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本条都九子は魔導書をつくる  作者: 筧伊瀬
グリモアツクール編
10/31

09.お宿代は

 夕飯に昼食の残りだというカブと薬草のスープとパンをいただき、客室兼物置だという部屋に通されて、その日はすぐに眠った。


 次の日の朝、つまり翌日。

 私はベッドから起きられなかった。


(体が痛い……筋肉痛……ベッド硬かったし昨日マラソン大会並みに走ったからだわ……)


 そして、体がめちゃくちゃ痛いということは。


(夢オチ説は完璧に消えた~~~!!)


 実は、昨日寝る前のほんの数秒前まで、夢オチであることを期待していたのだ。


 朝目が覚めたら私は自分の部屋の柔らかくてぬくぬくのベッドで眠っていて、あと5分寝ていたい気持ちに鞭打って起き上がり、寒い寒いと手をさすりながら顔を洗って身支度を整え、家族4人分の朝食と自分の弁当を作るために台所に立つ。

 私は学校でキラキラDQN女共に殴られていることもなく、あと数日もすれば冬休みが始まって、さらに数か月すれば卒業して、地元の商社の事務員として働き始める。


 結婚願望は全くないので、若いうちは趣味も充実させたいが、とりあえず貯金だ。

 一人暮らしの老後に必要な額は、一説によると約5000万円から7000万円。私が定年する40年後の貨幣価値が定かではない以上、預貯金は多ければ多いほどいいだろう。働かないと食べていけない。私はこれから誰にも頼らない生活を送らないといけない。


 趣味と貯金と仕事と趣味と、忙しいけれど、きっと充実した毎日になるはずだった。

 母にも父にも頼らなくていい、兄にも関わらなくていい、私にとっての私だけの人生が始まるはずだった。

 それが、なんで、こんなことに……。


「ツッコ? どうかしましたか?」

「あ、あう、センさん……!」


 朝食の準備中らしい前掛けエプロン姿のセンさんが──というかエプロンあるんだ──、私のうめき声を聞いて様子を見に来てくれたらしい。

 ああ、センさん。

 渡りに船とはまさにこのこと、ご迷惑おかけしてすいませんが、マジすいまセンさん。


「なにかこう、筋肉痛に効く、シップとか、薬草とかないですか~~~」


 できれば即効性のやつで!

