第二章 刻まれた呪縛 第8話
08
不快な声音に視線を向けると二十歳前後の青年がいた。
対魔機動隊の制服を着込んだ彼の顔は整ってこそいるが、そこに張り付いた周囲を見下すような薄ら笑いが、自然と苛立ちを覚えさせる。
桜香の(一応は)先輩にあたる人物・相原だ。
少しは穏やかになった気持ちが一気に曇る。
正直、桜香はこの男が苦手……というより、はっきりと言えば嫌いだった。
傲慢な態度といい、他人を嘲るような表情といい、とにかく生理的に受け付けない男だ。
「なんですか? なにか私に御用ですか?」
「いやあ、用ってわけじゃないけどさ。警邏中に偶然バッタリと君の姿が見えたもんで、謹慎処分喰らっても元気にやってるかなあ~ってね」
ほら、とわざとらしく肩を竦めて彼は続ける。
「一応、僕の後輩なわけじゃん? 先輩として心配くらいしないとダメでしょ?」
「そうですか。御覧のとおり謹慎喰らった間抜けは元気にやっておりますので、さっさと警邏の任務に戻ったらどうですか」
「ぐっ……」
あからさまに相原の表情が引きつった。
だが、まだ自制が利いているようで、すぐに薄ら笑いを取り戻す。
「ああ、そうだ。そうだった。天才剣士さまに一つご報告があったんだった」
「報告? なんですか、加賀美指揮官からなにか?」
「加賀美ィ? べつにあんな年増は関係ないよ。これは僕からの報告だ」
つまり聞く必要もないことだった。
とにかく、一分一秒でもはやく、この男を視界から消し去りたい桜香はため息交じりに促す。
「ならはやく言ってください」
「あ、知りたい? やっぱ知りたいよねえ? 実はさ、僕ってばスカウトされたんだよ。どこかわかるかい? なんと御子室の近衛部隊だよ! はは、ようやく僕の時代きたって感じだよねえ、これ! ま、下っ端ではあるんだけどさ、君たち『対魔機動隊』とは格が違うんだよねえ、これが」
「…………」
にわかには信じ難いことだった。
御子室の近衛隊となれば、それこそ百戦錬磨の実力者で構成されている。
その多くは御子からの評価と、なにより信頼を得ている者たちだ。
そんな手練れの戦士たちのなかの誰かが、このような他人をいかに嘲笑するかしか考えていないような、残念極まる男なんぞの実力を欲しがっていると言うのだろうか?
ありえないと断言できるし、ただの見え透いた嘘だと思った。
が、しかし――。
「ま、そんなわけで、あのちっぽけな前線部隊からはしばらくしたらオサラバってわけ。いやぁ、ごめんよー? 君が謹慎している最中に僕は君の手の届かないところに行くけど、まあせいぜい前線部隊の雑務でこれからも汗水垂らして頑張ってくれたまえよ」
あっ、となにか言い忘れたとでも言いたげに、わざとらしく相原は続ける。
「もしかしたら、これが君とかわす最後の言葉になるのかもしれないねぇ、ははははっ!」
「…………」
真偽はともかく腹立たしいことこの上なかった。
奥歯を噛みしめて、拳をきつく握りしめながら、それでも桜香はあくまで冷静に相原の言葉を分析した。
(こいつは最悪のヤツだけど、そのくせウソは吐かない……つまり、意図はどうであれ、御子室の近衛部隊に属してる誰かがこいつに声を掛けたのは事実、か……)
「あん? なんだ、どうした? なんか取り込み中なのか?」
とアラタの声がした。
怪物たる少年はきょとんとした顔で、俯いて肩を震わせる桜香と、それを眺めて嘲笑を口許に浮かべる男を交互に見ている。
すると、
「あっれぇ? あー、そっか、どっかで見た顔だと思えば、醜い怪物クンじゃないか!」
「あ? いきなり、随分な物言いじゃねえか」
「あっはは、そんなにカッカするなよ。僕はお前みたいなヤツが嫌いでさ。いつもいつも僕たちの任務の邪魔してくれるよねえ? いやぁ、助けてるつもりかもしんないけどさ、ぶっちゃけ目障りなんだよ、お前」
「チッ……」
アラタは、数瞬睨みを利かせたが、それだけだった。
なぜなら反論の余地など無かったからだ。目の前の青年が対魔機動隊の人間であるのは服装からすぐに察せた。命懸けでこの帝都を魔獣の脅威から守護している彼らからすれば、なんの苦もなく魔獣を一撃粉砕するアラタの姿はたしかに目障りでもあるだろう。
それは彼以外の隊員たちも胸の内で抱いている思いのはずだ。
なにも言い返せず、悔しげにアラタが顔を伏せようとした。
そのとき、
「そんな言い方はあんまりじゃないですか!」
「はあ? なにお前?」
ミコトが庇うようにアラタと相原の間に割り込んだ。
それは考えたうえでの行動ではない。アラタのことをバカにされたと感じたミコトは、怒りにも似た感情に身を任せただけだ。
「アラタも必死に頑張っているんです! 少しでも傷つく人が減るように、その代わりに自分が傷ついて戦ってるんですよ!」
だから、とミコトは全身を震わせて、
「醜い怪物だとか、目障りだとか、いますぐ訂正してください!」
「ちっ、うっさいなあ! なに偉そうに僕に口利いてんの? お前バカなの? 部外者は引っ込んでろよ!」
「きゃ――っ!?」
「ミコト!」
少女の軽い体が石畳へと突き飛ばされた。
その拍子に、
「あっれぇ? なにかな、ソレ?」
簡素なシャツが大きくまくれあがって、ミコトの健康的な背中が露わになっていた。
丁度、背部と腰部の境目辺りだろうか? そこに卍の形に似たアザが浮かんでいる。
「大丈夫か、ミコト?」
「う、うん、大丈夫、へーきだよ……」
アラタは咄嗟にミコトを抱き起した。
これでもミコトだって女の子だ。生まれ持ってのアザとはいえ他人に見られるのは嫌だろう。
だいじょうぶだから、と少女はか細くアラタには告げるが、つい先ほどまでの威勢は消え入っていた。
「じろじろ見てんじゃねえよ、ヘンタイ野郎」
「ヘ――ッ!? ……はっ、まぁいいや。もう僕は行く。醜い怪物クンと浅はかなバカ女は仲良く地べたを這いずってなよ。どうせ君たちみたいな底辺がそこからのし上がることなんてないんだし?」
「アンタねえ!?」
さすがに我慢の限界に到達した桜香が掴みかかろうとするが、相原はそれをひょいっと避けて、
「ま、せいぜい頑張りなよ、天才剣士さまもね」
最後まで小馬鹿にするような口調で吐き捨てながら去っていく。
その一部始終を、一羽のカラスが木陰から眺めて、夕暮を知らせるように一度啼いた。