第二章 刻まれた呪縛 第4話
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これで話はまとまった、のだろうか?
アラタは怪物として頼られることは幾度としてあったが、こうも心配されるのは初めてのことで戸惑いを隠せない。終戦後に封じられた禁忌を盗むような輩なら、たしかにその力で黒き鬼姫の血を継ぐアラタを襲撃するかもしれないが――と、そこでアラタの脳裏に昨日のことが過ぎった。
外套を羽織り、大太刀『刹牙・清姫』を携えた、長身の軍服男の姿。
「オレは『霊子術式』なんてよくわかんねえけど、それって魔獣だったりなんだりを手下にできたりすんのか?」
そう。あの男はカラスのような魔獣の群れと、ほぼ同時に例の闘技場を襲撃したのだ。
さらに付け加えると、あのときカラスたちは観客席を襲うばかりで、アラタとあの男の戦いに乱入してくることはなかった。
魔獣――すなわち獣に近い姿形をした魑魅魍魎は、頭の中も獣と近しいレベルなのが通説だ。
ならば、なぜアラタやあの男にだけピンポイントで、まるで無関心だったのだろう。
数十羽に及ぶカラスの群れだったのだから、なかにはアラタやあの男に襲い掛かる個体もいていいはずだ。
アラタはずっと考えていた。
あの男がカラスたちを使役していたのではないかと。
「…………」
だが、サクヤからの返答は、すぐに返ってこなかった。
彼女は不意打ちを喰らったように目を見開いて沈黙している。
彼女の瞳が時折沙都弥のほうを窺って、けれどその沙都弥も頭を抱えたそうな表情だ。
なにか、まずいことを言ってしまったのだろうか?
なんとも言えない居心地の悪さをアラタが感じていると、そこでようやく――あるいは諦めたようにサクヤは開口した。
「それは理論上では不可能ではありません。第二次百鬼大戦中に魔獣を支配下に置いて統制していた存在は確認されています。いえ、魔獣だけでなく、ヒト型の上位個体である『アヤカシ』すらも――その存在は、ありとあらゆる魑魅魍魎を、戦争に参加したすべてを一手で操り、指揮していたのです」
ん? とサクヤの語りに脳みその筋肉がぴくりと反応した。
「……戦争に参加したすべてって……もう、それだけで第二次百鬼大戦は、人類側の勝ちじゃねえのか?」
「……そうですね。たしかに、そんな力を人類側が使えたのであれば、第二次百鬼大戦が数年に渡って続くことはなかったでしょう」
「えっと……だからつまり、どういうことだ……?」
アラタが改めて首を傾げると、鈍い奴だなと呆れの色を混ぜた声で沙都弥が言う。
「要するに、その絶対支配の『霊子術式』が使えたヤツなんて、人類側にはいないんだよ」
「??? ……じゃあ、なんだ、魑魅魍魎のほうにいたってことか? でも、テメェの仲間を支配下に置いてどうすんだよ?」
「そりゃ、勝手な行動をしない、自分の思うままに操れる――そんな最高の駒にするためだろうよ」
「おいおい、そいつはまた、ひでえ話だな」
つまり仲間を駒扱いというわけだ。
そんな性根の腐ったヤツはいずれ地獄に落ちたのだろう。アラタがこれまで視聴てきたヒーロー番組の怪人幹部のように。
「お前の母親だよ。それをやってたのは黒き鬼姫だ」
「は……? いや、まっ……」
一瞬、思考が止まりかけた。
いや、いま間違いなく僅かに停止した。
己が胸中で容赦なく貶めた相手が母親だなんて、そんなことを言われればアラタでなくともフリーズするだろう。
これまで一度だって母親の顔なんて見たことはないが、それなのに妙な罪悪感が胸に圧し掛かってくる。
これが、母親という存在なのか、とアラタは感じた。
「そうか……そういうことか、だから……」
桜香は頭の中でなにかが繋がったように呟いた。
アラタたちの視線を一身に受けた彼女は顔を上げて、それからサクヤと沙都弥を交互に窺いながらそれを口にする。
