雨の日
国民の祝日に関する法律(抜粋)
第二条 「国民の祝日」を次のように定める
【元日】1月1日 年のはじめを祝う。
【成人の日】1月の第2月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
【建国記念の日】政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
【春分の日】春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
【昭和の日】4月29日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
【憲法記念日】5月3日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
【みどりの日】5月4日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
【こどもの日】5月5日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
【雨の日】6月の条件を満たす二日 国土の四季の豊かさを感じ、天の恵みに感謝する。
【海の日】7月の第3月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
【敬老の日】9月の第3月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
【秋分の日】秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
【体育の日】10月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
【文化の日】11月3日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。
【勤労感謝の日】11月23日 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
【天皇誕生日】12月23日 天皇の誕生日を祝う。
附則(平成××年○月□日法律第**号)
1 雨の日の決定は内閣総理大臣が行う。
2 この法律は、平成×△年1月1日から施行する。
平成××年○月□日に改正された国民の祝日に関する法律に盛り込まれた『雨の日』について、各方面で波紋が広がっている。『雨の日』とは六月に祝日が一日もないことから考えられたものだが、それが六月の何日なのかは定められていない。定められているのは二日間ということと、内閣総理大臣が決定するということだけだ。これについて、A総理は「日本人はあくせく働き過ぎている。年に一日や二日予測できない祝日があってもいい」と述べ、さらに「日本人はもともと季節感を大切にしてきた。雨が降ったら休み、これが原点だよ」と続けた。今回の改正は、平成十年の改正で導入されたハッピーマンデー制度に続く大幅な改正で、政府としては、有給休暇などの取得率が進まない現状に対する対策の一つとして位置づけているようだ。もっとも、現実問題として、突然今日は祝日だといわれても休むことが難しい学校、企業は多く、その運用がどうなるのかを危惧する声が多い。また、カレンダーや手帳などを制作している業者などは、日付の特定されていない『雨の日』対策に頭を抱えている。野党からは、再来年の施行に向けて早急に日付を決定すべきだとの声も上がっており、今後の動向が注目される。
(M新聞 平成××年△月※日)
平成××年▽月*日『雨の日』の運用に関する検討委員会が最終案を政府に提出した。内容は以下の通り。
『雨の日』は、日本国土の60%以上の地域で、午前6時から午後6時までの12時間の間に、平均して1時間あたり25㎜以上の降雨が6時間以上続くことが見込まれる日とする。その判断は気象庁による前日午後6時時点の予報に基づいて、内閣総理大臣が午後8時までに決定する。国民への周知には、各自治体、報道機関などの協力を仰ぐものとする。なお、6月14日までに該当する日が一日もない場合は6月15日を一日目の『雨の日』とし、また6月29日までに次の該当する日がない場合は、6月30日を『雨の日』とする。
(M新聞 平成××年□月◎日)
* * *
しとしとと雨が降る商店街のはずれ。
重厚さと古めかしさが独特の雰囲気と近寄りがたさを醸し出す小さな喫茶店。
「雨の日? そうか、だからランチのお客さんが少なかったのね」
カウンターの内側で、エプロンを着けた喫茶店のママが小さくため息をついた。
「知らなかったんですか?」私は素っ頓狂な声をあげる。「昨日の夜も、今朝も、テレビであんなに大騒ぎしていたのに」
「夜はテレビはあまり見ないの。朝はお店の準備でどたどたしていたし。それにね、雨の日って、そういう意味だとは思わなかったわ」
『雨の日』は、今年から導入された祝日だ。6月に祝日をつくるにあたって、政府は雨の予想降水量によって翌日を休みにする(二日まで)という無茶なことを決めた。そして、今日は史上初の『雨の日』だ。
「たしかにお客さんが『雨の日ですね』って言っていたわ。それって、たんに雨が降っているって、それだけの意味だと思っていたわ」
「なるほど」
ママがふっくらと笑う。私もつられて笑い返し、お気に入りのカフェオレを口に運んだ。
「ミエちゃんのお勤め先は、『雨の日』だとお休みになるの?」
「いいえ、やってますよ」
「あら、じゃあサボリ?」
右手で口をおさえて、ママがちょっと驚いた顔をする。ミエちゃんこと私は、小さく胸の前で手を振った。
「違います。会社はやってますけど、休んでもいいんです。だってほら、祝日ですから。出勤すれば休日手当がつきますけどねえ」
私が務めているのは事務用品の卸をやっている小さな会社だ。決して景気が良いわけではないが、なんとか食べていけるだけの商売をしている。のんびりした社風で、休暇なども取りやすい。事務職の私たちがひとりふたり抜けたからといって業務に支障もない。総務課長などは、手当がもったいなから『雨の日』は休めと公言してはばからなかった。
昨日の夜、テレビで『雨の日』が決まったことを知って、私は休むことにした。祝日だからわざわざ連絡を入れる必要もないのだろうが、一応総務にはメールを打った。
そして、今は喫茶店でママとおしゃべりをしている。
「『雨の日』って二日あるんでしょ?」
「ええ。6月中に二回です」
「雨が降らなかったらどうなるの?」
「6月の14日までに条件に当てはまる日がなかったら15日が、そのあとは30日が、自動的に祝日になるんですって」
「へえ。でも、それなら15日と30日をお休みに決めちゃえばいいのにね」
「本当ですね」
ママの言葉に表面上は頷きつつも、わたしは心の中では首を振った。
いつだかわからない祝日──それってとてもロマンチックじゃない?
