は掛からなかった。

 無事、人間と鬼との盟約――カグヤと鬼姫の個人的な戦い――によって第二次百鬼大戦は終わりを告げたのだ。

 いまだどこかに隠れ潜んで、人類に反抗する機を窺っている『アヤカシ』は一定数いるだろうが、少なくとも現状で大々的に行動を起こそうとする輩はもういないだろう。

 新たに発生した魔獣の駆除は、極東統合政府が戦争で活躍した兵たちを集めて設立した『対魔機動隊』の者たちが、その都度忙しく出動して対処してくれている。

 そのおかげで御子室所属の人間は戦後処理に専念することができていた。


「……アメノミハシラの建設は滞りなく、か」


 沙都美は、執務室の窓から見える白亜の壁を見つめながら、小さく呟いた。

 表向きは、戦争で散った者たちを弔うための慰霊碑、という名目で建設される巨大な塔。まだ完成度は半分ほどだが本来の目的――黒き鬼姫と魑魅魍魎がまだそこにいるという恐怖を人々に抱かせぬよう、彼の地に根を張った神域封印術式を秘匿する――は既に果たされている。

 終戦後、御子・カグヤが最初に決行した施策は特に問題も起きず、順調といったところだ。

 執務机に乱雑に置かれた資料から目を逸らし、沙都美は「んん~」と椅子の背に体を預けながら伸びをした。

 そうして、不得手なデスクワークで凝り固まった体を解していると、不意にコンコンと控えめに部屋の扉を叩く音が届いた。


「天城、少しいいか?」

「鴻上か……どうせ、女らしくなく可愛げのない部屋だ、遠慮することはないよ?」

「そういう問題ではない。勝手に入って、あとで訴えられても面倒だから、こうして一応の確認を取っているだけ――いや、そんなことはどうでもいい、入るぞ」


 ガチャリ、とノブを回して扉を開けた痩せぎすの男の姿は、すっかりやつれて骨男と言いたくなるほどだった。

 深い黒色をした瞳はどこか虚ろで、眼窩の下の縁取ったように黒ずんだ隈が、外見の不健康さを加速させている。


「お前、ひどい有様だぞ……ちゃんと寝てるのか? 飯、食ってるのか?」

「最低限の睡眠と食事は採っているつもりだ」


 そんなことより、と鴻上はずかずかと沙都美の前まで歩みを進めた。


「本当にこれでよかったと思うのか? 霊子術式――我々が魑魅魍魎と対等以上に戦うための知識を失ってしまえば、万が一にも黒き鬼姫が復活したとき為す術もなく人類は追いやられる! いまからでも遅くはない。霊子術式の記録を封却書庫から取り出すべきだ!」

「……霊子術式の生みの親として、少なからず思うところがあるのは、まあわかる。だが霊子術式を封却書庫に収めると決めたのは他でもない御子・カグヤだ」

「ああ、わかっている、わかっているさ! あの御方が、霊子術式という過ぎたる力が次は人間同士の争いを生むと考え、そうならぬよう人々の記憶から術式という技法を忘却させると決断したことは理解している! しかし私と同じように御子に反対する連中が大勢いたことはお前も知っているだろう!」

「…………」


 たしかに、終戦後の会議でカグヤが霊子術式を記録化し、その書物を封却書庫送りにすると提案したときは、多くの御子室関係者たちが反対意見を唱えていたのを憶えている。

 アメノミハシラ建設の会議がすんなり進んだのに対して、霊子術式の記録化、および封却書庫送りの会議に関しては難航を極めた。

 カグヤが三ヶ月に渡って説得し続けた末に、ようやく他の御子室関係者たちが折れて、それから御子室総出で術式の記録化作業に勤しんだのは記憶に新しい。


 ――封却書庫。


 それは、鴻上が術式という技術を完成させるより以前、初代御子・ムスビの時代から御子室が管理する神秘だ。

 特定の情報を正確に記した書物を製作し、それを封却書庫に収めることによって、その書物に記録した情報を世界から隔絶する。

 つまり、人々の記憶から消し去ることを可能とする、いわば事象改変システムだった。

 どこの誰が作ったのか、いつの時代の置き土産なのか、それはわからない。

 だが、人の目に触れるべきではない黒い歴史を秘匿するために作られたのだろう、という想定は沙都美にもできた。


「天城、お前とて第二次百鬼大戦で、どれだけ霊子術式に頼ってきた?」

「もう私の記憶も随分と曖昧なものになっている。自分がどんな術式を得意としていたかさえ思い出せないよ」

「ああ、そうだろうな……私もそうだ、私が完成させたものだというのに、簡易的な術式一つとして再現しきれない。深く霊子術式と関わってきた我々でもこの状態なのだ。術式と無縁な人間であれば『霊子術式』の存在そのものさえも忘れてしまったかもしれない」

