29.『本条都九子』という少女 中編
※ラスト付近にいじめ描写があります。苦手な方ご注意ください
私に転機がおとずれたのは、中学入学後まもなくのことだ。
兄のお下がりで、ノートパソコンを貰ったのである。
私が中学、兄が高校に入学したとき、兄がデスクトップタイプの新しいパソコンを所望したのだ。
すでに自分専用のノートパソコンを持っていたはずなのに、「オンラインゲーム用に新しくしたい」とか「いまのノートではスペックでは足りない」とかなんとか。母は「お兄ちゃんは受験をがんばったから」と嬉しそうに兄を伴って電気屋に出掛けていたが、中学3年間家ではほとんど勉強せず毎日ゲームして遊んでばかりいたのに、進学先だって剣道のスポーツ推薦で決まった私立高校だったのに、一体受験の何を頑張っていたのか今でも不思議である。そうして我が家にオンラインゲームもスイスイ出来るハイスペックパソコンがやってきたのだが──ちなみに、私への中学入学祝いはなかった。「お兄ちゃんにお金がかかったんだからアンタの分はない、現実的に考えろ」と言われた──、いらなくなったノートパソコンをやる、と兄に言われたのである。
兄がノートパソコンを私に下げ渡した理由は、多分処分が面倒くさかったからだろう。自分には新しいパソコンがある、母はパソコンを使うようなひとではない、父はそもそも家にいない、だが自室は広くないし机の上のスペースにも限りがある。体のいいゴミ捨て場に選ばれたのが、私の部屋の机だったわけだ。
私はその申し出を受けた。いつもは使い終わりの消しゴムとか先っぽの賭けた三角定規とかいらないものばかり押し付けてくるくせに、たまにはいいものくれるじゃんと思った。といっても、兄はパソコンをくれただけで他には何もしてくれず、そもそもゲームのこと以外まるで詳しくなかったから、各種の設定は自分でやった。中学の情報の先生に尋ねて無線LANの設定をしたり、必要な機器を買ってきたりと、その期間だけでかなりパソコンに詳しくなったと思う。
小学校では総合学習の授業や学活の時間で簡単に触ったことはあったけど、本格的に扱うのは初めてで、目新しくて、私はあっという間に熱中した。特に、インターネット。携帯電話を持っていなかった私には、カルチャーショックだった。インターネットのなかにはたくさんの情報が夢のように溢れていた。ヤブー、グークル、つぶやきったーにビクシプ、25ちゃんねるのまとめサイト……あらゆるものが新鮮で斬新で画期的で、パソコンを触っている時間、私はすべてを忘れた。家事を終えた金曜日の夜使い始めて気付いたら朝になっていた、なんてこともザラだった。使っているうちに、私は『毒になる親』という本の存在を知った。本自体はすでに絶版になっていて読めていないので内容は割愛するが、この本と『毒親』という言葉を初めて知ったときが、人生の一回目の修羅場である言えた。
ああ、私の親は、これなんだなぁって。
長男教で娘に関心を示さない母。自分と自分の母のことにしか興味がない無関心な父。
兄も、もしかするとこの両親のもとで育ったことで立派に被毒していたのかもしれないが、ことあるごとに私を馬鹿にしたり自分本位で暴力的だったりしたから、まったく同情する気になれない。
出来心で25ちゃんねるの相談スレに書き込んでみたら、「早く家を出て自立しろ」「全力で逃げろ」ってみんな言ってくれて。
衝撃だった。
この家から、この苦しさから、逃げてもいいんだということが。
この家にいるとずっと息苦しくて、母にあれをしておけ、これをしておけと言われるのがずっと苦痛で、でも心のどこかで愛されたかった私はそれをどうしても拒めなかった。家族のために家族のために家族のためにと言われ続けて、私だって家族の一員なんだから頑張らなくちゃと思ってしまった。一緒の洗脳状態だ。現実的に考えて、私の置かれた状況を他人の目から見たら即逃亡案件なんだと気付いたとき、私の世界の扉が開いたような、枯れていた花が一気に咲き乱れて色付くような、とにかく衝撃的で明るい気持ちになった。
私はそれから、決意した。高校を卒業したら家を出ることを。それまでは何があってもそつなくこなし、我慢して耐えることを。家を出ることはいままで私を蔑ろにしてきた家族への意趣返しの意味もあるが、最大の理由はここにいたら私の人生狂わされると思ったからだ。
冗談じゃない。母も父も兄も程度は違えど自分の好きなことをしているのに、どうして私にはそれが許されない? 私だってただ一度の自分の人生、好きに生きたって誰も文句はいえないはずだ。
