復讐の街
約束の3000万や、あんじょう頼むで。
せやけど、アンタ何で毒蛾いうて名乗っとるんや?本物ちゃうやろ?銃を使わん殺し屋¨毒蛾¨。
ワシがこの世界に入って、まだチンピラやった頃から聞いとる通り名や。アンタほど若い筈ないわな。おっと、いらん詮索やな。そないな怖い顔せんでもええがな。アンタが本物でも偽物でもかまへん。腕が確かなんはよう分かっとる。
ほな、頼んだで、ワシが組織のトップになるかならんかの瀬戸際やさかい。
1.
大阪市営地下鉄中央線谷町四丁目駅。
橘遥は、駅を出て中央通りを南側に渡った。
目の前には、左右に長く延びる大阪医療センターの外塀が迫る。歩道を、右にいけば中央通りと谷町筋との交差点、左は中央通りと上町筋との交差点に突き当たる。
遥は、歩道を左に進んだ。
左手には、中央線の真上を走る、阪神高速の法円坂のインターが見える。
上町筋に、突き当たる。左に行けば大阪城や府庁や府警、さらにその先のオフィス街へと続く。
遥は、右に曲がり医療センターの塀沿いに歩いた。
通りの反対に面しているのは、難波宮跡公園だ。
医療センターの南東の角まで来ると、交差点の対角にある、セブンイレブンに足を向けた。
家に着く前に、このセブンイレブンでフランクフルトを買って帰るのが、遥の日課であった。
セブンイレブンを出ると西方向に、横断歩道を渡る。内久宝寺町2丁目。ちょうど、医療センターの南側にあたる場所に、遥の現在の自宅は有る。
グランパレス大阪城前。
地上15階建ての分譲マンション、その12階の4LDKが遥の自宅だ。
大阪城前というには、些か無理が有る気がしないでもないが、遥は、割と気に入っている。
自動ロックの暗証番号の4桁の数字と入力すると、エンターキーを押す。
ピッという電子音が解除を知らせる。
自動ドアをくぐり、エントランスを真っ直ぐ正面のエレベーターに向かう。
エレベーターに乗り込み、振り向いた遥の目が、エントランス入口脇の柱に、サッと身を隠す人影を捕えた。
閉まりかけたドアを手で制して、遥は、柱を注視した。
動きは無い。遥が、エレベーターを降り、2.3歩踏み出すと、柱から人影が飛び出し、谷町筋方面に身を翻した。
誰なのだろう。
大阪に居を構えて約2年、遥は個人的な人付合いは、全くと言っていい程避けて来た。
それでも可能性を考えれば、それこそ無限と言える。
こちらが、意識していない見も知らぬ相手かも知れない。
ストーカーなんて何の弾みで湧いて来るかも分からない。
遥は、踵を返すと再びエレベーターに乗り込んだ。
12階まで上がり、左手に進んで、一番端の1001のナンバープレートのドアに鍵を差し込む。
ドアをくぐり、
「ただいま」
と、声をかけた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
竹浦尚介が迎えに出て来た。
白髪をオールバックに撫で付け、一分の隙も無い慇懃な動作で、恭しく遥を迎える。
髪は全て白髪ではあるが、まだ60は越えてない筈だ。
竹浦は、遥の生家である橘の本家に仕える執事である。
2年前、遥が大阪に移り住む際、祖母の葵が身の回りの世話にと同行させたのだ。
遥としては、監視役が付くのは迷惑だったが、家事全般何一つ出来ない遥にとって、有り難い存在でもある。
「何か変わった事は?」
「いえ、特には…」
「アイツの情報は?」
「今のところ、これと言って何も。」
「そう…」
「お嬢様。」
「何?」
「葵様からお電話がございました。」
遥は、ウンザリした。
「どうせ早く帰ってこいって言うんでしょう?」
「はい。」
「ほっとけばいい。」
橘の本家は、横浜の西区宮崎町、紅葉坂教会の向かいに、約400坪の敷地面積を誇る日本家屋だ。
はっきり言って、遥はお嬢様と呼ばれるに相応しい、家系の娘であるが、果して、その本家の稼業が何かというと、遥もイマイチよく分かっていない。
「お嬢様、差し出がましいとは思いますが、私も葵様と同意見でございます。」
遥は、そう言った竹浦をキッと睨みつけ、
「諦めろって言うの!私から父様を奪ったアイツを!冗談じゃ無いわ!たとえ、どんな事があっても、婆様が何と言おうと、私は、アイツを絶対に赦さない。必ずこの手で父様の仇は取る!竹浦…嫌なら貴方一人で帰ってくれて結構よ。」
「お嬢様…」
