面会
ゆらゆらと揺れている頼りないロウソクの灯、子供一人が座り込んでいても気づかないほど暗い闇はすえた臭いがきつく、鼻も頭も喉も痛くなってくる。
疫病が発生しないように必要最低限の環境は整っているが、それだけでしかないと言った状況のようだ。
罪を犯した人々は貴族平民の区別なく、男女の区別のみ行われて平等にこの地下牢獄へと収監されるが、週に2度3度身を清められればいい方という平民でさえ苦痛を感じそうなこの環境にヒロインは閉じ込められてしまっている。
ただそれでも温情がかけられていると言っていい。
重罪であれば……所謂、拷問的な内容の取り調べを行われることも多く、ゲームのユーリアが収監されたより陰惨な収容所へと入れられていたら、ただの男爵令嬢など半日も持たずに発狂してしまう。
「ユーリア嬢、平気ですか?」
「問題ありません。急ぎましょう」
余計な口を利いている暇があるのならと足早に足を進めて面会を行うための別室に急ぐ。
憎たらしくも第二王子殿下のおかげでスムーズに許可が下りたからか、私達が別室に到着すると同時にヒロインが姿を見せた。
「……アリア嬢」
その目を逸らしたくなるような姿に、思わず声が漏れた。
つい昨日まで学園の制服に身を包んでいたヒロインは罪人共通の装いであるぼろ布を身に纏い、魔力を制限する手枷を嵌められていて、元から纏まりのなかった髪は薄汚れて余計に乱れ、頬には殴られたような痣を作っている。
なのに、彼女はそれを苦にも思っていないような感情の失せた虚ろな瞳で私を見た。
「アリア嬢……分かりますか? 私です、ユーリア・ヒスペリムです!」
「ユーリア様、この度は――」
「アリ……」
その場に膝をつこうとしたのが見えてとっさに止めようとした私は、逆にフィッツバーン卿に腕を取られてヒロインの平伏を許してしまう。
昨日は上からの謝罪になってしまったからと改めて謝意を示すヒロインの姿に心が痛くなって「フィッツバーン卿!」と、怒鳴るように声をあげた。
「許容できかねます」
意図を察してくれたのにそれでもフィッツバーン卿は私の腕を掴んで離さない。
それなりに力のある私でも流石に護衛騎士に抜擢されるほどの力を振りほどくことは出来なくて、ただ無力にヒロインの痛ましい姿を見せつけられる。
抱き起こしたい気持ちも、今すぐ振り払って連れ去りたい気持ちも抑え込み、涙ものみ込んでため息をつく。
「……座ってくださいアリア嬢。それはもう受け取りましたから。お話がしたいんです」
「ありがとうございます」
ヒロインは感謝を述べて、そのまま床に座って姿勢を正す。
罪人である自分にはそれが相応しいと考えているのではなく、罪人のための椅子がこの部屋には用意されていないからだ。
この状況は私には変えられない。
ここで私が扱いに苦言を呈しても誰の立場も良くならないし、その言葉はどこにも届かない。
少しでも早く彼女をここから連れ出すための手を打つのが私に出来ることだ。
「まず一つ、アリア嬢は私に対する殺意がありましたか?」
「ありません」
「では二つ、アリア嬢は『聖女の円舞曲』を知っていますか?」
「存じ上げません」
私のような転生者であれば知っているであろう言葉。
それを知っているか否いかで転生者かどうかを判断するのは少し早計と考えて、日本を知っているかと続けて聞いてみたがヒロインの反応は変わらなかった。
つまりアリアは転生者ではない可能性が高いと考えても良いかもしれない。
やはり、運命がねじ曲がりヒロインが壊れたのだという緊張感を感じながら、ひと息ついてヒロインと向き合う。
「四つ、学園に戻りたいですか?」
「国王陛下の判断に委ねます」
「五つ、ご友人はいらっしゃいますか?」
「いません」
「六つ、家に戻りたいですか?」
「国王陛下の判断に委ねます」
「七つ、ご家族はいますか?」
「父と母がいます」
ヒロインは淡々としていて自分の意思や心を徹底的に排除し、考えを持とうとしていない。
元々の人格としてヒロインが排他的なら私もここまで関与したりしな……いや、それだと聖女がいなくなる可能性があるからどちらにしろ関わらざるを得ないけれど、
