とある王子と令嬢のとある出来事
「これは一体どういうことだ?」
それ程大きくもない剣呑さを秘めた低い声がやけに大きくはっきりと食堂に響いた。
常に柔和な笑みを見せ、物腰柔らかな青年の稀に見る怒りを内包した重苦しい空気を背負う姿にその場に居たすべての生徒たちは息を呑む。
騒動の原因となっている集団に視線を走らせ、その奥に居る存在を認識すると迷うことなく歩を進める。
珍しく国随一の令嬢として名を馳せる彼女の完璧な淑女としての仮面が外れてしまっているらしい、目的の人物は面倒くさそうにしている。
途中、時おり話しかけてくる令嬢が声を掛けてきたが一瞥もくれずに目の前に立つ。
距離が近づくにつれ苦い顔をし唇を噛んでから何でもないような表情を作る彼女は真っ直ぐ青年の瞳を見つめ返した。
「それで、これは一体どういうことだ?」
彼女が口を開こうとしたのを遮るように後ろから甲高い耳障りな声が聞こえてきた。
「違うんです!彼女は悪くないんですコルレアン殿下っ!どうか怒らないで上げて下さい!!」
「マリーっ。君の優しさは美徳だがそこまで庇いたてする必要はない!」
「そうだよっ!彼女は人として貴族としてして行けない事をした。そうだろう?」
――――イラっ
普段なら自制出来ている感情が思わず揺らぐ。
眉間に皺が寄ったのを間近で見た彼女は青年の感情を機微に感じ取り小さく呼びかけたが彼らの声の方が大きくその声は塗りつぶされる。
思わず舌打ちをしたがそれすらかき消され、青年は騒ぐ集団は無視し意識を彼女にだけ持っていく。
「エリザベーテ、答えを」
「……私が嫉妬に狂いあそこにいらっしゃるご令嬢に危害を加えたと糾弾しに来られたらしいですわ。ですがあそこに居られる方の名を私は存じておりませんし、あの方々が仰る嫉妬するに値する事柄に心当たりもなく、私の方がどういうことなのかお聞きしたい位ですの」
小首を傾げ微笑するエリザベーテは嫉妬させることが出来る唯一の相手である青年を見上げていた。
エリザベーテの言う嫉妬と言う言葉に苦い顔になる。
これまでヴィルド王国の王族として学院に属する生徒として他の令嬢と接してきたが決して馴れ馴れしくしたことはないしさせたこともない。
会話をするだけでも畏れ多いと平伏されることの方が多いくらいだ。
時おり、野心に塗れ勘違いしたご令嬢も居たがやんわりと遠ざけそれで大人しくしているなら良し、それでも近づこうものならそれとなく彼女らの実家の方に注意を促していた。
そのことはエリザベーテも知っているからこその心当たりがないと口にし、どういう事かと問うてきているのだろう。
まさか浮気を疑われているのか、その考えに思い至りじわじわと焦燥にも似た焦りが這い上がってくる。
「エリザベーテ、君の心を煩わせるようなことは一切ない」
「あら?本当に?」
「私を疑うのか?」
変わらぬ笑みのまま疑うような物言いにズキリと胸が痛む気がした。
青年の様子にエリザベーテは困った表情になり視線をギルディスの背後、いまだ騒ぎ立てている集団へと目線を動かす。
「もちろん、私はギルディス様を信じております。ですが、あちらの方々がまるでギルディス様と何かあるような、含みもを持たせたご様子でしたのよ?そう、まるであちらのご令嬢と貴方が恋仲でもあるかのような――」
頬に手を当て短いため息をついて悩ましげに話すエリザベーテの言葉に先程まで感じていた焦りも苦々しさも一気に吹き飛ぶ。
そして別の感情が瞬く間に心の中を塗り替えて行った。
「恋仲?私と?誰が?」
「貴方と、あちらのご令嬢が」
「なった覚えすらないし誰かとなる気も全くもってないと言うのに?」
「それは向こうの方々に仰って」
此処まで怒りに身を震わせたのは初めてだ。
自制しなくてはと拳を握るが握り過ぎて微かに震えており爪が肉に食い込み過ぎてしまっている。
傷になるかも知れないが今はそんなこと、とても些細なことでしかない。
漸くエリザベーテから視線を外し、身を反転させて集団を睨み付けた。
よくよく見れば見知った顔も数人いるのがわかる、誰もが側近候補と名高い上位貴族の子息たちだった。
彼らの中に紅一点よろしく嬉しそうに表情を明るくさせた女が一人立っている。
その様子だけでどう言った相手か理解し軽蔑した目で見つめ返す。
「コルレアン殿下、私っ」
「――黙れ」
たった一言、コルレアン・ギルディス・ヴィルドの口から放たれただけでその場のすべての音が止む。
