〜桜並木編1〜
春特有の気持ちのいい風、視界を桃色に染める桜並木。その並木道を二人の少女が歩いていた。
「ねえ、サヤカちゃん。指切り、約束よ」
「約束?」
「うん。また十年後に」
そう言葉を交わし、少女達は走っていく。これからもずっと一緒にいるということを誓うかのように手を繋いだまま。
女はそれをただただ見つめていたーー
かすかな光が差し込む寝室で、オレはその光に促されるようにゆっくりと瞼を上げた。
そして、長くまっすぐな白髪と、髪と同じように薄い肌が目覚めたばかりの視界を覆い尽くしていて、オレは飛び起きた。
「え、えっと……ハク? どうして?」
「グレイ、仕事。着替えて所長室」
業務連絡のみを伝え、ハクは去っていった。
こちらの動揺など御構い無しに伝えるべきことだけを伝える。彼女と組んでもう2ヶ月近くになるが、機械的なところは相変わらずだ。
だが、いつまでも呆けてられない。所長から呼び出しということは十中八九シゴトについてだ。ならば早く着替えて向かわなければならない。そう思いオレは寝巻きを脱ぎ、いつもの軍服と外套を身につけ、部屋を後にした。
所長室にいたのは、所長とチームのメンバー達だった。
「おやおや、遅れてくるとか大御所気分かよ」
部屋に入るなり軽口を飛ばしてきたのは、同じチームのノワールだ。
オレより下から見上げてくる大きな瞳はこの世の闇全てを吸い込んでいるかのように黒く、そしてその瞳に負けぬくらい黒い長めのマッシュヘアが彼の不気味さを助長しているように思える。
そんな彼は軽口に反論がなかったのをよく思ったのかさらに文句を言うべくオレの元へと近寄ってくる。彼の歩くのに合わせて帽子についたウサギの耳が揺れるのがおもしろいが、これに笑うと機嫌を損ねるので我慢する。
「だんまりかぁ? ひどいなぁ。遅れたことに謝罪の
一つくらいあってもいいんじゃねぇの?」
「ノワール、そこまでだ」
放っておくとまだまだグチグチと言ってきそうなノワールを止めたのは我らが所長だった。
密かにワカメと称されているパーマのかかった深緑の髪を揺らし、こちらを振り返った所長は、ノワールを静かにさせると、オレ達に一列に並ぶように告げた。
「ハク、ノワール、グレイ。君達三人には、終咲市の
怨霊の処理に向かってもらう」
「さすがは終咲。また湧いたか」
「そうげんなりするな、ハク。仕事がなくて暇するよ
りはいいだろう」
うんざりといった様子のハクに所長が笑いながら返す。しかし、所長には悪いがオレもうんざりだ。一週間経たずに二度も怨霊が湧いたとなると、さすがに頻度が高すぎる。
それがたとえかの終咲であってもだ。
「まあ、頻度は高いがお前たちの担当地区だ。割り切
ってくれ。で、問題の怨霊だが」
その後、約10分ほど件の怨霊についての説明を終えたオレ達は、武器の整備と点検を軽くこなし、ここ終咲市へと降り立った。
件の怨霊は桜並木道周辺に結界を張り、通る人を取り込み喰らっているらしく、被害としては、まだ2、3人だがこれからもどんどん取り込んでいくことは明白かつ突然の行方不明ということで人間の世界でも騒ぎになりつつあるとのことであった。
任務の目的としては、第一に怨霊の捕縛。第二にもし救出できる状態であれば、結界内に取り込まれた人間の救出。
というなんとも代わり映えのないいつも通りの内容だ。オレとしては、捕縛より討伐の方が興味があるが、怨霊討伐は捕縛が不可能な場合にのみ許される最終手段であり、捕縛不可能ということからわかるように危険な任務である以上、下っ端のオレ達にそのような任務が回ってくるはずもない。
少々物足りないが、迷える魂を送ることがオレ達神とは名ばかりの送り神の役割なのだから。
「まずは結界探そうと思う」
そう零したハクは帯から鈴を取ると耳元で鳴らし始めた。
オレには分からないが、ハクのように耳のいい者はああすることで結界、つまりは空間の歪みが分かるらしい。風向きが関係しているらしいが詳しくは知らない。
結界の捜索はハクに任せ、オレはもう一度武器の確認をしようと外套を持ち上げた時、背後から当然声をかけられた。
「えくすきゅーずみー、異国の方。観光ですか?」
振り返るとそこにいたのは勝気な目をした眼鏡をかけた人間の女だった。
「日本語、分かりますよね? さっき話してました
し。ごめんなさい、私英語苦手で」
そう言いながら、女は馴れ馴れしく笑みを浮かべ、オレ達の元へと歩み寄ってくる。
「でも、観光にしてはどうしてこの町を?」
「どうしてとは?」
こちらに来た女に返事をしたのはハクだ。彼女は言葉数は少ないが、オレ達の中で一番人間を嫌っていない。会話をするには適役だろう。
「どうしてって、だって終咲なんて何もないでしょ
う? 異国の人達が見たいものなんて」
「そうか? ここの桜並木綺麗だと思う」
「あら、地元民としては嬉しい言葉ありがとう。た だ、この程度ならどこにでもあるでしょう? わざ
わざここを選ばなくても。それに……」
「それに?」
ハクが尋ねると、女はわざとらしく周囲を見渡し、耳打ちするかのように囁いた。
「最近、この辺りで神隠しが起きてるって噂があるん
ですよ。だから、花見する人もいなくって」
所長から聞いた通りだ。怨霊の仕業を人間は神隠しだと思い込み、恐れているらしかった。
だからこそその噂が今よりも広まる前にオレ達は怨霊を捕縛せなばならないのである。
「でも貴方はここにいる。神隠し怖くないのか?」
「そりゃ、少しは怖いわよ。でも私雑誌記者で編集長
がこの事件を記事にするって決めたなら従わないと
いけないんですよ。それに、この終咲は私が生まれ
育ったとこですしね」
「そうか、仕事熱心はいいことだ。そして忠告感謝す
る。桜に攫われないうちに場所を移そう」
「へー。日本人ならともかく異国の人が桜に攫われる
なんて表現珍しいわね」
「おかしいか?」
「いいえ。日本語に詳しいと思っただけ。でも桜に攫
われるかぁ……」
誰に聞かせるでもなくそう呟いた時だった。メキリと嫌な音がしたのは。
それは一瞬のことだった。メキリという音とともに桜の木が裂け、中から飛び出した枝のような無数の触手が女を包み込み、桜の中へと引きずり込んだのだ。
きっと女は自分の身に何が起きたのかも分からぬまま、引きずりこまれたであろう。
いち早く動いたのは、ハクだった。彼女は女がひきずりこまれる寸前に触手の一本を掴んだのだ。そして、そのまま共に引きずりこまれていった。
もちろんオレ達もただ眺めていたわけではない。おそらくノワールとオレ動いたのはほぼ同時だ。
同時に飛び出し、突如として現れた桜の幹の裂け目、それが閉じ切る前にその中へと身を滑り込ませた。