カレンダーを見て、時計を見て、そうやってカチッカチッと刻まれていく日々に、何時やってくるかわからない祝日が彩りを添えてくれる。
ドキドキ、ワクワク、予測できないなにかが起きそうな祝日。『雨の日』。
だから、私は『雨の日』の賭けに乗った。
窓の外にしとしとと降る雨はやむ気配がなく、このまま明日も『雨の日』になってしまいそうな予感さえする。
そうしたら──賭けは負けだ。
そうだ、てるてる坊主でもつくってみようか?
こんなに空模様が気になるなんて、小学校の遠足以来かもしれない。
ふらりと入った古ぼけた喫茶店のカウンターで、店のおばちゃんと客の女が『雨の日』の話で盛り上がっていた。
彼女たちに悪意がないことはわかっているが、俺は立ち上がって叫びたくなった。
──ふざけるな! と。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
怒りに震える手でコーヒーをぐっと飲み、どんと勢いよく置いた拍子に、コーヒーの飛沫が辺りに飛んだ。それは、すぐ脇に置かれた書類に点々と茶色の染みを穿つ。
「……」
徹夜で完成させたプレゼン資料。その、哀れな末路であった。
今朝、完成した資料を抱えた俺は、傘を差す手ももどかしく家を飛び出した。一分単位で電車の乗り継ぎを組み立て、駅で快速電車に飛び込んだ。そして、信じられない車内アナウンスを聞いた。
「本日は、休日運転のため、○○○駅は通過いたします」
は? え? 休日?
『雨の日』のために、突如休日運転となっていた電車のために、俺は予定外の乗り換えをする羽目になった。ロスタイムは15分。
『雨の日』だから会議は中止だよ、という展開に淡く期待をしてみたが、クライアントはそんな甘っちょろいことを言うはずもない大企業で──会議への遅刻は五分程だったにも関わらず、会議の席で担当者は言ったのだった。
「プレゼンは結構です」と。
正直なところ、俺の企画が採用される確率は半分くらいだった。いや、うちを含めて三社がプレゼンをすると聞いていたから、正確には三分の一か。それでも──聞いてもらえないというのは想定外だ。
前日のニュースをチェックしなかった俺が悪いのだろうか?
いや、こんな変な祝日をつくった政府が悪いのだろうか?
律儀に休日ダイヤにした鉄道会社が悪いのだろうか?
祝日だっていうのに会議を予定どおりに行うクライアントが悪いのだろうか?
プレゼンを俺ひとりに任せた課長が悪い気もする?
そもそも、こんな日に降る雨が悪い──
怒りの矛先をどこに向けたらよいかがわからず、俺は途方に暮れていた。
カウンターで話す女は『雨の日』が嬉しいようだった。会社も休みのようなことを言っていた。日本中が等しく祝日のはずなのにこの差はなんだ? いったいなんだ?
スーツのポケットの中で携帯電話が震えている。
「!」
着信は会社から。おそらく課長だろう。報告を──まだしていない。
なんて言えばいい?
どうやって説明したらいい?
