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サボテンから始まった恋、料理から始まる暮らし

作者: 有未
掲載日:2026/02/04

 爪の先から羽ばたいて行きたいので、ピンクグレージュのマニキュアを塗った。オールインワンネイル。一本で完結するマニキュア。とても楽。そう思って、塗り終わった爪をまるで太陽に翳すかのようにし、私はLEDの照明に翳した。ぴかぴか。特別に上手に塗れたわけではないけれど、下手でもない。自画自賛し、私はきゅっと小さな握りこぶしを作った。そのままいつもの通りに化粧をし、いつもの通りにピンクを基調としたアイメイクをして、お気に入りのチョコレートカラーのバッグを手に持つ。薄手のハイソックスストッキングでやや滑りながら廊下を歩き、いつもの黒のスニーカーを履く。


「いってきまーす」


 私以外に誰もいない家に言い残すかのように告げて、私は玄関扉を開けた。晴天。気持ちの良い、秋晴れ。高く遠くに水色の空が見える。私は幸せ者だ。こんなに良い天気の良い日にお出掛けが出来るのだから。そう思い、私は歩き出した。階段を下りて。もう一度、空を見上げて。私の大切な人との待ち合わせ場所である、カフェへと向かった。


 "カフェ・おいしさはヨロコビ”のドアを軽く押すと、カランカランと幸せの鐘のようにドアベルが鳴った。いらっしゃいませと出向かえてくれる店員に私は待ち合わせであることを告げて、店内に進む。一番奥の左のボックス席に、カナトはいた。私に気が付いて、軽く手を上げてくれる。私は知らずに笑顔になり、カナトのいる席に向かって歩く。まるで、光の道の上を歩くように。


「待った?」


「いや、ちょっと前に来てメニュー見てたとこ」


 私が座ると、カナトはメニュー表をこちらに向けて差し出してくれた。


「カナトは決めたの?」


「うん、いつもの」


「いつものとか、カッコ付けちゃって」


「言ってみたい時あるだろ」


「分かる」


 私はメニュー表を見て、私のいつものを眺める。でも、今日は違うものにしようかなあと頭の中でわくわくのシンキングタイムが始まる。色々と思い悩んで、私はフォンダンショコララテに決めた。私にも良く分からないが、温かくてとてもおいしいチョコレート味だろう。たぶん。


「決めた?」


「うん」


「あ、私がそれ押す」


 ぴんぽん。と可愛い音が私の押したベルから鳴って、すぐに店員が注文を聞きに来てくれた。


「フォンダンショコララテと」


「カフェモカで」


 店員が去って行くと、カナトが「今日は良い天気だな」と言った。私が「そうだねえ、気持ちの良い秋晴れだね」と答えると、「うんうん」と相槌を打ってくれる。


「ところでさ」


 さあ本題だと言わんばかりの声色で、カナトが切り出した。


「そろそろ、一緒に住まない?」


「とっつぜーん!」


「でもないだろ、付き合って二年、いまでも仲良し。問題なし」


「仲良しとか、かわいー」


「茶化さない」


「はい」


 私が一口、水を飲むと思ったよりもそれは冷えていて、その冷たさに私は驚く。


「アイカ見てると心配になるんだよな。良く一人暮らし出来てるよ」


「あら、失礼ねえ。ばっちり一人暮らし、楽しんでるよ。お仕事も続けてるし」


「うーん、なんて言うか、仕事の心配じゃなくてさ。生活の心配と言うか」


「お金あるよ」


「違う違う、もっと、ささやかだけど心配になること。例えばさ、この間に友達と会って来るってメッセージ来たけど夜になってもなんにも連絡なかったでしょ? いつもならただいまとかあるのに。それで零時頃に、いやあスマホの電源切れちゃってて帰りの電車が調べられなくて怖かったーって送って来たでしょ。肝が冷えたよ」


「あったねえ」


「ねえ、じゃなくて。ウォーキングを始めたから行って来るねってメッセージが来たと思ったら、一時間後に帰り道が分からなくて半泣きってメッセージが来てさ。もう、どうしようかと思った。電話してナビゲートした俺は心配で心配でさ」


「あの時はありがとうね」


「うん。なんかさ、アイカってちゃんとしてるのは分かってるんだけど、一人で放っておくと知らない場所で迷子になって泣いてるんじゃないかなと思って心配になるんだよね」


 私達がそこまで話した時、店員がフォンダンショコララテとカフェモカを持って来てくれた。


「わーい、熱々フォンダンショコララテ」


「気を付けて飲みなよ」


「うんうん」


 ふー、と控えめに私がフォンダンショコララテを冷ましていたら、カナトはカフェモカをふーふーもせずに飲み始めていた。


「熱くないの?」


「平気」


「私、猫舌だから」


「知ってる。うどんもラーメンもそうしてたし」


 ちょびっとフォンダンショコララテを飲んでみると、じわりとした濃い甘さが私の舌に広がった。とてもおいしい。私は思わず、にこにこしてしまう。


「おいしかったんだね」


「うん!」


 そのまま私が少しずつ飲み進めていると、カナトがカフェモカを片手に真面目な声で言った。「俺は、アイカと一緒の家で暮らしたい」と。


 私が瞬きをしながらそれにこくこくと頷くと、


「それはOKってこと?」


 と、カナトが尋ねた。


 一旦、落ち着こうと思い、私はフォンダンショコララテを置き、うーんと思案した。私はカナトが好き。カナトは私が好き。付き合って二年が過ぎた。私とカナトの家は同じ市内にあるけれど割と距離があるので、中間地点のこのカフェで待ち合わせをすることが多い。もう、"カフェ・おいしさはヨロコビ”の気になっているドリンクメニューは制覇しようとしている。それだけ、私とカナトはここでティータイムを過ごしている。フードメニューは、まだあまり頼んだことがないけれど。ここでティータイムをした後は、映画に行ったり洋服を見に行ったり雑貨屋さんに行ったり。翌日がお互いの休みの土曜日か日曜日の時は、どちらかの家に行って一緒に夜ごはんを作って食べて寝る。そんな感じの二年間を私達は楽しく過ごした。確かに、一緒に住んでも私達は仲良くやって行けるかもしれない。でも。


