誘拐でしょうか?
あのふんわりぽわぽわしているお兄様がここまで焦っているのは珍しいですね。滅多に見ない光景なので少しおもしろいです。普段はふわふわしてるくせに、大事なことはのらりくらりとかわしてしまうお兄様が慌てる姿はちょっと貴重なので忘れないようにしましょう。
今私たちがいる場所は少し奥まったところなので、おじさまも私に声をかけやすかったんでしょうね。お忍びらしいですし、堂々と会場の真ん中に現れるわけにもいかなかったのでしょう。
「ああそうだお嬢さん、社交界デビューおめでとう。僕の息子のお嫁さんになる気はない? 君みたいにかわいい娘がもう1人欲しかったんだ」
「っ突然すぎません?! 絶対あげませんよ。そもそもリーシャは王子様とか国王様なんて興味ないんですからね。興味を持つような話題は全て避けて悪口吹き込んでましたから」
「え、なにその徹底具合」
私が国王様の婚約者に…? ふふ、おじさまも意外と冗談がお好きなんですね。こんな大切なことも冗談として話題に出せるなんて、さすがは前陛下。少し驚いてしまいましたよ、だってあんまりにも真剣な表情で言うものですから。
「ねえお嬢さん、本気で考えてみてよ。悪くないと思うよ、アルベルトのお嫁さん…そうだ! ちょっと向こうでお話ししよう。いいよね、デューク?」
「ダメに決まっているでしょう」
アルベルト…国王様の名前ですね。あれ、まだこの話題続くんですか?
すっと表情を消して言い切ったお兄様。そんな表情もできたんですね、初めて見ました…ではなく、相手は前陛下ですよ、大丈夫なのでしょうか?
私としては国王様の婚約者になどなる気はありませんが、一貴族として国王様に支えたいとは思っています。私のこの身は国王陛下のため、ひいては国のため、そのために存在しているのです。まぁ、女の私にできることといえば隣国の貴族と結婚したり、この国と他国とのつながりをより強固にすること、何かしら利益をもたらすものでなければならないとわかっているので、国王様と婚約するメリットはほとんどないと言っても過言ではありません。
確かに私は公爵令嬢なので、婚約者候補に近い存在であることも確かですが、私のはお姉様もいらっしゃいますし、私の役割は他国の貴族に嫁ぐことなのだろうと理解していますとも。
あ、お話しですけど、私は構いませんよ? 前国王と言えども、王国貴族にとっては仕えるべき主に違いありません。軽いお願いのようであってもその言葉は本来とても重たいもの。逆らうなんてとてもじゃありません。むしろ、自らが支えるべき主人にお会いできるのはとても光栄なことかと思います。
それにデュークお兄様もきっといいと仰ってくれるでしょうし。おじさまがデュークと呼ぶ時にまた黒くなられていたので、デュークお兄様、断りたくても断れないでしょう?
ばちばちと視線を交錯させるお兄様とおじさま。お兄様、それはさすがに不敬ですわ。
「リーシャぁぁぁ、もうやだよぉ、あいつら無理難題押し付けてきてにやにや笑ってるんだ、疲れたお兄様を癒してリーシャぁ」なんて泣きついてきたお兄様からお話を聞き、おじさまも国王様も厳しい方なのねと思っていたのですが…全然そんな感じには見えませんよねぇ。物腰もとても丁寧ですし、なんならお優しそうなお顔立ちですのにね。
でもこのままではおそらく埒が明かないでしょう。私自身に断る気はありませんし、私からお願い申し上げた方がいいかもしれませんね、ということで行動開始です。
「私はぜひお話させていただきたいです。身に余る光栄ですもの、ね、お兄様」
私、こう見えてももう十六年もデュークお兄様の妹をやっていますからね。
こう、なんていうのでしょうか。地味な私でもかわいく見える必殺技…首を傾げて目をぱっちり、できる限り上目遣い、お祈りポーズをすれば完璧よ! とお姉様から伝授していただきました。
お兄様とおじさまは一瞬固まったあと、ふらりと重心を傾けました。よろけた2人は支え合いなんとか転倒は持ちこたえたようです。効果があったのか、それとも出来の悪さのせいなのかは知りません知りたくないです。
「ちょ、ま、え、かわい…じゃなくて! リーシャどうしたの?! そんなかわいいの初めて見た…じゃなくて、今日は僕がエスコートするから半日は僕だけの…ってこれでもなくて、無理しなくていいんだよ?!」
「無理なんてしていませんお兄様、もう私も立派なレディですもの、粗相はいたしません」
「ちが、リーシャの行儀作法がどうのって話じゃないんだ、そうじゃなくて」
よろけながらも近寄ってくるお兄様、行儀作法の話でないなら一体何を心配しているのでしょうか。そんなふらふらした状態で動くと危ないですよ…あら、おじさまはどうやらすぐに正気に戻ったようで、お兄様の肩を掴むとぐいと後ろに引っ張ってしまいました。まだふらふら気味のお兄様は簡単に地面にお尻をついてしまいました。あーあ、芝生とはいえせっかくのお洋服を汚してしまいましたね? 侍女に怒られますよ、お兄様ったら。
「デューク、君がなんと言おうと連れていくことにするよ。夜会のエスコートも僕かアルベルトに任せてくれて問題ないから、むしろ僕達に譲るんだいいね? この子気に入ったよ! ではね!」
おじさまはすごい勢いでデュークお兄様にまくしたてると、私の腕をキュッと掴みました。身長と同じく体重もそうない私は、いとも容易くおじさまに抱えられてしまいます。びっくりしてついおじさまの首に腕を回してしまいました。え、これって不敬ですか?! でも不可抗力です、だって抱きついていないと落とされてしまいそう!
デュークお兄様はおじさまの声に一瞬呆気にとられましたが、すぐに持ち直して私の方へ手を伸ばしました…が、遅すぎます! 私、とっくにおじさまの腕の中ですよ、もう! そもそも地面に座り込んだままで手が届くと思います? 絶対に無理ですよ、お兄様ったら頼りになりませんね。
「俺のリーシャぁぁあ!」
おじさまは猛スピードで駆け出しました。年齢を感じさせない軽やかな走り、かつ下品ではないとんでもない速さです。振り返るとデュークお兄様が半泣きでこちらに手を伸ばす姿が見えました。そんなに心配されなくても、ここは王宮ですよ? 危ないことなんて起こるわけありません。
それに、もしやはり私の技術不足を心配してくださっているならそれこそ安心してください。お姉様にたくさん教えて頂いて、やっと認めてもらうことが出来たんです。十六年もかかってしまいましたが…こんなおかしな見た目でもマナーが完璧なら、少しはまともに見えるでしょう?
だから、お兄様が心配なさることなんて何もないんですよ!