第六話 透波リツ③
体育館裏の小さな階段。
ふだんは体育館から外に出るために使われるその段差に、わたしと透波リツは座っていた。薄暗く静かなその場所には、わたしたち以外に人はいない。
「どうしてあんなこと言ったの? 四宮さんはクラスで一番HALOがたかいのに……」
お弁当のつつみを解きながらわたしは言った。
「そんなことしてたら仲間はずれにされちゃうよ?」
今日のお弁当は豚肉と蒸した野菜だ。
野菜は和風味にするとして、豚肉はどうしようか。
「俺はいいよ。こうして君と友だちになれたし」
「いいの? さっき四宮さんが言ったこと、ほんとだよ?」
「HALOが『50』をこえたことがないってこと?」
「そう。生まれてから一度もね」
わたしは言いながら、人差し指で三回、頭をタップする。
『チカちゃんこんにちは! お昼ごはんかな?』
目の前に現れた天使は、いつも通り、にこりと微笑みかけてくる。わたしは、無感情に言う。
「野菜は和風、豚はしょうが焼きに脚色」
『りょうかい! しっかり味付けするね! ……あれ? 今日は一緒に食べてくれるお友だちがいるんだね!』
「うるさい」
わたしの否定的な言葉に反応して、天使は消えた。
「ずいぶん天使と仲が悪いんだね」
くすくすと、透波リツは面白そうに笑った。でも、その笑みに、馬鹿にしているような表情はなかった。わたしは、ほっと息をはく。
「どれだけ完璧なAIでも、誰とでも仲良くなれるわけじゃないみたいね」
余計な塩分も食品添加物も含まれていない豚肉を口にいれると、しっかりと生姜焼きの味がした。仲が悪いとはいえ、しっかりと脚色はされている。
脚色。わたしたちの五感をコントロールし、幸福にもっとも影響を与えた技術。わたしたちはもう脚色なしでは、満足に食事をとることも、痛みのリスクを負って身体を動かすこともできない。不快な感覚は常に天使によって快適なものへと改変され、どんな大けがをしても、痛みは最小限に抑えられる。
視覚も、聴覚も、嗅覚も、味覚も、触覚も。
すべては天使によって管理され、脚色される。
「そういえば、透波くんは食べなくていいの?」
透波リツはわたしの手をひいたままこの場所に来ていた。だからもちろん手ぶらだ。それなのにお弁当を取りにいったり、買いに行ったりする気配もない。ただ微笑みながら、わたしの昼食シーンを眺めている。
「リツでいいよ」
優しい声で彼は言った。まるで穏やかな風の音みたいに。
「じゃあリツ」
「俺もチカって呼んでいい?」
「うん」
わたしは極力淡泊にこたえた。
心臓の音が速くなっていることは、出会ったばかりの転校生には聞かれたくない。
「それで、リツはお腹はすかないの?」
「実はちょっと空いてる」
「購買で買ってきたら?」
「うーん、めんどくさいからいいよ。もっとチカと仲良くなりたいし」
名前を呼ばれて、すこしドキッとしてしまう。
いったいこの透波リツの目的はなんだろう。どうしてHALOの低いわたしなんかに――
仕方なく、わたしはお弁当をリツに向ける。
「これいいよ食べて」
「え、いいの!」
「ちょっとじゃなくて、めちゃくちゃお腹空いてるじゃん」
予想外に子犬みたいな喜び方をする彼に、おもわず笑ってしまう。
なんだ。普通にいいやつなのかな。
「無味だから、自分で味つけてね」
「チカありがとう!」
リツはトントントンと、リズムよく艶のある黒髪をタップした。