「ならば流れに身を任せればいい。これからの時代には過ぎたる力など不要だと御子・カグヤは判断したんだよ。私はその判断を信じて従うだけさ」

「……本当にそれでいいのか、お前は?」


 真っ直ぐに見据えてくる不健康な瞳から逃れるように沙都美は瞼を伏せた。

 彼の気持ちは沙都美にも理解できるのだ。

 いままでずっと魑魅魍魎との戦いを続けてきた。その戦いで生き延びてこれたのは少なからず霊子術式のおかげでもある。

 どのような力だったか詳細な記憶は失われているが、その力が沙都美を救ってくれていたことは覚えている。故に沙都美とて不安を感じているのは否定できない。

 それでも、


「霊子術式がなくとも対魔機動隊はよくやっているよ。それに、極東統合政府が御子室に隠して推し進めていた『疑似霊子核搭載型機械化兵士計画』も、花織の爺様や若当主たちの手でどうにかこうにか解体に持ち込んだと報告が上がってきている」

「もう戦争のための力など求められていない、と?」


 そうだ、と沙都美は無言で頷きを返した。

 しかし、鴻上はいまだ納得できないと、そのやつれた表情を苦いものにしている。


「たしかに極東統合政府の非人道的な計画は解体されて当然だろう。たが、霊子術式は違う……あれは、そう、あれは戦争のためだけの力ではない……はず、なんだ。野蛮な争いのためにしか使えぬ力など私は……」

「…………」


 曖昧な記憶を探るように――己の胸の内を探るように――鴻上は痛む頭を抱えながら呟いていた。

 彼にとっては己の存在価値=霊子術式だった。

 実際、その研究の成果を認められて御子室に招かれ、その技術ゆえにカグヤの傍にいられた。少なくとも彼はそう思っている。

 彼にとって霊子術式の喪失は、自分たちが感じている以上に重いものなのだ、とようやく沙都美は察した。

 悲痛とも取れる彼の表情が、そう沙都美に悟らせた。


「そんな顔をしないでくれ。せめて今日くらいは笑っていたほうがいい。御子・カグヤを悲しませるつもりか?」

「……今日、なにかあったか? いや、すまない、部屋に籠っていたせいで時間の感覚が……」

「ったく、こんな大事な日にお前ってやつは……思い出せよ、今日は――」


 沙都美が肩を竦めて告げようとしたが、バタン! と部屋の扉が突撃する勢いで開かれた。

 驚いて沙都美と鴻上がそちらに視線を向ける。

 細身で少々あどけなさの残る顔立ちの少女が、「ぜぇ、はぁ……」と息を切らして肩を上下させていた。


「あ、天城、センパイ……っ!」

「む、ノックぐらいしたらどうなんだ、加賀美コウハイ?」

「も、申し訳ありません! ……ではなく、えっと、あの、その、だから!」

「ああ、わかったわかった。対魔機動隊への移籍おめでとう。副指揮官だそうじゃないか、おめでとう、うん」

「正直、これ降格ですよね……? 私、御子室で出世したかったんですけど……」

「いやぁ、纏まりのない新設部隊の副指揮官ってことは、加賀美ならバラバラの部隊を統制できると頼られてんのさ。あんまり穿った考え方してないで素直に喜んでおけ。御子室の下働きやってるより給金もいいんだろ?」

「御子室の宿舎は追い出されますがね……うぅ、センパイの言葉がすごく適当に感じるのですが……」


 いまにも泣きそうな顔でがっくり項垂れる加賀美。

 まるで学校の先輩後輩じみたやり取りをする二人。その光景に気後れしながら、おずおずと鴻上が咳払いした。


「ん、こほん……加賀美くん、それで本題は?」

「ハッ!? そうですよ、こんな話してる場合ではないんですってば、御子様がついに――」


 それは忙しない加賀美がすべて言い終えるより先だった。

 つんざくような甲高い泣き声が二つ。それは下手くそな合唱でも奏でるように高らかに轟いた。


「ああ、そうか、今日は……ああ、そうだったのか……」

「はは、随分と元気なことで。こりゃお転婆なお姫様によく似ていそうだ」

 

 この日、初めて鴻上の表情が緩んで、穏やかな笑みが浮かんだ。

 どんなに沈んでいたとしても微笑まずにはいられない。新しく生まれた命が――それも二つ――元気な産声を上げて「生まれてきたよ!」と告げているだ。

 それを祝福するのは、御子に忠誠を誓った臣下として、そして一人の人間として当然のことだろう。


「え、えーっと、はい、ついに御子様がご出産なされたよう、です」

「ああ、知っている」


 歯切れ悪く告げた加賀美の言葉を、沙都美はあっさりと一言で、鴻上は少し気色が良くなった表情で、切り捨てた。

 うぐぅ、と呻きながら「……では、失礼します」と部屋を去っていく加賀美の哀愁漂う背中など、歓喜に満たされた御子室宮廷の人間は誰も気に留めなかった。

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