手の中でブルブル震える携帯電話に、俺は──
ママとの会話が一段落して、ぽっかりとした静寂が店の中に訪れた。
ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ、という携帯電話が震える音がする。
私か、と思ってあわててポケットから携帯電話を取りだして──違うことを確かめて、ついつい誰の携帯電話かと辺りを見回してしまう。
窓際のテーブルにスーツ姿のサラリーマンがいた。
彼はテーブルの上に置いた震える携帯電話を眺めていた。と、突然コーヒーカップを持ち上げて──
「!」
私は思わず椅子から飛び降りると、彼の携帯電話に飛びついた。
「熱っ!」
声を上げた私を、スーツの彼が驚いた顔で見上げた。
「ちょっとそれ! コーヒー」
「え?」
「え、じゃないわよ」
なんと、彼は携帯電話にコーヒーを飲ませようと──いや、コーヒーをかけようとしていたのだ。
携帯電話は私が救い出した。でも、テーブルの上はコーヒーの洪水で大変なことになっている。なんだか重要そうな書類もコーヒーまみれだ。
呆然としている彼を尻目に、私はママから台ふきんを借りるとテーブルの上を拭いた。書類はとんとんと軽く叩いて水気を吸う。染みはどうしようもない。
マナーモードでブルブルと震えていた携帯電話は、いつの間にか静かになっていた。
「はい」
携帯電話を差し出すと、彼は恐る恐るそれを受け取った。
「壊れるわよ、コーヒーなんか飲ませたら」
「……」
見たところ、仕事に失敗したサラリーマンという感じだった。おそらく、間違いないだろう。会社からの連絡に出られず、いっそのこと携帯電話を壊してしまおうか──そんなところだったのではないだろうか。かわいそうではあるけれど、携帯電話を救い出したところで私ができることは終わりだ。
「あんた……『雨の日』が嬉しそうだな……」
カウンターの自分の席に戻ろうとした私に、彼が小さく呟いた。
「え?」
「さっき、嬉しそうに話してた。いいよな、お気楽なOLは……」
「……」
彼の目は、何かに突っかからずいられない──そんな雰囲気が溢れていた。
無視──普段の私だったら当然無視だったのだが、今日は『雨の日』だ。何かが起きる予感に満ちたサプライズの祝日。ちょっとした面倒事も、刺激のひとつとして甘んじて受ける気持ちがあった。
私が聞く態勢を取ったことで、彼は堰を切ったようにしゃべり始めた。自分がいかに『雨の日』の犠牲になったかを──
はたと気がつくと、カウンターの女と店のおばちゃんが俺の話を聞いていた。
俺は──初めて会った女に『雨の日』への不満をぶちまけていた。なんというか──もう何でもいいか。これで、実はこのOLがクライアントを陰で牛耳る黒幕秘書だったりしたらびっくりなのだが──たぶんそんなことはない。
「それはついてなかったわね。ご愁傷様」
「同じ祝日なのに、俺とあんたじゃ随分と違う祝日だな」
「それは違って当然よ。一億人の日本人がいれば、一億通りの『雨の日』があるわ」
二十代後半くらいの地味な女は、教科書どおりの答えを口にした。
「人生には本人の努力じゃどうしようもないこともある。一から十まで思い通りになるのなんて面白くないでしょ?」
これも何だか聞いたことがあるような答えだ。
「そうね。今日の売上は雨にたたられたわ」と店のおばちゃん。
「じゃあ、努力は無駄だって言うのか? 昨日徹夜した俺の努力は無駄だって? 雨が降ったから、『雨の日』だから諦めろって?」
「すべてを諦めろなんて言わないわ、もちろん。ただ、今日が『雨の日』になったことだけは諦めるしかないんじゃない? 失敗は失敗として次善策は考えたの?」
「関係ないあんたは気楽に言うけどさ……」
「もちろん。私は私のことで精一杯だもの」
「ここでのんびりコーヒーを飲むことが精一杯なのか?」
「……まあね」
女の顔に微かに差した陰にどきっとする。
なんだ? 今の──
単なるお気楽OLの暇つぶしかと思ったが、一瞬垣間見えた何かが、俺の詰問の勢いを削ぐ。
ふわっと、香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐった。
「はい、淹れ直したわよ」
「あ、どうも」
おばちゃんだった。
ブラックのまま苦いコーヒーを口に含むと、すーっと心が落ち着いていく気がした。
しとしとと窓の外に雨が降っている。
間断なく続く雨の音は、とても静かで、音のない世界に放り込まれたような気がしてくる。
そうして──その静けさの隙間に、さっきの女の言葉が忍び込んできた。
「なあ、あんた今、何に精一杯なんだ?」
私には、つき合って5年になる恋人がいる。
先月、年下のその恋人にプロポーズをされた。それはずっと望んでたことであり、とても嬉しいことでもあったのだけれど──
何かが──私の心に忍び込んだ。
「……ありがとう。とても嬉しいわ。でも、返事は今すぐじゃなきゃだめ?」
彼はとても傷ついたような顔をした。
「何で? 何かあった?」
「何もないわ。何もなさ過ぎるほどよ」
ひとはそれをマリッジブルーなどと呼ぶのかもしれない。いつかもっと素敵なことが起こると信じ続けるシンデレラシンドロームと呼ぶのかもしれない。
プロポーズに黙り込んでしまった私に、やがて彼が言った。
「じゃあこうしよう。来月の君の誕生日。その日が『雨の日』だったらプロポーズを受けてくれる?」
「……違ったらどうするの?」
彼は困ったような顔をして、「考えてないけど」と言った。
私の誕生日は6月24日だ。6月のある特定の日が『雨の日』になる確率は三十分の二。しかし、梅雨の時期であることを考えれば、月末近い私の誕生日が『雨の日』になる確率はずっと低くなる。
でも──私はその賭けに乗った。
それだけの確率を乗り越えられるなら、それは十分劇的で ──私の意味不明なブルーも吹き飛ばしてくれるに違いない。
「大丈夫、俺たちは運命の赤い糸で結ばれているんだから」と彼は言った。
今日はまだ6月の上旬。一回目の『雨の日』。
私はこの賭けに勝てるだろうか。
いや──そもそもどうなったら私の勝ちと言えるのだろうか?
