00.プロローグ
本作品に興味を持っていただけてありがとうございます。面白いと感じていただければ大変光栄です。
さっそくですが、本話にはいじめの描写があります。苦手な方は飛ばして次の話へお進みください。
ドンッ、と胸の上のほうを強く押される。
私は耐えきれず、そのまま床に尻もちをつく。
「……っ」
いじめの主犯格の女が、私の肩を思いっきり押したのだ。
「やだーキモイもん触っちゃったー」
「ホンジョー、マジダサいんだけどー」
「うけるー」
なにが可笑しいのかキャハキャハと笑っている女どもと目を合わせないようにしながら、私は黙ってうつむいている。
やつらが私にこんなアホらしいことをしている理由を挙げるなら、受験のストレスだとか、未来への不安だとか、彼氏を取られたとか、多分そんな、取るに足らない、くだらない言いがかりみたいなものだ。
本条は早い段階で就職先が決まったが、アタシたちは年が明けた1月になってもまだ決まってない。アタシたちだってアタシたちなりに頑張っているのに、不公平だ。アイツがアタシのカレシに色目を使って寝取った。存在が気にくわない。反応が気にくわない。顔が気に入らない。声がイヤ。キライだ、イヤだ。
だが、私が高校卒業後の進路が決まっているのは私が高校にはいってからずっと勉強に委員会にとコツコツ努力したからだし、主犯格や取り巻きのやつらの進路が決まっていないのはもともと成績も素行も悪かったから。
それに私の名誉のために主張させてもらうと、私は断じて主犯格の女の彼氏など寝取っていない。ただ、やつのカレシとかいうサッカー部員が「この絵、イイじゃん!」と私が選択美術の授業で描いた作品を誉めただけ。
だから、これら全部、やつらが私を虐げ、貶し、嘲っていい正当な理由にならないのだ。
パンっ。
「ねえねえ、次はアタシがやっていい?」
パンっ、次は取り巻き女その1にビンタされる。パンッ、パンッ、二度、三度。抵抗するとますますやられるから、私はただただ耐えしのぐ。
出来れば穏便に過ごしたい。
卒業まであと3ヵ月、問題なんて起こしたくない。
1月は残りあと半分。あと半月乗り切れば、2月からは自主登校期間に入る。その間私は車の免許を取ることに忙しいから、こんなクソみたいな場所に来る予定はほぼないに等しい。
ここで問題を起こせば、せっかく決まった就職が駄目になるかもしれない。別に就職先や職業内容に思い入れがあるわけではないが、せっかく家を出られるチャンスを棒に振りたくない。
あと半月、あと少し我慢すれば、私は高校からも家族からも解放され、晴れて自由の身になれる。いままで我慢できていたんだ、こんなチンケないじめくらい、なんだ。
「ちょっとイチカぁ。ダサ菌がうつるよぉ。やめなってぇ」
イチカと呼ばれた取り巻き女その1は、ビンタがよほどお気に召したのか、何度も何度も私の頬を叩く。私はただただ黙っている。我慢することは慣れている。ただ感情を殺せればいい。他のことを考えればいい。
私は、考える。私は――
(帰ったらゲームの続きしよ。次のイベントのネームは2月になってからでいいや。昨日エドリーン様攻略したから、次はジョージ様にしようかな、フレリーくんにしようかなぁ。もう1回オルフェリア様突撃しようかな。あみだで決めよう)
オタ思想にふけっていた。
妄想とオタ思想は、オタクのたしなみである。この楽しい思考の渦の中にいれば、いじめなんて屁のようなものだ。
(オルフェリア様ルートよかったなぁ。でも、エド様も最高だったなぁ。なんやかんやでユキちゃんを幸せにできるのはエド様だけなんじゃない? ジョージ様もフレリーくんもよかったけど、いやでも、王妃とか一般市民のユキちゃんにはしんどそう? だったらやっぱり、オリフェリア様? いやでもオル様人間の常識とかなさそうだし……もう帰ってお絵かきしたい……)
いまの一押しゲームは『ロスト・ミレニアム』略してロスミレ。
ある日目が覚めるといつの間にか異世界に迷い込んでいた主人公と、王国の住人達との触れ合いを描く恋愛趣味レーションだ。
現在、主要攻略キャラと隠しキャラのルートをほぼ終えて、残るは最重要隠しキャラの眼鏡の魔法使いのみ。
昨今スマートフォンアプリゲームが主流になっちゃって据え置き機使用のゲームの魅力が見落とされがちだが、やはりゆっくりじっくりやるポータブルゲームは良い。考察も妄想もおえかきもはかどる。ロスミレは15年前のかなり古いゲームだけど、神作と呼ばれているだけあって内容も濃いし世界観も作りこまれている。あと、主人公がかっこ可愛いのがいい。
「ねえキラリン、そいえば、このあいだ駅ナカの店で買ってたコスメどうだったぁ?」