息遣いすら聞こえないのではと疑問に駆られるほどの静けさの中、響くのはコツリコツリと歩くギルディスの靴音だけだ。
ある程度の距離まで来ると心の底から不愉快だと態度で示すギルディスは驚きで固まる愚か者たちに話しかけた。
「これはどう言うことか、教えて貰おう。何故、私がそこの娘と親しい仲などと嘘をつく?しかも、私の婚約者であるエリザベーテの元にまで押しかけてふざけた内容で詰め寄ったらしいな、これをどう釈明する気だ貴様ら」
静かなそれでいて心の中で渦巻く怒りを抑え込んだ低く恐ろしい声に子息たちの顔色が青ざめていく。
言い訳があるなら聞いてやる、そう問えば女がいの一番に声を上げた。
「コルレアン殿下っ彼らを責めないで下さい!彼らは私の事を想って――」
「其方に耳はないのか、私は黙れと言ったはずだが?そして何故、許しもなく私の名を口にする?立場を弁えよ」
鋭くなる声に女は口を噤み周りに助けを求めるように視線を彷徨わせる。
しかし女の頼みの綱である子息たちはギルディスの放つ空気に圧倒されてその様子に気づく気配もない。
「どうした、理由もなくこのような愚行に及んだ訳ではあるまい?」
再度、そう問えば一人の男が口を開いた。
「わ、私どもはここにいるアンネから殿下と良い仲でありそれを、それをエリザベーテ様に知られ嫌がらせを受けていると、聞きました」
「確かに、アンネと殿下はよくご一緒されている所を見ましたし噂もあったことから、真実と、アンネの言葉を、真実と受け取り彼女から相談を受けていたのです」
男に続いて他の男も喋り出す。
「アンネの話す内容はどれも酷いものばかりで――」
「もう良い。聞くに堪えん」
手を上げ発言を途中で止めると、後ろに控えるエリザベーテの名を呼んだ。
「確かに、学院の生徒として話しかけられれば受け答えするようにはしていたから話すことはあっただろう。だが、主神オーディネルに誓ってそのような関係になったことは一度としてないと断言できる。名も今知ったな、もう忘れたが」
近付いてきたエリザベーテの手を取りその手の甲に触れるだけのキスを送った。
鋭かった瞳が一転し優しく穏やかなものに変わりエリザベーテを見つめていいる。
「仕方がありませんわ。殿下はとても魅力的な方ですもの、思い余って道を踏み外してしまうこともありましょう」
「エリザベーテは優しいな」
「……して、どうしてっ!私はいつだって貴方を想って頑張って来たのに!素晴らしい人だってっ褒めてくれたのにっ!どうしてその女なのよ!父親が公爵だってだけじゃない!婚約だって政治絡みで本気で好きじゃない癖に!私の方がずっとずっとあなたを想ってるのにっ!!私なら貴方の抱える闇にだって――お前が居るからっ!!!!」
突然火山が爆発したみたいに喚き出した女は憎しみを込めた瞳でエリザベーテを睨み掴みかかろうと前に躍り出たが直ぐさま捕えられる。
ギルディスの護衛であり未来の近衛騎士でもある従兄弟のハーヴェイが容赦なく女を地面に押し付けた。
狂気にも似た女の激情に周りの者は騒然となり咄嗟に庇おうと背に隠したエリザベーテも驚いたらしくギルディスの服を強く握り締めていた。
「私の方が綺麗でしょ?私の方が愛らしいでしょ?私といると癒されるでしょ?私と――」
「三度目はない。ハーヴェイ、その者を衛兵に引き渡せ」
「はっ、畏まりました」
捕縛された体勢からも顔を上げ訴えるように話し続ける女はその口を塞がれるまで自分の方が素晴らしいのだと言い続ける姿は醜悪と言えた。
憐れな、そんな呟きが聞こえ肩越しに振り返れば痛ましげに連れられていく女を見送るエリザベーテが居た。
ギルディスはそんな彼女の言葉にそうだろうかと反対の事を思った。
名は知らずとも確かにあの女のことは記憶にあった、なにせ廊下を歩いてる時、庭で休憩している時と何かと警備の穴を掻い潜っては現れて話しかけてきたからだ。
最初はギルディスも普通に接していた、偶然通り抜けてしまったのだろうと思ったのと学院に入学した時に決めたことに関係してくる。
この学院には多くの生徒が在籍しており様々な立場の者がいる、例えば、隣国の王侯貴族であったり優秀と判断された平民であったりと幅広く受け入れられている。
学院を創立する際に初代校長が学びは平等に与えられるものと口にしそれがとう学院の掲げる理念となった。
