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黒薔薇狂詩曲  作者: 楠瑞稀
第一部 邂逅編
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02 降って湧いた遺産相続

 突然だけど、あたしには父親がいない。

 父は物心着く前にすでに事故で亡くなっていて、残念ながらあたしはその面影すらも見事覚えていなかった。

 今でも夫にラブラブな美登里さんは、


「怜さんはね、それは格好良くて素敵な男性だったのよ~」


 と惚気まくりだけど、あたしとしてはこんな頼りない母をひとり残して死んでしまうあたり、その怜さんとやらはちょっと無責任だよなぁと思わなくも無い。

 まぁ、死にたくて死んでしまう人間なんていないから、それはそれで仕方がないのかも知れないけど。


 とにかく、今回あたしに遺産なんてとんでもないものを遺してくれたのは、その父方の親戚だった。

 名前は四ノ宮千草さんといって、正確に言うと父親の叔母、あたしにとっては大叔母に当たる女性だ。

 うちは父の実家とは没交渉ため、実のところあたしは自分にそんな親戚がいたことすら初耳だった。美登里さんも父の親類縁者についてはほとんど聞いたことがないらしく、会った事はないとのこと。


 縁もゆかりも無いとは言わないが(何しろ血は繋がっている訳だし)、それでも一度も顔を合わせたことが無いあたしに、どうして遺産なんか贈ろうと思ったのだろう。本人に直接聞いてみたいものだが生憎すでに墓の下だ。

 だから当人に会う代わりに、あたしは詳しい事情を聞きに都内の弁護士事務所まで、足を伸ばすことにしたのである。


 

   ◇ ◇ ◇


 

 昭和通り沿いのビルの四階。それなりに繁盛が窺える弁護士事務所の片隅であたしの対応をしてくれたのは、どうにも頼り無さげな若手弁護士だった。

 きっと三十にも達してないだろう。

 顔立ち自体はそれなりに整っているし、スポーツでもやっていただろう、体格も引き締まっている。なのにそうした見かけを裏切るように、良く言えば気の良い、悪く言えば覇気に欠ける印象が彼にはあった。


「ええっと、片瀬美鈴ちゃんだったよね。私は稲垣健司と言います」


 あたしは差し出された名刺を受け取るが、学生の身では何も返すことができない。仕方がないので白い紙を湯飲みの脇に置き頷いてみせた。


「今日はお父さんかお母さんは一緒でなくて大丈夫かな?」


 弁護士の稲垣さんは、私に向かって戸惑ったようにたずねる。

 あらかじめ電話で、訪問するのは一人だと伝えておいたけれど、実際のあたしを見て少し不安になったようだ。確かにあたしは実年齢よりもだいぶ幼く見られがちなので、その気持ちも理解できなくはない。

 でも、今日は話を聞くだけのつもりだったし、ああ見えて美登里さんも仕事が忙しいので、実際の手続きに入るまでは同行は必要ないと断ったのだ。


「はい、問題ありません。だけど『ちゃん』付けで呼ぶのは、止めて頂けませんか」


 さして険を含ませて言った訳ではないのだけれど、無意識に軽く睨みつけていたようで、若手弁護士はおろおろと慌てた様子でうなずいた。


「そ、そうだね。年頃の女の子にはちょっと無神経だったね。ごめんね」


 そして、恐縮したように首をすくめる。

 ……何と言うか、色んな意味で不安になる。

 こんな弁護士で大丈夫なのかと思うけれど、事務所は繁盛しているようなので問題ないと言うことにしておこう。


「それで、いったいどうしてあたしが遺産を相続しなければならないんでしょうか」


 気を取り直すと、あたしは差し出した封筒を前にちょっと渋面を作ってみせた。

 確かにうちには父親はいないけど、所詮は母一人子一人の生活だ。別に生活が困窮していると言うこともない。

 正直、遺産なんて複雑な手続きの伴う面倒臭いものを押し付けられても迷惑なだけだった。


「う~ん、だけどそれが故人の意向なんだ」


 稲垣弁護士は、困ったように眉尻を下げる。

 会ったこともない大叔母は、死ぬ前に残した正式な手続きの遺言状に財産受取人の一人として、しっかりあたしの名前を書き記していた。


「でも、受け取り拒否だって出来るんでしょう。別にあたしは必要ないから、他の相続人の人たちで分けてもらってください」

「うん、普通だったらそれも構わないんだけどね」


 彼は言い難そうにちょっと口ごもる。


「実は今回はもし君が受け取りを拒否した場合、残りの遺産も含めて全てボランティア団体に寄付されることになっているんだ」

「なんですか、それは!?」


 あたしは思わず目を丸くした。

 耳が聞くのを反射的に拒否したためか、意味がよく飲み込めない。

 だけどやがておそるおそる、脳みそが思考を再開した。


「――要するに、あたしが受け取らないって言ったら、他の人たちの受け取り分もすべてパァになっちゃうとか、……そういうことだったり」

「うん、そういうことだね」

「じ、冗談じゃないっ!!」


 あっさりとうなずく稲垣弁護士に、思わず大声で叫んでしまう。そして周囲の視線の集中放火を浴びてしまい、あたしは真っ赤になって縮こまった。

 だけどこれは、本当にとんでもない話だった。

 あたしの意思ひとつで莫大な遺産の行方が決まる。

 しかもそれはあたし一人の問題ではなく、多くの見知らぬ親戚たちの命運も分けてしまうかもしれないのだ。

 はっきり言ってこれでは、遺産を受け取ることを強制されたようなものである。


(ちくしょ~、大叔母さんめ……)


 あたしは会ったこともない大叔母に怨嗟の念を送ったが、相手はすでに鬼籍に入っているためもはや意味はない。

 だけどやっぱり、なんでこんな厄介なことをしてくれたんだっ、と恨めしく思う気持ちは一向に尽きなかった。


「~~っ、あの、それで他の相続人の方たちは何て仰っているんですか!」


 とりあえず、この際遺産をどうするかはひとまず置いておくとしよう。

 だとしてもその部分だけは、どうにもはっきりさせておきたかった。

 もしかすると彼らは赤の他人も同然のあたしが、その一部であれ遺産を受け取る事を快く思っていないかもしれない。

 一昔前のドラマみたいな骨肉の争いとまでは言わないけれど、遺産を巡るにごたごたに巻き込まれる可能性もないとは言えないし。

 だから一応先にあちらさんの意向を確認しておこうと思ったものの、そっちは意外なほど何の問題も無かった。


「他の皆さんも、あなたが遺産を相続することに異議は無いようです」

「はぁ」

「相続した後は売るなり使うなり好きにしてくれていいけれど、とりあえず一度は受け取って欲しいそうです。もし良ければ遺産の手続きや管理を受け持っても構わないと仰ってましたよ」

「そ、そんなにいたれりつくせりで本当に構わないんですか」


 こんな都合の良い展開に何らかの罠があるのではと怯えるあたしに、稲垣弁護士は気の抜けるような表情でのほほんと頷いた。


「できる限り故人の意向に沿いたいそうです。まぁ、何も今すぐここで決めなきゃいけない訳でもないので、ゆっくり考えてくださいね」


 どうせだったら、実際に現物を見てから決めて頂いても構いませんので。そう言ってじゃらりと鍵の束を手渡される。


「これが建物の鍵になります」

「た、建物!?」


 思っても見ない言葉に慌てて手紙の内容を読み返すと、そこには〈片瀬美鈴、K県S山の別荘を一軒相続〉としっかり書いてある。


「不動産物件だし……、」


 改めて気付いたその事実に、あたしはくらりと眩暈をおこしたのだった。




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