「んー、どれのこと? ネイル? チーク?」
「グロスだよ! ラメ入りピンクの!」
「あーあれねぇ。発色がイマイチですぐ捨てた。つーかいつの話? いまのやつパパに言って新しく買ってもらったんだけど、ちょーよかったよぉ」
「えー? どれ……って、コレ、七千円もするやつじゃん! ムリムリ! キラリンおさがりちょうだーい」
「いいよぉ。はい」
「わぁいキラリーン! アリガトぉ」
視界の隅っこで、主犯格の女─名前は忘れたが、たしかとんでもないキラキラDQNネームだ。あだ名もキラリンだし─と取り巻きその2が女性誌を片手に騒いでいる。私をいじる遊びはもう飽きたらしい。それなら早く帰らせてほしいんだけど。
取り巻きその2は明らかに媚びを売ってお高い化粧品をねだっていて、キラリンDQNネーム女は高そうなリップグロスをほいと女に投げる。
というか、あんなちっちゃいグロスが七千円だって。私のバイト代約8時間分に相当する品物をホイホイ買い与える親も、そんな高価なものを飴玉やガムみたいに他人にあげてしまえる女もどうかしてる。
(こいつらも、こんなくだらないことしてないで、就職活動でも受験勉強でも真面目にすればいいのに)
こいつらがイライラしたり、私が気に食わないという理由が進路のことならば、早く帰るか図書館に行くかして勉強をすべきだ。英単語を1つでも多く覚え、履歴書を1枚でも多く書けば、その分だけ将来の不安はぬぐえるだろうに。
(現実を見ればいいのに。身の丈に合った生き方をして、ちゃんと地に足を付ければいいのに)
努力もしないのに、他人にねだってばかりのこいつらに、どうして私は貴重な時間をつぶされているのだろうか。
「なによ、その目」
――そのとき、キラリンDQN女と、目があった。
どくん、と心臓がはねる。
なんと気ままでうつりぎな憎悪と悋気だろうか。さっきまで機嫌よく笑っていたはずなのに、まるで着ていた服を脱ぎ捨てたみたいにガラリと雰囲気が変わった。
ああ――と私は思う。こいつにとって感情なんて、金銭や衣服と同じ消費するものなんだ、数秒前の機嫌なんてあってないようなものなんだ。
「キモ、マジキモ。ダサゴミ。キモい、マジキモい。ごみごみごみごみ」
一度こうなったキラキラDQN女は手が付けられない。
それを分かっているから、取り巻きその1その2その3はお互いに軽くアイコンタクトをしただけで何も言わない。つうか、なんでこいつら私のことキモイとかゴミとか言いながら私にかまうんだ。本当は私のこと好きなのか。ツンデレなのか。気持ち悪いからしねばいいのに。
「ねえ、ホンジョー……度胸試ししようよぉ」
そのとき、キラキラDQN女が、にたぁりと、底意地の悪いとしか言いようのない、醜い顔で笑った。
「サンちゃん、窓あけて」
「……うん、わかった」
「んで、イチカとニーヤンはこいつ、そこに座らせて」
キラキラ女の命じるままに取り巻き共が動く。両腕をその1とその2に取られて暴れるに暴れられず、キラキラ女が「そこ」と言った、窓のヘリのとこに座らされて、おい、これって、おい!
「ちょっ、やめっ」
「いまから何するか分かる? ホンジョー。度胸試しだよ。ここに座って、どこまで背もたれなしでもたれかかれるかっていうアソビだよ」
「なっ」
なにいってんだこいつ!
それ、下手したら死ぬだろ! ここが何階だと思ってんだよ4階だぞ! 下に植木あるけど、当たり所悪かったら怪我じゃすまねーだろ!
さすがに取り巻き女ワン・ツー・スリーも同じことを思ったらしく、わたしを押さえつけているイチカとニーヤンも、窓を開け終えたサンチャンとやらも青ざめていた。
「ちょ、ちょっとキラリン……」
「それはさすがに、死んじゃうんじゃ」
「――だまれ!」
ガンッ! と机を蹴り上げるキラキラDQN女。
「はやくしろよ、アタシの言うこと聞けないの?」
イチカとニーヤンが、私を抑えつける。
手足をばたつかせて抵抗するがほとんど無意味で、窓のヘリのところに座らされて、それで、
「――死ねよ、ゴミダサおんな」
キラキラDQN女が、私の肩を思い切り推す。
(うそ、やだ)
度胸試しでもなんでもない。
こんなの、ただの殺人だ。
(まだ、私――)
視界が上へ上へと流れていく。
私の体が落ちていく。
下へ下へ下へ、奈落の底へ落ちていく。
(まだ、オールドリー攻略してないのにいいいいい)
ちなみにオールドリーとは、例の超神作乙女ゲームロスミレの、国家魔法使い兼宰相の隠し攻略キャラの名前である。
暗転。
目が覚めると、砂利、木、森。背後には川、谷、崖。
服はびしょぬれ、下着までびしょぬれ、身体が重い。
「どこ、ここ」
どこだ、ここ。
次の話は2018/07/10 12:00に投稿予定です