だとしても、ヒロインの意思くらいはちゃんと確認するし強制したりはしない。
ヒロインが本来は暗い性格で、聖女になんてなりたくないと言うのなら、辺境伯家の長女としてそれなりの地位を目指して婚姻を結び発言力を高めて悲劇を最小限に抑え込むくらいの努力はしたって構わない。
でも、違うようにしか思えない。少なくとも、本来のヒロインはこんなに感情の無い子ではなかった。
ゲームよりきつい性格でも良い、ちょっとくらい悪い子でもいい。信仰心が行き過ぎてても……それはちょっと困るけどでも、感情がないよりはずっといい。
心を失っているなんて、絶対に間違ってる。
聖女になれとは言わない、ただ、せめて普通に生きている人であって欲しい。
だから。
「では……リグウェル男爵はお優しいですか?」
私はあえて踏み込んだ。
この世界とゲームの世界でのヒロインを取り巻く環境の特異点の一つ、本来であれば亡くなっているはずのリグウェル男爵についての情報に。
お母様が直接、賠償金を求めるという建前のもと探りを入れに行ってくれているけれど向こうだって大人だから簡単に腹の内を見せるとは思えない。
けれど、感情を損なっていても人には誤魔化しきれない体の反応があるはず。
「……お父様は、私をここまで育ててくれた人です」
絞り出すように答えたヒロインはほんの少しだけ畏怖を感じているようにも見えて、一番嫌な結果が答えになってしまうのではないかと胸が痛む。
私はお父さんもお母さんも生きていて欲しかった。
可愛い妹には笑顔を失わないで貰いたかったし、辺境伯家を支えてくれている使用人のみんなにも幸せでいて貰いたかった。
何より私自身が幸せになりたいと思って、両親の運命を変えた。
そのせいだとは限らない、でも、ほとんど確定でそれがきっかけとなって男爵は生存してヒロインは不幸のどん底にいる。
本来のヒロインは貴族ではなくなって、生きるために必死で大変なことは多くあったかもしれないけれど、不自由なりに自由な生き方を選ぶことができたはず。
保護が必要な人々にとっての救済である教会できっと多くの心に触れられたはず。
けれど今は貴族として否応なく責務を押し付けられて自由を奪われているのかもしれない。
貴族令嬢ゆえに政略結婚させられそうになっているのかもしれない。
辛い教育、きつい躾が日常的に行われているのかもしれない。
なのに冤罪でこんなところに入れられて、傷つけられて。
「ユーリア嬢!」
フィッツバーン卿の張り詰めた声に続いてガタンッと椅子が倒れて体が強く後ろに引っ張られたけれど、
力強く踏み込んだからか勢い良くつんのめってヒロインの前に膝をつく。
その流れのままヒロインの体をぎゅっと抱いた。
「ごめんなさい……私のせいで」
私が歪めてしまった物語で、私がお願いしてしまったから起きた魔術理論での事故。
その申し訳なさと痛ましさで目頭が熱くなる。
「ごめんなさい、アリア嬢」
「……いえ」
ヒロインの口から小さく零れ落ちた声には戸惑っているみたいな微かな揺らぎが感じられて。
それでさえも今は喜ばしいことだと噛みしめながら言葉を選ぶ。
「私が絶対に処刑させない。必ずアリア嬢を迎えに行く……だから、片が付いたら友達になりましょう」
「でも、私は――」
「大丈夫。私は魔獣とさえ争うことの多い辺境伯家の娘ですよ? ちょっとやそっとの爆発、それも素人の魔術で死ぬほど柔じゃないので」
今はまだ何も成し遂げられていないから、返事は要らない。
ただアリア嬢のことを少しでも考えている人が一人でも多く居るのだと分かって貰えればそれで十分だと教えるように少しだけ強く抱いて、ゆっくりと離れる。
困っている様子のヒロインを一目見て、面会の起源だと示すようにノックが聞こえてフィッツバーン卿へと振り返った。
「すみませんフィッツバーン卿。戻りましょう」
「……」
「フィッツバーン卿?」
「あ、あぁ、はい……」
強引に禁止されている接触をしてしまったからだろう。
動揺を隠しきれていないフィッツバーン卿に申し訳なさを感じさせられつつ、置き去りにしなければならないヒロインに後ろ髪を引かれながら地下牢獄から出ていった。