ギルディスは学院に属する間はその考えを尊重し一人の生徒として過ごすことを決めそれこそ、道を聞かれれば答えるし、他愛無い話しをされれば返しもする、授業の事で質問されれば教えるよう心掛けていた。
王族としては少々親しみ深く気安い振る舞いだったが、一般的な普通の学生としての行動だと誰に聞いてもそう答えてくれるだろう。
ただ、現実に立ち返り立場の違いがそこに存在することを忘れなければ、ギルディスにはなんの問題もなかった。
実際、ギルディスが王族であることを横に置いとくなどと大それたことが出来たのは立場の近しい者たちだけだった、傍に置く異性は婚約者のエリザベーテだけと元から決めていたので不用意に他の令嬢を近づけないよう気を付けていたから自ずとその相手は男になる。
あの女を素晴らしいと言ったのは警備の穴を掻い潜るその動きについてであり、決して魅力的な女性としての意味ではないしあの女の話す勝手な想像と妄想を多分に含んだ耳にするのも不愉快な会話の内容は半分以上聞き流していた。
傍から見れば彼らの言う親しげな関係には見えたかもしれないが間違っても親しい関係になるつもりはない、与太話も良い所だ。
だと言うのに身勝手な思い違いをしエリザベーテを貶めようなどとバカげた行動に出た女の考えには理解出来ないと同時に愚かとしか思えない。
因みに、何度も侵入を許してしまった近衛騎士たちは今度こそは見逃さないと強い意気込みを見せ、心休まることのない疑似的な訓練の日々を過ごしたおかげで、今ではありの子一つ見逃さない探知能力を身に着けている。
「貴方は、もう少しご自分の魅力についてお考えになった方が宜しいのではない?」
女性一人狂わせるくらいだもの、呆れを含む声に苦笑し残された男たちへと顔を向けた。
「この件については学院から相応の罰をうけるだろうから覚悟しておくといい。それと、学院に居る間エリザベーテの前には二度と姿を見せるな」
側近候補であろうと上位貴族であろうと関係ない。
ギルディスの婚約者であるエリザベーテに害をなしたのだ、不興を買ったとされるには十分と言える。
だが、正当な処罰を下すのはギルディスではない、学院の属する間は全てにおいて学院側で処理する規則が取り決められているからだ。
自分の現在の立場を直ぐに理解したのか男たちは真っ青な顔色が徐々に白くなっていき生気のない様子でおざなりな礼を取りフラフラと覚束ない足取りで食堂を後にするのを見送った。
周りの生徒も全て終わったと判断したのか、場を離れる者、そのまま食事をする者に別れていく。
「せっかく久しぶりに二人で昼食をご一緒できると思ったのですけど」
残念そうにため息をつくエリザベーテはこれでは落ち着いて食べれませんわねっと微笑する。
エリザベーテの言うように見渡せば先ほどの事を話題にしこそこそ話している様子が窺えた。
「なら、侍従に命じて他の場所で取ることにするか」
ギルディスはエリザベーテの手を取り優しく微笑みかけ少し離れた場所にいる侍従に簡潔に伝えると二人は先程の出来事などなかったかのように仲睦まじくは食堂を後する。
これはとある王子と令嬢のとある日の出来事――。
この後、ギルディスはエリザベーテと仲良く食事はしたが女性の接し方は見直せと言われます。
因みに、ギルディスは天然の人タラシっぽく書いてみたんですが、雰囲気出てたでしょうか?
一応ギルディス視点として書いたのでわかり難かったかも知れません。
普段のギルディスは王族なのに権力を振りかざさず、人当たりの良い態度で男女問わず接するものだから勘違いしてしまう女性が後を絶たず、知らず知らずに魅了して行きます。
エリザベーテはそんなギルディスを女の敵だなぁっと諦めモードで眺めていたり。
ギルディス
自分の立場を理解し王族としての責任と義務を重んじている。
必要性がなければ側室は持つ気はない、婚約者のエリザベーテを愛しく想い、大切にしている。
エリザベーテ以外の女性に擦り寄られても迷惑としか思わない。
エリザベーテ
公爵令嬢としての立場と婚約者としての立場の重さを自覚してる。
ギルディスの事は愛しく思っているが彼が持ち込む女性関係は面倒だとも思ってる。
婚約者じゃなかったら好んで近づこうとはしなかったかも。
勘違い令嬢
あの後、衛兵に監視される中、学院からの罰を言い渡される。
家からは何をしたんだと烈火のごとく怒られ、家の決定で学院を退学することに。
何年かしたら目を覚ますかもしれない。