「この事だけは、絶対に譲れないの…お願い、竹浦、他の事なら何でも聞くから、これだけは…」
「分かりました。」
「ありがとう、竹浦。」
「他の事なら聞いて頂けるのですね?」
「えっ?」
「では早速、そこにお脱ぎになった、コートとカーディガンとおかたずけ下さい…今すぐにです。」
「はい……。」
藤堂剛は、ケータイの唐獅子牡丹のメロディーで目覚めた。
ケータイを開き、着信を確かめる。
子分の橋詰和哉からだ。
藤堂は、通話ボタンを押して耳に当てた。
「何や?」
「親父っさん!大変です!」
和哉の切羽詰まった声が飛び込んで来た。
「何や、慌てて。どないしたんや!?」
「神林の叔父貴が殺されました!」
「何やて!?どういうこっちゃ!」
「詳しい事はまだ、分かりまへん。けど、叔父貴ンとこだけやのうて。ウチの事務所にも警察が来てますねん。ほんで、親父っさん何処や言うんで、頭が親父っさんは、東京の方に出向いてるて誤魔化しましてん。せやから、とりあえず落ち着くまでガラかわしてもらえ言うて…」
「…ほんで、お前今、何処や?」
「天王寺の駅前です。」
「ほな、5分で来れるな。分かった、すぐ準備するよって、急いで来い!」
藤堂は、素早く着替えを済ませ出掛ける準備を始めた。
「どうしたの?」
隣りで寝ていた緑が、目を覚ました。
「神林の兄弟が、殺されたらしい…」
「神林さんが!?」
「ほんで、ワシは東京へ出向いとる事になっとるさかい、もし、警察が来よったらそう言うてくれ。」
「分かりました。」
藤堂は、マンションの表に出ると、和哉の姿を探した。
「親父っさん、こっちです。」
声の方を向くと、和哉が車のドアを開けて待っていた。
「何や?この車は?」
停まっていたのは、シルバーのタントだった。
「すんません。親父っさんの車は、警察にマークされてますし、移動中に止められたら面倒や思いまして、ツレの車借りて来ましてん。」
「まあ、ええわ。」
藤堂は、助手席に乗り込み、
「ヤサは決まっとんのか?」
と、尋ねた。
「空堀の商店街に、高校ン時のツレがやっとるお好み焼き屋がありまして、そこの2階の部屋を借りてます。時間が無うて狭いところですけど、勘弁して下さい。」
「他に誰がおるんや?」
「祐輔が、部屋の方に先に行ってます。」
「ほうか。とりあえず車出せ。」
和哉は、アクセルを踏み込み車を発進させた。
関西最大の暴力団組織、仁柳会は藤堂が組長を勤める藤堂組、殺された神林辰雄が組長である神林組、辻村亮介の辻村組、鍋嶋一秋の鍋嶋組の4団体で構成されており、さらにその傘下には無数の小団体があり、その全ての構成員の数は3万人とも言われている。仁柳会会長の柳川晴臣は、長患いの糖尿病に加え、先年胃癌を発病して一線に復帰出来る見込みは無いと言われている。
これにより、仁柳会内は現在、跡目相続の問題が上がっていた。先月の定例幹部会で、神林を次期会長候補とする事を、幹部会の総意として決定する筈だったのだが、辻村亮介が1人反意を示したのである。
実は、辻村は会長の柳川が妾に産ませた実子であり、一粒種だ。
そのせいか、柳川は辻村を可愛がっていた。
驚いた事に、柳川の正妻である久恵も、辻村を猫っ可愛がりしていた。
2人は、密かに辻村を次期会長候補に、という思いを持っていた樣だが、さすがに、幹部会の意見を無視する事は出来ず、神林の次期会長候補を容認していた。
そんな中、神林が殺害される事件が起こったのである。
仁柳会次期会長候補の神林殺害の一報は、大阪府警本部にも衝撃が走った。
直ちに、事件の起こった所轄の南港中央署に捜査本部を設け、120人の捜査員を投入した。
即座に、捜査会議が開かれ担当管理官の中西勉警視より、今回の事件は、仁柳会の跡目相続の内部抗争と見られる事、抗争の拡大が予想される事から府警本部、所轄の南港中央署のみならず、大阪市内各署の協力を仰ぎ、警戒体制を敷く事、どんな小さな事案も、直ちに捜査本部に報告する事などが、全捜査員に通達された。捜査会議が終わり、会議室を出ようとした大阪府警本部捜査4課の蒲田英彦巡査部長は、その中西管理官に呼び止められた。
「蒲田君、ちょっとええか?」
「あ、管理官、何ですか?」
「会議中、城ケ崎さんの姿が見えへんかったけど、何処におるんや?」
「さあ?」
蒲田は、首を傾げる。
「またぞろ、1人で勝手な事してるんちゃうやろな。あの人のスタンドプレーには毎回、困っとるんや。」
