第三話 HALO
おかげで涙は引っ込み、わたしは少し冷静になることができた。時計を確認し、ほっと息をつく。いつもより遅い時間だが、まだ遅刻するほどではない
「だれから?」
『連絡先に登録していない人だね。アカウントの名前は、「スター」っていうみたい!』
「ひらいて」
言うと、視界に半透明のAR画面が表示される。枠で囲われたメッセージ欄には、たった二行の文章があった。
誕生日おめでとう! プレゼントをあなたに!
あいことばは「天使の光」だよ!
なんだろう。
しばらく考えてみたけど、このメッセージがだれからどういう意図で送られたのか、見当がつかなかった。プレゼントのようなものは貼付されていないし、合言葉を入力するページもない。
ふいに、ため息がもれた。
おそらくは、ただのいたずらだ。
『大丈夫? 今日はすこし休んで、わたしとお話する?』
HALOを心配する天使を無視して、わたしは姉の写真に目をやる。
姉は変わらず、美しい姿で微笑んでいた。
それでやっと、心が落ち着く。
「いってくるね、おねえちゃん」
* * *
わたしがいない教室は、いつも幸福で満たされている。
健全で正しい、社会に貢献している幸福が。
だから毎朝、扉をあけるのが、すこし怖い。
わたしはふうっと息をはいてから、手に力をこめた。
『92』
後列に座る男子生徒がちらりとわたしを見て、すぐに目を逸らす。
『83』
『78』
席で話していた二人組の女子生徒が、わたしを見てひそひそと笑う。
『86』
『90』
『87』
すれ違う三人のクラスメイトが、わたしを見ないように下を向く。
たどり着いた、窓側の後ろから二番目の席。
そこからは、教室の景色がよく見える。
『89』
『87』
『95』
『88』
『84』
『93』
幸福で満たされた教室。
クラスメイトに結びつけられたHALOが表示され、二桁の数字であふれる教室。
それらの数字は、わたしが視認すると、数秒で視界から消える。
——息が苦しい。
数字が消えていくまでの間、わたしはいつも、なにか見えない膜で口をふさがれているような圧迫感を感じる。理由はなんとなく分かっている。
『39』
わたしのHALOは、今朝と変わらないままだ。
息苦しさから逃れるために、わたしは窓の外を見る。入道雲の隙間から、夏の太陽の光が地上に差し込んでいた。そんなふうにぼうっとしていると、クラスメイトの声が、自然と耳に入ってくる。
「やべ、歴史の宿題やってねー」
「みか今日なんで来てないの?」
「朝マンションの前に救急車とまっててさー」
「ごめん、今月金欠だから」
「そういえば今日転校生くるんだって」
聞こえてくる言葉の断片は、わたしの知らない情報を含んでいるときがある。
今回でいえば、転校生が来るということだ。
その転校生も、正しく健全なHALOをしているんだろう。わたしはそう思いながら、空を横切っていく鳥の姿を眺めた。