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黒薔薇狂詩曲  作者: 楠瑞稀
第一部 邂逅編
3/15

03 山深き別荘にて

 困ったことがあったら連絡してね。いつでも相談に乗るから。


 弁護士の稲垣さんはそう言ってくれていたけれど、あたしとしてはどうにもこうにも、今すぐここで助けてもらいたい心境だった。

 鍵を貰ってから悩むこと数日。とりあえず一度はその別荘を見てみようと、連休を待ってK県まで足を伸ばすことにした。

 本当は美登里さんも一緒に来るはずだったけれども、仕事の都合上どうしても抜けられなくなってしまい結局あたしひとりが行くことになった。ちょっとした一人旅である。

 下手をするとガス・水道・電気も使えないかも知れないということで、別荘に泊まることは端から考えには入れてなかったのだけれど、むしろその考えすら甘いことに現地でようやく気が付いた。


「別荘というよりは、もはや陸の孤島ね……」


 S山に登り始め早三時間、もう太陽はだいぶ傾き始めていた。

 ようやくたどり着いた別荘は、考えていたものとは大きく予想を違えたもので、鬱蒼とした山肌に聳えるそれはむしろ城という言葉こそ相応しい。雰囲気から察するに築百年は軽くたっているだろう。

 重厚で堅固な洋館の周囲には、人の気配どころか他に建物すらない。


 ……ちょっとこの別荘を建てた人に、いったい何を考えてこんな不便な立地を選んだのかと首根っこ掴んで問い質したい気分だ。


 柵に覆われた信じられないほど広い庭園は、しかし雑草がぼうぼうに生えていてすでに山の一部と化している。この様子では中も推して知るべきだろう。

 あたしは盛大なため息を漏らしつつも、覚悟を決めて別荘の中に足を踏み入れた。  



 

   ◇ ◇ ◇



 

 埃臭いような黴臭いような、どこか重く湿った臭いが鼻を突く。

 下手をすればお化け屋敷も斯くやという有様になっているだろうと予想していたものの、中は思っていたほど荒れてはいなかった。

 まぁいくらなんでも十年二十年放置されてた訳ではないのだろうから、それは当然かもしれない。

 それでも良く見ればあちこち塗装は剥げ埃は堆積しているしで、元は立派な建物だったことが窺えるぶん何とも哀れなものだった。


「――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、か」


 たけきものもついには滅びぬ。どんな立派な建物も、いつかは朽ち果てる運命にあるのだろう。

 多少用法を間違えている気がしないでもないけれど、そう呟いて辺りにきょろきょろと視線を向けると、白い布を被せられた大小の塊が置いてあるのが目に付いた。どうやら全部家具らしい。

 特に部屋の真ん中にどんと置かれた小山を調べてみると、それは古めかしくも大層立派な椅子で、たぶんこの別荘の代々の主が座っていたに違いない。

 歴史を感じさせるインテリアに、思わず「おおっ」と感嘆の声を上げようとしたのだけれど、実際は盛大に舞い上がった埃に咳き込むだけだった。


「……たぶんここ、管理費だけでも馬鹿にならないんじゃないかなぁ」


 憮然と呟いて周囲をぐるりと見回す。

 これだけ立派で、かつ古い建物だ。いくら万物の定めでもこのまま完全に朽ちさせるわけにはいかないし、かと言って頻繁に利用するにはだいぶ不便である。

 結局相続したとしても、これは早々に売るなり譲るなりしなくてはならないだろう。どちらにしてもあたしの手に余ることは確実だった。


「とりあえず、暗くなる前にひと通り見て回ろうっと」


 ため息をつくと、あたしはくたびれきった別荘のさらに奥を目指す。

 ――実はここまでの道のりにかかった時間を考えると、どうやら今日はこの別荘で一晩あかすのが妥当なようだった。

 今はまだ明るいけれど、この分では山を下り切る前に日が落ちるのは明白だ。

 さすがに夜になって慣れない山道を下ろうと思うほどチャレンジャースピリッツにはあふれていない。

 幸いなことに、朽ちかけた別荘に泊まることを怖がるような可愛らしい性格ではないし、野宿同然の一泊であることは覚悟の上。

 でもどうせだったら少しでも居心地のいい場所を探そうと、あたしは別荘の中を探索し始めたのだった。



 

   ◇ ◇ ◇



 

