第二話 姉
姉はすこし、いや、だいぶ変わった人だった。
天才的な頭脳と、美しい容姿、そして安定したHALOスコア。
だれもが姉を尊敬し、姉に好意を抱き、姉に憧れていた。学会の研究発表は常に満席で、初めは小さな講堂だった会場が、特例で公民館のホールになったこともあった。
——非の打ちどころがない神様のような人間。周囲の人は口をそろえて言う。
でもわたしにとって姉は、ただのバカ姉だった。
「おかえりチカ! これ見て! これこれこれっ!」
ある日、わたしが中学校から帰ると、玄関で待ち構えていた姉に手をひっぱられ、リビングに連れていかれた。そのとき姉は高校生で、夏用の制服を着ていた。
「なに、これ?」
ぞっとする光景が、そこにはあった。リビングの白い壁が、わたしで覆いつくされていた。もっと正確にいうと、わたしの写真と、わたしと姉のツーショットで壁が埋まっていた。
「ふふん」
得意気に、そして満足気に姉は笑った。
折り紙を輪っかでつないだ飾りつけや、テーブルの三段ケーキ、姉が手に持っているクラッカー。その状況から、なにをしようとしているのかは推測できた。問題は、というか、わたしが問いただしたかったのは、いつの間にか新しくなった壁紙のことだった。だけど、姉はその問には答えず、嬉しそうにクラッカーのトリガーをひいた。
「誕生日おめでとう、チカっ!」
当時はシスコンという言葉を知らなかった。
世の中の姉は、みんなこのくらいバカなのだと、そう思っていた。
「おねえちゃん」
わたしは、泣きそうになるのを、必死にこらえた。
写真のなかで笑う姉に、泣き顔なんて見せられない。
「わたし、今日で十七歳になったんだよ」
家のなかはしんと、静まりかえっていた。天使の声も、今は聞こえない。
「ね、ちょっとは祝ってよ……」
卑怯だ、と思う。
生きてるときは散々嫌がっていたくせに、いなくなったら声を聞かせてほしいだなんて。
決壊しそうな涙腺に、ぎゅっと力をこめる。泣いてはいけない。わたしが泣くことを一番悲しんでいたのは、いつもお姉ちゃんだったから。泣いたわたしを見て、わたしより泣いてしまうような人だから。
わたしがそうして涙と戦っていると、ふいに天使が視界に現れた。
『チカちゃん! メッセージが届いたよ!』
空気の読めない天使は、姉の写真の前でにこりと笑った。