「もし……」
賭に負けたらどうするのか──と俺は言おうとして、そして口をつぐんだ。
なんというか、敗色濃厚な気がしないでもない。敗者は女ではなく、女の恋人だ。でも、勝ったらそれは、確かに劇的だ。
「負けたときのことは今は考えていないわ」
女の目に微かな陰りと、そして強い光が宿る。考えていないとは言っても、言葉にしていないだけで想いは溢れているように見える。
「賭けなんてやめるって選択肢はないのか?」
「無いこともないけど。あなたが気を取り直して会社に戻るくらいにはね」
「……」
──そうだ。そうだった。
俺は見ず知らずの女のことにかまけているような場合ではないのだ。
目の前にある染みだらけのプレゼン資料。
今回はもうしくじってしまった。しくじってしまったのだから仕方がないじゃないか。でも、クライアントはあそこだけではないし、次こそ今回の失敗を取り返すくらいの契約を取れれば──
考えてみれば、課長は今回、俺ひとりで行ってこいと言ったんだ。もしかしたら、俺の失敗なんて織り込み済みなんじゃないだろうか。こんな間抜けなしくじり方は想像していなかったかもしれないが。もちろん──怒られはするだろうけど。
俺はちょっと背筋を伸ばしてみる。そうして、小さく深呼吸をする。──人生は山あり谷ありだ。無理して劇的なんか望まなくても、俺の人生はきっと起伏に富んでいるはずだ。
ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ、と携帯電話が鳴る。課長だ。
俺はあわてて代金をテーブルの上に置くと、携帯を掴んで立ち上がった。なんとなく、この店内で課長の小言は聞きたくなかった。でも、今度はちゃんと電話には出る。
「ありがとうございました」
おばちゃんの声が俺を送り出してくれる。
外は雨が降り続いている。
「『雨の日』上等!」
俺は空に向かって小さくつぶやくと、携帯電話の通話ボタンを押した。
どたどたとスーツ姿のサラリーマンが店を飛び出していった。
「お代わりいる?」
「ええ、下さい」
優しい香りをくゆらせたカフェオレボウルが私の前に置かれる。私はその香りを楽しみながら思う──
実はサラリーマンには話していない賭けがもうひとつある。私がひとりで──心の中だけで張っている賭け。もしその賭けに勝ったら、誕生日のほうはチャラにして彼のプロポーズを受けようと思っている。
それは、『雨の日』に街で偶然彼に出会うかどうか──という賭け。
もちろん彼の家や会社や立ち回り先をウロウロしたりはしない。逆に不自然に逃げ回ったりもしない。いつも通りのひとりの休日の中で偶然彼に会えたなら──
この小さな喫茶店は休日の私の隠れ家だ。彼に話したことはあるけど一緒に来たことはない。彼が現れるオッズはゼロではないけれど高くもない。
なんて他力本願な奴だって思われるかもしれない。幸せは待っているだけでは手に入らないと笑われるかもしれない。
でも、天の恵みである雨を愛でるこの『雨の日』には、気まぐれな空模様に運命をまかせてみたくもなるのだ。
それが流浪の祝日『雨の日』の魅力だ。
──さて、私の誕生日が『雨の日』に重なる確率と、『雨の日』に偶然彼に会う確率と、どっちが分がいいのだろうか。
もしかしたら私は、今まさに人生を棒に振ろうとしているのだろうか──
窓の外が薄暗くなってきた。
祝日にも関わらず働いたサラリーマンや、学生たちが席を埋め始めている。いくら馴染だからといって、これ以上長居をしてはママに悪い。
今日はおしまい。夕食の買い物をして帰ろう。
「ありがとう。また来てね」
ママの言葉に、ドアの前でちょっと振り返って立ち止まる。
「今度はちゃんと『雨の日』をチェックして下さいね」
ママの笑顔を見届けて、わたしは出口の扉に手をかける。
と、その手が空を切って扉が開く。
カララン──とドアベルが鳴る。
その音は、祝福の鐘の音に似ていた。
《雨の日 了》
初出 2009年 同人誌『エー文芸』第四号