「私とカナトの出会いって、国民講座が同じだったことでしょ?」


「そうだな、サボテンについての講義」


 ――国民講座。この国に住む成人した国民を対象に課せられる、学びの場。ここで受講した講座は履歴書にも書くことが出来る。短期コースと長期コースがあり、基本的に休まずの出席が望ましいとされる。講座が完了した場合、一年以内の休息期間を経て再び別の講座を受けることが義務化されている。休息期間とは言っても講座を受けなくて良いだけで、仕事はしないと生活費が入って来るわけではないので、いつもの生活に戻るだけだが。また、受講中も仕事はしないとやはり生活費の保障はないので、大体の人が仕事休みを使っての受講をおこなっている。


 私とカナトはこの国民講座で知り合った。サボテンについての講義だ。私の仕事は年々減って行く植物の調査と保護及び管理が目的の研究員で、特別にサボテンだけを保護しているわけではないのだが、単純に興味があったので受講したのだ。受講の初日の帰りにカナトに呼び止められ、差し支えなかったらノートを見せてくれないかと言われたのが知り合うきっかけだった。カナトは私の隣の席にいたらしいのだが、私がシャコバサボテンについてイラスト付きで詳しくメモしているのを見て、改めて見せてほしかったのだという。なるほど、と思い私は了承し、近くのカフェに二人で行き、そこでノートを見せながらサボテンをはじめとする他の植物についても沢山の話をした。私達は意気投合し、連絡先を交換した。講座は自由席なので、私達は以後も隣り合ってサボテンについての講座を受講した。それが二年前の話だ。まるで昨日のことのようだと、私は思う。


「出会ってから二年。私達は植物について興味があるし、カフェも好きだし、気も合ってる。でも、私は同じ家で暮らせるのかなーっていう不安はあるんだよね」


「不安?」


「うーんと、私は結構、ひとりの時間が大事なタイプなの」


「知ってる」


「そうだよね、話したことあるもんね。だからメッセージの返事が遅くなったり、毎週は会えなかったりもする。でも、カナトのことは大好きなの。話したいし、会いたい。けど、同じ家に住むとそのバランスが崩れないかなって心配になっちゃうんだよね。私は植物についての調べ事とかレポート作成とかをひとりでしたい時、絶対あるし。あと、基本的にゲームはひとりで黙々とする牧場系とかしかしないし。休みの日はめっちゃ寝てるよ。そんな私がカナトに嫌われないか不安だし、私も私でカナトに息苦しさを覚えないかという失礼な不安もある」


 私が一息にそう言うと、予想に反してカナトは笑った。


「いや、分かってるよ、そういうとこ。俺も別にメッセージ返すの早くないし。同じ家に住んだとして、毎週の休みに一緒に出掛けられなくても良いよ。ゲームは一緒に出来なくても良いし。俺は特にひとりの時間がほしいわけじゃないけど、ひとりの時間がつらいとか不向きとかそういうことはないと思うから。たださ、俺も植物の研究職やっててアイカもそうでさ。メッセージのやり取りも楽しいし、会って話しても楽しいし、食事の好みも合うし。一緒の家で暮らして、もっとアイカのことを知って、もっと好きになりたいっていう、そんな単純な思いなんだよ、俺は。ただ、一緒にいるとお互いのちょっと嫌な面とかが見えて来るかもしれない。でもさ、そこは話し合って、それこそ互いが互いを研究して、解決出来ると思ってるんだ。この二年、俺は本当に楽しかったからそう思える。アイカとなら、やって行けるって」


 ごく、とカフェモカを飲んでカナトは私に言った。私もフォンダンショコララテをごくと飲んで、その甘さでいっぱいの味を追い掛けながらカナトの言葉をリフレインした。そして「アイカとなら、やって行ける」、この言葉が私の根っこのところに真っ直ぐに降りて来てくれたのが分かった。


「――次の国民講座、なにを受講するか決めた?」


 私が尋ねると、「そうだな、まだ考え中ではあるけど」とカナトが少し視線を下げて考えている風にした。


「私はね、決めてるの」


「お、そうなんだ。どれ?」


 カナトが顔を上げて私を見た。


「お料理大作戦!」


「あれか。国民全員の料理スキルを高めることを目的とした、栄養学と料理の実践をする講座」


「そうそう。私、料理は好きだけど栄養バランスにはあまり詳しくないし。料理のバリエーションもあんまりないなって思ってるから、これを機にがんばろうと思って」


「良いね」


「カナトも、これ一緒に受けよ」


「それも良いかもな」


「そう、それでこれからも一緒にお料理しよ。同じ家の同じキッチンで」


「それって」


 私はフォンダンショコララテを飲み干し、勇気を出して右手をカナトに差し出した。カナトもカフェモカを飲み干し、私の右手を握ってくれた。


「一緒の家での生活、よろしくね!」


「こちらこそ、よろしく」


 私達は"カフェ・おいしさはヨロコビ”を出て、スーパーに向かった。今日の夜ごはんはなににしようかと二人で話しながら。

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