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生物学教諭ヘックテート


「魔力とは生物が必ず宿している根源的な力であり、当然人間以外の生物も宿しているものだ。人も獣も草木も宿している。その含有量が異常値に達すると獣や草木は魔獣や魔物といった存在へと昇華する。つまり……」


にやっと笑ったヘックテート先生あるいは博士に「ある意味で私達は魔獣を口にしていますね」とあっさりと答えを返した。

余りにもつまらなさそうな表情を隠さない辺り、どれほど捻くれているのかが良く分かる。

毎年の初講義でいつも同じことを言い、貴族の子息子女……特に、令嬢達にトラウマを植え付けようとしているような気がしてならない。


「ただ、現代で扱われている食用肉は最低限の魔力を保有する程度に調整が施されていますし、魔獣はそもそも性質的にも大幅に変化するため、完全に別ものかと」

「君はつまらない人間だな」

「光栄です。先生」


そのつまらなさはぜひ第二王子殿下にも共有して貰いたいところだけど、たぶんそれすらも面白がるからあの人はダメだ。もっとも攻略しやすい王子は伊達じゃない。

それはさておき、私が意地の悪い先生による生物学の補習を受けている理由はただ一つ。

私の講義日程がすでに8日ほどの遅れが出ているからだ。

天候不良による合流の遅れに続き爆発事故での療養でもう酷いことになってしまっている。

無断で欠席していたら最速の退学記録になっていたに違いない。

本当なら補習なんてやっていられないけれど、やらなければ退学手続きにサインをしなければならなくなってくるから困ったものだ。


「君は無生物にも魔力が含まれると思うか? この紙や、石ころ、土、水あるいは風や火にも」

「人工物なら製造過程において魔力を含むように調整していれば可能……だったはずです。石は種類によりますが、純度が高ければ高いほど精霊の影響を受けやすいため魔石や魔鉱石、精霊石といったものがありますね。水も――」


あぁもういい。もう分かった。と話を遮られて一息つく。


「だからヒスペリムの娘なんぞに補習など要らないって言ったんだがな。初等程度など頭に入ってなければ生き残れないだろう?」

「そうですね……たぶん、死にます」


一般的な貴族の学習領域ではない生物学は学園に来て初めて学ぶことになる子が多いけれど、辺境に住んでる私には死に直結する知識だから幼少期からの必修科目みたいなものだったりする。

精錬された水に魔力はない一方で自然に流れている水には魔力が宿っていて、それに紛れるように擬態している通称、スライムと呼ばれるようなものもいて、知らずに飲んでしまうと体の内側から食い殺されてしまう。

もちろん、生息地域によっては全然違う性質を持っているけれど水溶性のスライムは生前の世界で売られていたゼリー状のものと違ってただの水みたいなものだから本当に怖い。

あれは魔獣や魔物の弱点である心臓部分を極限まで体内に溶かして同化させているため体を燃やし尽くさなければ残った部分から徐々に再生してしまうのも厄介な点だ。


そう言えば……と、ゲームのシナリオを思い出してついでに聞いてみようと口を開く。


「先生なら、水に完全に溶けてしまうスライムについてご存じありませんか?」

「何を言ってるんだ」

「……念のためです。念のため」


スライムは水溶性で水に溶ける性質を持っているものの、生物である以上完全には溶け込まない。

よく観察すれば水ではなくスライムだと目視で判別が可能なくらいには違和感が生じているもので、特に、光の反射として顕著に表れる。

それは心臓である魔力を宿した核があることで起こるものであり、それが完全に溶けるということは消滅と同義であり、それは魔物や魔獣の死を意味するのだから、知識ある人には「馬鹿かコイツ」と言いたげな目をされるのは当たり前だ。


「あり得るわけがない」

「目に見えないほどに核を消化するとか」

「不可能だ。スライムとて水に含まれる微生物を魔力核として代用することで核を溶かしきっているようにみせかけるので精いっぱいだからな。長年の研究で答えが出ている問いだろう」


そう、そのはず……だけどこれからそんな常識を覆すことが起きるのがアルハ村。

ルプレ川には本来いないはずのスライムが生まれた上に、毒性の強い草花を摂取し続けたことで性質として毒を持って川に溶けだしたことで下流にあった村で疫病が発生することになる。

土壌や水質の問題だと思われていて調査されていたにも関わらず、聖女の魔力に反応して逃げ出そうとしなければ気付かれることすらなかった。

細かい設定は分からない。特異な性質を持ったという設定しかない。


「例えばその、薬草とかが――」

「研究しつくされた話だと言っただろう? それが可能なら一夜にして国が滅ぶレベルの災害になり得ることだからな。あらかじめ可能性を潰す、あるいは対応策を練っておくのが当然だ」

「それは分かっているんですけど」


聖女がいない場合、あれは逃げ出すようなミスを犯さない。人々の体に溶け込み病に侵して殺し尽くすだろう。

けれど、どうやってその可能性を示せばいいのだろうか。

私の人生なんて足しにもならない歳月と大金を費やした研究が、それを否定しているのに。


「君が研究をしたいというのなら止めはしない……いや、いち教師としては止めるべきだろうな。国家反逆罪で処刑されるのは後味が悪い。どうしてもと言うのなら国に願い出て正式に国家的な研究とすべきだが……まぁ、予算なぞ降りないだろうし許可も出ないはずだ。核の前に金が溶ける」


先生はつまらない冗談を払うように鼻を鳴らす。馬鹿げたことを言う私に呆れているのは言うまでもなさそうだ。

仕方がないと思いつつ「本気にしたんですか?」とあっけらかんとした仕草で目を逸らした。


「興味本位で伺っただけですよ。特殊固体はいつだって想定外の突然変異を起こしますから。キマイラと呼称された魔獣のように」

「あの皇国で発見されたやつか……数十年間に姿を見せて以降見たものはいないからな。昇華過程をぜひとも見たかったものだ」

「なので、今度の連休にでも近隣の村などを巡って生態系の観察でもしてみようかと」


スライムはともかく。と、後付けして生物学を学ぶ必要のある令嬢らしく嘘と真実を並べ立てる。

生態系の観察をする気はないし、狙いは一点だけだけれど意欲のある学生と思えば多少なりと支援――


「そうか、頑張れ」

「えっ」


熱心な生徒を放っておけないとか、こうとか


「何を間抜けな顔をしてるんだ。やりたければやればいい。魔物の性質変化を研究すると言うなら問題だが近隣の生態系調査なら何の問題もないし私が関与するようなことでもないだろう」

「で、ですが私は貴族令嬢ですよ?」


思わずいきり立って蹴飛ばしかけた椅子ががたりと音を立てた。

眉を顰めたのが見えて猛烈に恥ずかしくなって顔を背ける。私がか弱い令嬢だなんて領地の人達にとっては噴飯ものだしお父様に至っては失恋でもしたのかと暴れ出すかもしれない。

熱くなって手で仰ぐと先生の笑い声が漏れ聞こえた。


「すみません忘れてください……」


先生が来てくれれば私には無い知識の深さで気付きを与えてくれるのではないかと思ったけれど、駄目そうだし恥ずかしくて死にそうだからと翻した私の背中に声がぶつかる。


「どうしてもと言うなら協力はするさ。監督不行き届きで面倒に巻き込まれるのは避けたいからね。ただし必ず申請するように」


ヘックテート先生のからかう笑いに感謝を述べつつ、私は部屋から逃げるように出て行った。

補習だということをすっかり忘れていたのに、講義をちゃんと受けたことにしてくれていたと知ったのはそのすぐ後のこと。

案外、意地悪ではないのかもしれない。

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