それから私は自立に向けて着実に準備を進めていった。近隣で就職に強い高校を探して受験して、高校に入ってからはバイトをしてお金を貯めたり就職に有利な資格を取ったり、内申書のために委員会を頑張ったり。
就職やバイトの保証人欄は、父にサインを頼んだ。サインを書くだけでいい、あとは自己責任で対応して迷惑をかけないと言えば、特に何も言わずに書いてくれた。ちなみにそれは他の私に関するすべての書類に当てはまり、母とは夜勤パートを始めてから時間があわなくなってほとんど顔を合わせていない。入学したてのころ1度だけ休日に待ち伏せて書類のサインを頼んだのたけど、私は疲れてるんだから気遣え、見て分かるだろう話しかけるなと言われ、それ以来シラけてしまった。多分母と最後に言葉を交わしたのは、去年の春に刃こぼれした包丁を新調したいが良いかと質問したときで、入学式にも参観日にも三者面談にも彼女は1度も来なかった。たぶん母は、そんなことは自覚もないし、覚えてすらいないだろうけど。
そんな生活も、あと3ヶ月、あとほんの90日ほど耐えればよかったはずだった。私は自由になれるはずだった。学校からも家からも解放されて、私は私の人生を生きるはずだった。なのに、あの、キラキラDQN女どものせいで……ほんとあいつら鈍器で100万回くらい殴って殺したい。
さて。
余談だが、インターネットは私に大いなる気付きと人生の指針を示してくれたのは前述の通り。されど同時に、私を腐の道へと落とした存在でもある。中学1年のとき、当時好きだったアニメのキャラの名前を興味本位で検索したのが運の尽き。そこからは転がり落ちるようにハマっていった。でもま、もともと小学校から漫画もアニメもすきだったし、テレビでキレイな男の子同士が絡み合ってるとついドキドキして凝視してたし、片鱗はあったんだよね☆ なるべくしてなったんだからしょうがないよね☆
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「──お前は、恨んでいるはずだ」
原初の洞窟で私と対峙した『わたし』は、真っ先にそう言った。
鋭い、抜き身の刃みたいな言葉だった。
触るものみな傷つけて、誰も得なんかしないのに。
「母を、兄を、父を、あのクソ女を。恨んでるだろう。憎んでるだろう。殺したいだろう。許せないだろう」
私は、そっと目を閉じる。
『わたし』の声に耳を澄ます。
「家族のためにと? 笑わせるな! わたしだけ除け者にして、蔑ろにして、なにをしたって感謝もしないのに、しなければ怒鳴って、叱って、文句を言って。響きのキレイな言葉で騙そうったってそうはいかないんだよ。いまごろわたしがいなくなったツケを受け取っているころじゃないのか? ザマァミロ! いなくなって気付けばいいんだ、わたしがどれだけ大事だったか、どれだけあの家で大きい存在だったか。そうだ、これは復讐だ! わたし一人を奴隷にして得てきた幸せが、どれほど愚かだったのか思い知ればいいんだ! あの犯罪者まがいのクソ女だってそうだ。わたしが言い返さないから、やり返さないからって調子に乗って、そうだ、アイツにも、アイツにも復讐してやるんだ、絶対にひどいめに合わせてやる、わたしにあいつらがしたように、靴の中に虫の死骸を入れてトイレの水を飲ませて弁当の中に泥を入れて無理やり食わせて、ビンタして腹を蹴ってタバコの火を二の腕に押しつけて、あいつが屈辱的に感じることを全部、なにもかも、ことごとくやりつくしてやるんだ! 絶対に許さない、絶対に!」
そう言いながら『わたし』は、ボロボロと泣いている。
鋭利なナイフで切られた傷口から噴き出るように、色のない血を目から流している。
そうだ、『わたし』は、ずっと傷ついていた。
本当はずっとしんどかった。
母も兄も父もDQN女も、殺してやりたいくらい憎くて、許せなかった。
その気持ちに嘘はつけなかった。
「許さない許さない許さないにくいにくいにくい」
「ねえ、それよりもさ」
私は、そっと息をつく。
ここのところずっと考えていたことを口にする。
「私はユキちゃんを幸せに出来るのはエド様だけだと思うんだけど、『わたし』はどう思う?」
恨み言を羅列していた『わたし』が、ハッ、と息をのむのが分かった。
そして、
「──馬鹿野郎! 結局オルフェリア様がサイコーなんだよ!!」
『わたし』は条件反射のように、そう叫んだ。
あれ……前後編で、終わらなかった……
次回、『本条都九子』という少女 後編
明日7時に更新できなかったらごめんなさい……