06 うろんな来訪者
「やっほう、こんばんわ~」
思わず眉をひそめてしまった。
玄関の扉を開けた時そこにいたのは、こんな山奥の別荘を訪ねてくるにはかなり不似合いな二人組だった。
ひとりは肩まである茶髪を首の後ろで一括りにした青年。
もうひとりは黄色いニット帽を目深にかぶり、ぶかっとしたジャージ姿の青年。
前者は無駄に愛想が良く、後者は対照的なまでに無愛想だったけれど、どちらも渋谷や原宿の繁華街にいるのが似合いそうな今時の若者だった。
「やあやあ、いてくれて良かったよ。君、片瀬美鈴ちゃんでしょう?」
茶髪の青年はあたしの手をぐっと掴み、ぶんぶん勢い良く振る。
「えっと、あの、どちら様でしょう……っ」
いきなりのことに混乱しながらもどうにか手を振りほどくと、あたしは飛び退くように後ろに下がってたずねた。
(ていうか、なにごとっ……!?)
あたしがここに来るのは初めてのことだし、こんな山奥まで名が知られているほど、有名人になった覚えはない。
警戒心がむくむくと首をもたげたけれど、茶髪男はにこにこと愛想よく微笑み礼儀正しく自己紹介をした。
「いやぁ、ハジメマシテだねぇ。俺は斉藤淳哉、十九才。こっちは斉藤昭仁って言って俺のアニキ。二十二才」
「夜分に失礼する……」
ニット帽がぼそりと呟き頭を下げる。
別に年齢まで教えて貰わなくても良かったけれど、名乗られたのだから仕方なくあたしも挨拶を返した。
「はじめまして。片瀬美鈴です。――って、名前はもう知ってるんでしたね」
不信感も露わに二人を見上げる。
「どうしてあたしの名前を知っていたんですか」
だけどもそんなぴりぴりした視線にめげる様子もなく、斉藤淳哉はけろっと笑って答えた。
「それは連絡を貰ったから」
「連絡?」
「そう。うちはこの別荘の管理を任されていてね。次の持ち主が見学に来るって言うからやってきたんだ」
「でも、それにしては来るのが遅すぎやしませんか」
あたしは間髪入れずに再び問いを投げ掛ける。
やっぱり胡散臭いことには変わりない。
なにしろ外はもう真っ暗だ。朝からスタンバっていたならまだ分かるにしても、こんな時間に来てもすでに誰もいない確率のほうがずっと高いんじゃないだろうか。
すると斉藤淳哉は顔いっぱいに相好を崩して、あたしの髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「いやぁ、美鈴ちゃんは賢いねぇ。えらいえらい」
「ちょっと、子ども扱いして誤魔化さないでちゃんと答えて下さいっ。それからちゃん付けは止めて下さいって」
撫ぜる手から逃れてきっと相手を睨みつけると、茶髪青年は困ったように肩をすくめた。
「美鈴ちゃんが可愛らしいから、ついね」
「可愛いと言われても嫌なものは嫌なんですっ。止めてください」
むっと顔をしかめ、ねめつける。
まったく誰も彼も自分を子ども扱いして腹が立つといったらありはしない。
確かにあたしは母譲りの小柄で童顔な人間だけど、頭を撫ぜ撫ぜされて喜ぶような年はとっくに過ぎているのだ!
そうやってじっと睨み続けていると、相手はやがて降参とばかりに両手を挙げた。
「分かった。じゃあ今度からは片瀬さんと呼ぶよ。本当はご指摘の通り朝からこっちにいる予定だったんだけど、ちょっとアクシデントがあってね」
「アクシデント?」
「母が倒れたんだ」
「えっ……」
ぼそりと呟かれたニット帽――斉藤昭仁の言葉に、あたしは思わず息を呑んだ。
「あの、それで大丈夫だったんですか」
心配そうに訊ねるあたしを宥めるためにか、弟の方はあくまで飄々と答える。
「うん、平気平気。ちょっと病院泊まるらしいけど、命に関わることじゃないし。それにこういうのって別に珍しくもないからね」
「珍しくないって……」
「うちの一族ってみんな身体弱くってさぁ。特に女性陣。いつだって誰かしら入院しているから、病院のお得意様なの」
「そ、それは大変ですね……」
そのとんでもない台詞に、あたしはちょっと呆気にとられる。
我が家の面子の丈夫さを少し分けてあげたいくらいだ。
そう呟くと淳哉は何故か嬉しそうに笑った。
「ありがとう。それでね、まぁかなり遅くなっちゃったんだけど念のためと思って別荘を見に行くことにしたら、もうびっくり! なんと明かりが点いているだもん。俺ら慌てて扉をノックしたんだけども……って、そういやこの明かりっていったいどこから?」
「いやっ、それはまぁ何と言いますか」
あたしは疑問の矛先を逸らそうと慌てて四苦八苦するはめになった。
まさか建物の地下で眠っていた化け物が、不思議な力で明かりを灯しましたなんて言える訳がないし――。
だけどあたしのそんな努力の甲斐もなく、諸悪の根源は自ら姿を現したのだった。
◇ ◇ ◇
「――遅いっ。下僕の分際で、いったい何をもたもたしておる!」
ルードヴィッヒはこの世の不機嫌の原因はすべてここにあると言わんばかりに、眉をひそめて立っていた。
王様かモデルを思わせる堂々とした足取りで歩いてくる姿は、彼の豪奢な容貌と相まってかなりの迫力があった。