 その部屋は一階の一番奥にあった。

 南向きの大きな窓があり、日当たりも風通りも良く最高に気持ちがいいことが予想される。大きなデスクと本棚が並んでおり、どうやら主人の書斎のようだった。


「へぇ、いい部屋じゃない」


 あたしは室内を見回して思わず相好を崩す。

 たぶん大叔母が使っていたのだろう。どことなく女性的な印象を与える部屋で、自体の装飾も残されたインテリアもどれをとっても持ち主の趣味の良さが窺えた。


「今晩はここに泊まっていこうかな」


 この部屋は他と比べればまだ比較的綺麗な方だったし、しばらく窓を開け放しておけば埃っぽさもおさまるだろう。

 あたしはさっさと一夜の宿を決めると、今度は室内を物色し始めた。

 特に珍しい内装になっているわけでは無いけれど、とにかく歴史のある建造物だ。よくよく見ておいて損はない。

 好奇心の促すままに、あたしはきょろきょろと視線をめぐらせた。とりあえず部屋の中で一番興味をそそられるものと言ったら――、


「書棚に並べられたこの蔵書よね」


 うむとうなずいて壁一面を覆い尽くす巨大な本棚を見上げる。

 別に読書家と言うわけでは無いけれど、こんなふうに古色蒼然と本が並んでいる様を見るのはやっぱり楽しい。

 何となく宝探しをするような気持ちで書棚を覗き込んだあたしは、けれどすぐさま落胆に肩を落とした。


「――どうやら、管理がまったくなってなかったようね……」


 書棚の中身はこの状態のまま放りっぱなしにされていたらしく、だいぶ背表紙が焼けており、薄暗いこの部屋の中ではタイトルを識別することすらも難しかった。

 これではせっかくの価値も半減だ。もちろんこの場合は値段のことだけを言っているのでは無い。念のため。

 でもまぁ、どうせだから一冊ぐらいは手に取ってみよう。

 そう思ったあたしは目に付いた本に指をかけたのだけれど、そもそもそれがいけなかった。その瞬間あたしは、とんでもなく嫌なものに出合ってしまったのだ。


 微かな気配に顔を上げたあたしの目の前にいたソレ。

 糸をつたい、つつーっと音も無く降って来たのは、八本の足をもった悪魔のように恐ろしい生き物。


「く、くく蜘蛛ぉっっ!?」


 ぎゃあっと叫び、思わず大きくのけぞる。

 その悲鳴に驚いたのか、蜘蛛はするすると慌てて天井に逃げていく。それでもあたしの心臓はバクバクと、なかなか静まってはくれなかった。

 ――自慢じゃないけど、足がたくさんある生き物はどうも生理的に受け付けないなのだ……。むしろあの不気味な生き物は今すぐ地球上から滅亡するといいっ。

 そんな無茶なことを考えるのとほぼ同時に、あたしの手元でがたんと音がした。重いものでも動かしたような音に、もしや本を落としたかとぎょっと目を向けたけれど、単に仰け反った拍子に本を一冊手前に引き出しただけだった。


「……変なの」


 なんとも人騒がせな本棚だ。

 鼓動をなだめつつ改めて本を手に取ろうとしたあたしは、しかしここでもう一度驚く羽目になる。

 本棚はまるで立て付けの悪い扉のように、ぎしぎしと音を立てながら開いていったからだ。


「に、忍者屋敷!?」


 いや、西洋建築にそれはないだろうとさすがに思い直す。けれど現在頭の中は、まさしくそんなような言葉でいっぱいだった。

 まるで漫画に出てくるような隠し扉は、そのまま真っ直ぐ地下へ続いている。

 はっきり言って怪しすぎることこの上なし。


「……ちょっと、何なのよこの別荘は」


 ため息をついてあたしは真っ暗な階段を覗き込んだ。

 一体全体こんな仕掛けに何の意味があるのやら。

 常識的に考えるならば、この階段は地下貯蔵庫か物置。果てまた戦時中の防空壕にでも繋がっているんだろう。

 だけどそもそもその入り口に、こんなふざけた仕掛けを施す理由が思いつかない。せいぜいここを作った設計士がよっぽど酔狂な性格をしていたとかそういうことだろうか。

 正直な話、この階段がどこに繋がっているのか興味が無い訳でもなかったけれども、なんだかあたしはこの隠し扉にすさまじく嫌な予感を覚え始めていた。

 こうなれば触らぬ神に祟り無しだ。

 こんな仕掛けには気付かなかった振りをして扉を閉めてしまおう。あたしはそう考えたのだけど、結局それは叶わなかった。


 たぶんこの時すでに、あたしを取り巻く運命の歯車は取り返しがつかないくらい猛スピードで回り始めていたんだと思う。


 扉を閉めるべく振り返ったあたしは、この時完璧に真っ白になっていた。

 顔からほんの三センチの距離に、先程の蜘蛛が呑気にぷらんと垂れ下がっていたのである。

 息を呑み反射的に大きく身を引いたものの、今度は後ずさった先に床はなく――、


(し、しまったぁ~~っっ)


 がくんと体が大きく傾ぐ。

 そんな訳で。

 声にならない悲鳴を上げたあたしは、真っ暗な階段を見事な勢いで転げ落ちていったのだった。




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