「第二次百鬼大戦の決め手は黒き鬼姫が姿を消したことだった。だけど、それっておかしいと、そう思っていました。いくら最凶にして最大の戦力の鬼姫がいなくなったからって、それだけで一気に魑魅魍魎の勢力が総崩れになるなんておかしいって」
だけど、と考え果てた疑問にようやく答えが出たような表情で、桜香は続ける。
「もしも、第二次百鬼大戦の真実が――鬼姫個人による戦いだったとしたら納得できます。鬼姫がすべての魑魅魍魎を統率して人類に牙を剥いた。でも、その鬼姫が消えたとなれば、魑魅魍魎の軍勢は為す術なく瓦解するしかない」
「まあ、そんなところ……でしょうか?」
桜香の語りに頷いたサクヤはちらりと沙都弥の見解を促した。
それを受けた沙都弥は、
「だいたいはあってる。だが鬼姫個人の戦いというのは少しばかり違う。魑魅魍魎どもは当初から鬼姫の支配下にあったわけじゃない」
「そう、なんですか?」
「ああ。最初は魑魅魍魎たちも自らの意思で人類に抗うと決めたのさ」
だが、と沙都弥は続ける。
「あいつらと人類側には決定的な違いがあった。人類側が一つの種族として最低限には統率が取れているのに対して、魑魅魍魎はあらゆる種族の混成で一切のまとまりがなかったのさ」
故に、
「当時の『最凶』だった鬼姫に自分たちの命の手綱を握らせたってわけだ。もっとも、それでもすべての魑魅魍魎がってわけじゃない。魑魅魍魎どもが揃いも揃って無理やりに鬼姫の支配下にされたのは戦争の終局になってから――」
「沙都弥」
サクヤが不自然なくらい唐突にその名を呼んだ。
む、と表情を引き締めた沙都弥が、次いでコホンと空咳して肩の力を抜いていく。
「ま、とりあえず、そんな感じだな」
「沙都弥さんって一体何者なんですか? まるで第二次百鬼大戦を見てきたような語りでしたけど……」
「ん、まあ、なんだ……一応、私だって戦争経験者だからな。いや、うん、君にしたって大戦中に既に生まれていたわけだから経験者になるんだろうが……まあ、年の功の違いさ、はは……!」
桜香の疑問に、スーツの女は誤魔化すように笑みを浮かべて、そう締めくくった。
これ以上の追及から逃れるように、
「それよりもだ。アラタはなんでまた急にこんなことを訊いてきたんだ?」
「え? ああ、いや……」
すっかり話の流れに取り残されていたアラタは、いきなり声を掛けられて慌てて本来の話題を思い出した。
「べつに第二次百鬼大戦こととか、オレの母親のこととか、聞くつもりはなかったんだ。ただ『霊子術式』ってヤツで魔獣を支配下にできるかどうか知りたかっただけで……」
「なんだ、そうか……まったく、だったらはやくそれを言わんか。余計なことを喋りまくった気分だ」
「そんなん言われたって……」
どこで割り込めばいいかもわからなかったし、もちろん桜香が興味深げにしているのを遮るのも悪いと思ったし――それに、なによりアラタ自身が、その話を最後まで聞いてみたかった。
たぶん、滅多に聞けない母親の話だったから。
「ま、ともかく、『霊子術式』で魔獣を支配下に置くことは不可能ではないよ。数や質にもよるが低級の魔獣だけなら人間でも支配下における可能性は十分にある」
その沙都弥の見解にサクヤが改めて肯定の頷きを示す。
「もちろん、かつての黒き鬼姫のように、上位個体である『アヤカシ』まで含めた数千、数万の軍勢を支配下に置く、となれば話は変わるでしょうけれど」
「そうだな。あのレベルの絶対支配――否、絶対統制となれば、それは当時の規格外中の規格外だった黒き鬼姫にしか不可能だろう。それだけ操るのにどれだけの霊力の消耗が必要かって話だ」
どこか懐かしむように苦笑する沙都弥。
アラタは「なるほどな」と適当に相槌を打ちながら、やはり例の男がその『霊子術式』の力を持っている可能性を考えずにはいられなかった。