「あ、あの彼はですね……」
その姿を眼に留めたあたしは、何とか言い訳をしようと急いで彼らを振り返ったのだけど、兄弟のぽかんと呆けたような顔に逆に首を傾げる。
彼らはいったい何をそんなに驚いているのだろう。
(――って、あいつ以外の何でもないか……)
あたしは早々とその理由に思い当たってため息をついた。
確かにルードヴィッヒは外見だけを見れば目を疑うほどの美形だ。
ただしそこに性格という要素を加えれば、フォローのしようが無いほどの赤字決算となる。
(本当に無駄な美貌よね)
人間、顔だけ良くても何の意味が無いと言う見事な例である。
もっとも奴は人間ではないそうだから、それでもいいのかも知れないけど。
「……何ですでに――、」
ぽつりと呟かれた言葉にあたしは、「んっ?」と顔を上げるが、そこには昭仁に肘鉄を食らわされ悶絶する淳哉がいるばかりだった。
「いや、一人で来るとだけ聞いていたのでな」
「あ、もしかして彼氏? 俺たちお邪魔だった?」
淳哉の揶揄するような視線を向けられて、ようやく自分の胸元が大きく開いていたことに気付いた。
一瞬のうちに顔が真っ赤になる。
「こ、こいつとはそんな関係じゃ全然ありませんからっ。これは単なるアクシデントの積み重ねと言いましょうかっ」
「こ奴は余の下僕――むぐっ」
とっさにルードヴィッヒの口を塞ぎ乾いた笑いを浮かべたけれど、到底誤魔化しきれたとは思えない。
ぎくしゃくと視線を向けた先で、淳哉は妙に清々しい笑顔で労うようにあたしに言った。
「まぁ、人の趣味にいちいち口出しはしないから――、」
……どうやら恐ろしい誤解が生まれたかもしれない。
あまりのショックに打ちひしがれていると、淳哉はニコニコと笑いながらさらに思いもかけないことを口にした。
「それならさ、二人とも。もし良かったらこれからウチにおいでよ」
ぎょっとするあたしに身をかがめ、彼は視線を合わせながら笑いかけてくる。
「こんな状態の別荘に泊まるのもなんだろうし、あばら家でよければ招待するよ」
「……お二人の家ってどこなんですか」
「この山のふもとだ。車でならば三十分ほどの距離だな。少し離れた場所に自分の4WDが置いてある」
淡々と愛想なく答える昭仁を、あたしは思わずまじまじと見てしまった。
余計なお世話だけど、なんかここまで無表情だと顔の筋肉が麻痺してるのではないかと心配になってくるな……。
もっともそんな兄の分まで表情豊かな淳哉が「だけどね」と困り顔で補足してきた。
「ただひとつ問題があって、まさか二人もいるなんて思ってなかったもんだから車ん中荷物いっぱい積んであるんだよ。だから一人ずつしか乗せられないんだけど、それでもいい?」
まず一人を家まで連れて行って、その後もう一人を迎えに来ると彼は言う。
「でも、本当にそこまで甘えてしまっていいんですか? 斉藤さんたちが大変なんじゃないですか」
「いんや、俺らに問題はナッシング。ただ愛し合う君らが片時も離れたくない、って言うんだったら――、」
「ぜひともお願いしたいと思いますっ」
あたしは間髪容れず深々と頭を下げた。
ただ泊まるだけならまだしも、一晩中この男にこき使われるなんて冗談じゃない。
それを考えたらまさに願っても無い話だった。
「じゃあ最初は美鈴ちゃ――片瀬さんから行こうね。女の子ひとりをこんな所に置き去りにするなんてとんでもない話だから」
「はい、よろしく頼みます」
ひとつ頷いて奥から急いで自分の荷物を取って来る。
言動は多少アレだけど、このふたりは紳士で親切だ。
そうしてさっそく斉藤兄弟に従って別荘を出ようとしたのだけれど、しかしあたしは突然玄関ホールで邪魔を受けた。
ルードヴィッヒが背後から腕を回し、まるであたしの身体を抱き抱えるみたいに拘束したのだ。
「ちょ、ちょっといったい何するのよ」
ぎょっとしてルードヴィッヒを睨みつけるが、彼の視線はすでに庭に出た斉藤兄弟へと向けられていた。
情けないことにその時あたしは、ルードヴィッヒが自分ひとりが置いていかれることに不満を感じているのだとばかり思っていた。
だから目いっぱい首を逸らして、なだめる様に美貌の吸血鬼を見上げる。
「大丈夫よ。あなたも泊めてくれるって言ってたから。ちゃんと後で迎えに来てくれるわよ」
「……ふん、ふざけた真似をしおってからに」
けれどルードヴィッヒはあたしの言葉なんてこれっぽっちも聞いていなかった。
彼はそのままあたしを抱えているのとは逆の手を庭に出ている二人に向ける。それは流れるような優雅な動きで、普段だったら気に留めることもなかっただろう。
しかしその瞬間。
あたしの脳裏にとてつもなく嫌な予感がよぎった。
考える暇など一瞬たりとも無い。ただあたしは庭の二人に向けて大きな声で叫んでいた。
「二人とも、逃げて――――っ!!」
淳哉と昭仁の驚いたような表情が目に焼きつく。
次の瞬間、あたしや花瓶に向けられたものなんかとは比較にならないほど強い衝撃波が、二人に向かって放たれたのだ。