第二章 刻まれた呪縛 第3話
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「はじめまして、天城アラタさん。そして、ここまで案内してくださり感謝しています、花織桜香さん」
「えと、どうも……」
「いえ、お役に立てたならよかったです……」
どうやら、彼女は既にこちらのことを知っているようだ。
沙都弥が事前にアラタたちの情報を与えていたのだろうか。
「私は……そうですね、サクヤと呼んでいただけると、嬉しいです」
なんとも奇妙な言い回しで名乗った令嬢・サクヤは、とても自然で流れるような所作で一礼してきた。
そのあまりに綺麗なお辞儀に、アラタと桜香は見惚れ、戸惑いながらも、頭を下げる。
深々と、きっかり三秒の間を経て、サクヤは面を上げた。
「それでは、さっそくなのですが、お二人に質問があります」
「え……?」
唐突に言われて固まっていると、それに構うことなくサクヤは切り出した。
「お二人は『霊子術式』という技法を知っていますか?」
「えっと……」
アラタが横目で桜香を見遣ると、彼女はおとがいに手を当てて考え込んだ。
「……霊力と四大の元素を結び、繋ぎ、一つのカタチとするための式、ですよね? 私たちが戦闘で使っている単純な霊力の収束や放出とは違う。それはまさしく古の技法――魔法とか、魔術とか、錬金術とか、かつてそう呼ばれていたもの……御爺様やお父様から話だけは聞いたことがあります」
「正解です。『霊子術式』とは人間の手では到底実現の不可能な奇跡――すなわち神秘を具現化させるための式です。その古の技法は第二次百鬼大戦中に人類の手に蘇りました。しかし、強すぎる力は争いの火種になる危険性があると、そう判断した御子室と極東統合政府は、終戦後すぐにそれらの技法を秘匿したのですが……」
ウンウンと相槌を打ちながら聞き入っている桜香だったが、その一方でアラタはまるで話についていけなかった。
そもそも、霊力の収束すらまともにできない怪物に、それよりも一層難しいことなどわかるわけがない。
だが、次いでサクヤが口にしたのは、アラタにも理解できることだった。
「その『霊子術式』の技法を記した書物の一部が盗まれたそうです」
「盗まれた……!? いや、だけど、そんなこと……」
声を荒げたのは桜香だった。
無理もない。サクヤの語った話によれば――否、世間一般的にも知られていることだが、『霊子術式』という禁忌は極東を統べる御子室の手で厳重に管理されていたはずだ。
しかし、それが終戦十五年の節目に、盗まれたという。
「ま、なんかよくわかんけぇど、盗みはよろしくねえな。ヒーローとしちゃ――」
「そう簡単な話ではありません。一部とはいえ『霊子術式』の技法が盗まれた。もしも犯人が神秘の力を悪用したなら魔獣と同じかそれ以上――国家レベルの脅威として我々に襲い掛かるでしょう」
厳しい声音だった。
いつしか当初のおしとやかさが消えて、サクヤは柳眉をキッと逆立てた真剣な眼差しを浮かべている。
それでようやくアラタは、いま自分たちがどれほど重大な会話を交わしているか、なんとなく理解できた。
だが、国家レベルの脅威、なんて言われても実感など湧いてこない。
ここは街外れでひっそりと、ごく稀に困っている人間の相談を聞いて、それを解消する『天城怪異相談所』だ。
民間の小さな相談所に持ち込んでくる相談にしては、サクヤのそれはあまりに壮大過ぎると思われる。
だいたい、そんな国家機密じみた事情を知っている、このサクヤという女は何者なのか?
アラタは訝しみながらも率直に訊ねる。
「つまり、ようは盗人探し出して、盗まれたモンを奪い返して来いって依頼なんだろ?」
「はい。そういうことになるのですが……しかし、それを強制するつもりはありません」
「あん? そりゃあ、依頼を受けるかどうかは沙都弥が判断することだが、オレとしちゃやらずに済むならやらねえぜ?」
小遣いも貰えないし、という言葉は寸でのところで喉に押し込んだ。
サクヤは一つ頷いて、
「奪われた『霊子術式』を取り返すのは、他ならぬ失態を起こした御子室の役目でしょう。私からの依頼は、これから警戒を怠らないでください、ということです。アラタさん――あなたは特に、その生まれや性質から狙われやすいことでしょうから」
「お、おう……まあ、オレはそう簡単にゃ負けねえから、へーきだけど……」
まるでこちらの身を案ずるようなサクヤの言葉に、どうにもアラタは調子が狂わされてしまった。
そもそも、彼女のソレは依頼と言うよりも、ただ危険を伝えに来ただけでしかない。
それから、とサクヤは桜香へと視線を移した。
「桜香さん。あなたにもお願いがあります。この件が解決するまで、どうかアラタさんの警護に就いてください」
「え、ええぇえっ!? いや、あの……私は一応、その、対魔機動隊の隊員でして、あんまり自由に動ける時間がないというか……」
「謹慎処分」
と沙都弥が静かに言い放った。
ぎくり、と桜香が緩やかだった肩を硬直させる。
「加賀美のヤツから聞いているよ。君は昨日の一件であの苦労人の指揮官様を怒らせた。そうして無期限の謹慎処分を言い渡されたんだってな?」
「はぅ……」
「自由な時間がないどころか、むしろ暇を持て余していると思うんだが?」
「…………」
ばつが悪そうに桜香は項垂れた。
しばらく静寂が続いて、やがてぽつりと消え入るほど小さな声が漏れる。
「……わかり、ました」
「ありがとうございます。あなたの――花織の剣でどうかアラタさんを護ってください」