そうだろうなあ、と蒲田は中西に同情した。
「君に、あの人のお目付け役頼むで。」
「ええっ!そんなあ…」
蒲田は、ついさっき抱いた同情心を返して欲しい思いだった。
中西は、含みの有りそうな表情で蒲田の顔を覗き込む。
「…な、何ですか?」
「君、もうじき昇進試験やろ?警部補の…ん?」
「そうですけど…」
「私を、味方にしといた方が何かと得やで。」
そう言って、中西は立ち去った。
蒲田は、深いため息をついた。
昇進試験の便宜を図ってもらえるのは有り難いが、その見返りがハイエナのお守りとは。
蒲田は、もう一度ため息をついた。
川口祐輔は、浮かれていた。
自分が、属する組織の幹部が殺されたというのにと、自分に言い聞かせようとしても、どうしても顔が緩んでしまう。
実は、祐輔が密かに恋心を抱いている女の自宅を、ひょんなことから知る事が出来たのである。
祐輔が、その女に初めて会ったのは、電車の中だった。
市営地下鉄御堂筋線、江坂駅から乗り込んだ祐輔は難波に向かっていた。
その女は、東三国から電車に乗り込んで来た。
祐輔は、一瞬にして恋に落ちた。
女は、本町で降りて行ったが、祐輔は、ただただ見とれるだけだった。
我に返った祐輔は、何で声をかけなかったかと、後悔したが遅かった。
それが、半年程前の事である。
ところが、2週間前に再び女に会った。
同じく、難波に向かう為に、御堂筋線に乗っている時だった。
女は、その時は淀屋橋から乗り込んで来た。
そして、再び本町で降りて行った。
どうやら、本町駅が女の行動範囲のキーポイントと考えた祐輔は、今日、ここへ向かう途中、本町駅で女が現れるかもと淡い期待を抱いて、ホームを行ったり、来たりしていたのだが、淡い期待が実現する事など無く、諦めて中央線に乗り込んだ。
すると、谷町四丁目で下車した祐輔の一輌前の車輌から女が降りたのだ。
本来なら、ここから谷町線に乗り換えるのだが、祐輔は誘われる樣に、女の後を追った。
女は、駅を出ると中央通りを渡り上町方面に向かった。
途中、セブンイレブンで買い物をすると、ちょうど医療センターの東側をコの字型に回り込む形で、内久宝寺町へと歩いて行く。
女は、通りの途中にあるマンションに入って行った。
祐輔は、エントランス脇の柱から女の後ろ姿を見つめる。
ところが、エレベーターの中で振り向いた女と目が合ってしまった。
咄嗟に、柱に隠れたが、そっと覗くと女はエレベーターの扉を押さえてこっちを見ていた。
さらに女は、エレベーターを降りてこちらに向かって来た。
やばいと感じた祐輔は、身を翻し谷町筋方面に走り出した。
途中で振り向いてみたが、女が追って来る様子は無かった。
安心した祐輔は、本来の目的である空堀商店街のこのお好み焼き屋へ、やって来たのだった。まだ、名前も知らない女と何とか知り合える方法は無いかと考えているところに、和哉が組長の藤堂を伴ってやって来た。
「親父っさん、ご苦労さんです。」
「挨拶はええ。何か分かったか?」
「はい。神林の叔父貴の死体が発見されたんは、ホテルハイブリットエージェンシー大阪です。」
「何処や、それは?」
「南港のポートタウンです。」
「ポートタウン?そないな所で何しとったんや?」
「それが、デリヘルの女を、呼んどったみたいで…」
「デリヘルやて?たかがデリヘル女相手に、そんなええとこ使うっとったんか?」
「いえ、神林の辰見さんに聞いたんですけど、叔父貴は、前々から朱美さんに内緒でデリヘルを利用しとったらしいんですけど、いつもは谷四の角っこの西横インを使うっとったらしいです。」
「けど、今日に限ってポートタウンか…発見したんは誰や?」
「多分、そのデリヘルの女やないかと…警察に通報したんはホテルの方かららしい言う話しです。」
「そうか…ほんならその女は、警察で事情聴取されるとるな…所轄は何処になるんや?」
「南港中央署です。」
「ほんなら、お前ら車で張っとけ。どうせ捜査本部の設置や何やかやで右往左往しとるやろ。事情聴取が済んだらすぐにでも解放されるやろ。その女拾うて来い。」
祐輔は、和哉と共に南港中央署に向かった。
驚きましたで。
噂に違わぬ凄腕や。
依頼して3日もせんうちに神林のボケ始末してまうなんてなぁ。
さすがや。
もっと早うアンタの事を知っとったら色々やりやすかったけどな。
まあ、これからも宜しゅう頼むわ…がっ…あが…何さらすん………