 センさんは、痛くて痛くてベッドから起き上がれない私を見て、ああ、と察してくれたらしかった。


「肉体疲労ですね。昨日はいろいろありましたし、仕方ありませんよ。少し待っててください」


 そう言ってセンさんは一度部屋を出ていき、次に戻ってきたときには木製の盆の上になにやら植物と小さなナイフ、それから包帯。

 なんでも、庭に生えている薬草をわざわざ取ってきてくれたのだとか。

 私は重たい体をなんとかかんとか動かして、ベッドに座る。

 うわ、制服、シワだらけやん。

 寝間着になんかするもんじゃないね。


「この植物、ぷにぷにしているでしょう? この皮の部分を向くと粘液が出てくるのですが、これが疲労によく効くのです」

「なんだろこれ。アロエ、みたいな? いや、アロエは虫刺されか」

「ツッコ、よくご存じですね。この植物、アローエというんですよ」

「おっとニアミス」


 センさんは手慣れた様子でごぼうの笹がきにする要領でアローエの皮を削り取った。


 あ、この状態、愛媛のおじーちゃんちで見たことある。

 皮を剥いたアロエは尖った外見に似合わず半透明でねばねばしていて、ギャップ萌えな中身なのだ。

 つまり『普段は暴力的で周囲から距離を置かれているが、雨の日に捨てられた子犬に傘を差し伸べる不良』みたいなヤツだ。

 そして虫さされにはこのねばねばが効くのだ。


「この粘液を患部に塗り付けて、ジヤムウの葉で蓋をしたあと、包帯で固定するのですが……ええと、ツッコ」

「はい、センさん」

「あの、……その」


 メガネを曇らせてうつむくセンさんの顔は、まるで恥じらう乙女のように真っ赤になっている。

 ちょっともじもじなんかしてたりして、なんだこのひと、かわいいぞ。

 自分より年上の男のひとにそう思うの間違ってるかもだけど。


「あの、足の裏……」

「あしのうら?」

「はい。たぶん、全身が痛いと思うのですが、そうであるなら、足の裏だけに施すのが一番手っ取り早いのです。足の裏にはミャクツボがたくさん集まっていて……」

「ミャクツボ……足ツボみたいなもんかな? 分かりやしたー」


 言外に靴下を脱いで足を見せろと言われたので、よっこらしょういち、と体をかがめて黒のソックスを脱いでいく。

 というか、昨日寝る前になんで脱がなかったのかな私。足臭くなるじゃん。

 素直に右足を脱ぎ、次は左足を、と動いていると、センさんは顔から湯気が出そうなほど真っ赤になってしまった。


「つつつつ、ツッコ!! 若い女性がそう簡単に異性に足を見せるものではありませんよ!! ツッコの世界ではどうか知りませんが、ここでははしたないのです! そもそも今の服装も、スカートが短すぎます! なぜそんなに短かいのですか!」

「そんな赤い顔で言われても説得力が……すみませんがこの服装は私じゃどうしようもないです。標準から1回も変えたことないですし、むしろクラスメイトはほぼこの長さです」

「この長さで普通!? その『くらすめいと』というのは娼婦かなにかですか!?」

「ショーフってセンさん……」


 ジェンダー認識が凝り固まっている感半端ない。これが異世界スタンダードなのだろうか? 現代日本を生きるJKには、足を見せただけではしたないとかカルチャーショックだ。ここでは生足でサンダルも履けないのか。


「センさんやセンさんや、ちょっと落ち着つきなはれや。アローエのねばねば乾いちゃいそうですよ」

「あっ」


 ちょっと冷静になってあたふたとアローエに意識を戻すセンさん。私は苦笑しながら、


「もう全身痛くて痛くて、今度から気をつけるのでいまは治療してくれませんか? センさんは医者、私は患者だと思って」

「……ツッコは、合理主義なんですね……」


 私の説得(?)のおかげが、やっと平静を取り戻したセンさんは、一度深くため息をついたあと、「取り乱してすみませんでした」と独り言のように呟いた。


 私が「私も知らなかったとはいえ、はしたなくてすみません」と返すと、センさんはさらに小さく「いえ……」と呟く。


 アローエの表面を薄く削り、現れたねばねばを指で掬うと、センさんは意を決したようにキリッとした表情になった。

 たぶん心の中で『わたしは医者でツッコは患者』と100回繰り返しているのだろう。真面目だなぁ。


 センさんの手のひらから優しく塗られる粘液はひんやり気持ちよかった。

 ふはーいきかえるー。

 ジヤムウの葉をぴとっとくっつけて、包帯でくるくる。

 この包帯がラップとかだったら、治療じゃなくてテレビで見る漢方エステみたいだったのになぁ。


「ちなみにアローエは、滋養強壮効果もあるんですよ。私のおすすめは蜂蜜漬けです。ちょうど昨日、街の市場にもっていく用に作ったところなので、少し朝食に出しましょう。身体の中からも外からも疲労回復ですよ」


 作業する手を止めることなく、センさんはまるで歌うように言った。うーん、と私はうなる。


(うーん、これは……)


 私は、いくらくらい払えばいいのかな。

 右足を終えて次は左足にアローエを塗っているセンさんのつむじを見ながら、私はむむむと眉根を寄せる。


(タダで、こんなにやってくれるはずないよね。得体の知れない、しかも昨日会ったばっかりの女に。私、何持ってたっけ。この服、売ったらお金に変わるかな)


 そもそも私、この世界の通貨が円なのかドルなのかゴールドなのかも分からないんだけど。

 せめて街まで出て、その辺の常識とかだけでも教えてもらえたらありがたいなぁ。


(現実的に考えて、見返りもなくこんなに親切にしてくれるなんて、ありえないよねぇ……)


 そうこうしているうちに左足も包帯を巻き終えたセンさんが、よし、と言って立ち上がった。


「包帯をしたばかりですし、行儀が悪いですが、朝食はそのままここで食べましょうか。食べ終えたら少し勉強をしましょう。あなたはこの世界に来たばかりだということですし、歴史や慣習を学ぶことで常識を身に着けることはできるはずです」

「……ちなみにその授業料は、いくら払えば?」

「え?」

「あ」


 つい口に出ていたらしい。


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