第8章 春迎祭 ②
澄み切った春の空の下、クレルヴァ村は春迎祭の本番を迎えていた。昼の日差しが優しく村を包み、広場では賑やかな声が響き渡っている。子どもたちは新調された衣装を着て駆け回り、大人たちは祭りの準備や会話を楽しんでいる。色とりどりの花々が飾られた広場には、山からの風が香りを運び、どこを見ても活気と祝福の光景が広がっていた。
エリオ・ヴァルカスもその賑わいの中にいた。彼は夜に祭司としての重要な役目を控えており、エネルギーを蓄えるために食事をとっていた。広場中央の大きな食卓には、村人たちが持ち寄った料理が並べられている。香ばしく焼かれた岩角羊のロースト、濃厚な山の鹿のシチュー、山菜と根菜をふんだんに使ったスープ。それらはどれも祭りのために腕によりをかけて作られた一品だ。
「これはすごいな……。」
エリオは目を輝かせながら、まずは岩角羊のローストにナイフを入れる。外側はカリッと焼き上がり、中はジューシーな肉汁が滴る。彼はそれを一口頬張り、口の中で広がる旨味に思わず頷いた。
「エリオ、よく食べるわね。」
振り向くと、許嫁候補の一人、アリシアが立っていた。彼女はクレルヴァ村の豪農、ガンチャカ家の娘で、鮮やかな春の花模様が描かれた赤いスカートを身にまとい、赤髪をリボンでまとめている。
「アリシア、その服、すごく似合ってるね。春らしくて可愛い。」
エリオがそう言うと、アリシアの頬が一瞬だけ赤くなった。しかし、すぐにむすっとした表情になり、手に持っていた包みをエリオに差し出した。
「これ、家で取れたユグモノ芋で作ったデザートよ。感想をちゃんと聞かせてね。」
包みを開けると、中にはこんがり焼かれたユグモノ芋のパイが入っていた。エリオは一口かじると、甘さと香ばしさが口いっぱいに広がる。
「すごく美味しい!ユグモノ芋の自然な甘みが活きてるよ。」
「本当に? ただのお世辞じゃないわよね?」
アリシアはじっとエリオを見つめる。彼は少し笑いながら答えた。
「もちろん本気さ。でも、その服装もいい意味で目立ってて素敵だよ。」
「……そこまで言わなくていいわよ!」
アリシアはぷいっと横を向いてしまった。その態度に、エリオは微妙に傷つきながらも反省した。前世の記憶を持つ実年齢30近い自分が、まだ12歳のアリシアをからかいすぎたのかもしれない。
「ごめん、褒めただけなんだけど。」
「……別にいいけど、次からはもっとちゃんと感想を言ってよね!」
怒ったような、照れたような彼女の表情に、エリオはますます距離感の難しさを感じた。許嫁候補という存在が、彼にとっては微妙に手の届かないテーマのように思える。
そんな時、視界の端にもう一人の許嫁候補、ルシアの姿が映った。ルシアは台所から運ばれてきた料理を手に持ち、静かにこちらを見ていた。
「ルシア……?」
エリオが声をかけようとしたが、彼女は特に答えずに、無言のまま立ち去ってしまう。その後ろ姿に、エリオはどうするべきか少し考え込む。
「エリオ、どうしたの? まだ食べてない料理、たくさんあるわよ。」
アリシアが笑顔でテーブルを指差す。彼は深く考えるのをやめ、とりあえず目の前の料理に集中することにした。
山の鹿のシチューは、濃厚なルーにジューシーな肉が絡まり、薬草の香りが食欲をそそる。エリオはスプーンを持つ手を止めることなく、その味わいを楽しんだ。
「このシチューも絶品だな……。村の恵みが詰まってる。」
そんな彼の姿を見て、周囲の村人たちも楽しそうに笑い声を上げた。
午後が過ぎ、夜の祭司としての役目を前にエリオは広場の端で一息ついた。星空が徐々に顔を出し、村の喧騒は次第に儀式の厳かな雰囲気へと移り変わろうとしていた。
「よし、これで準備は万端だ。」
エリオは小さくつぶやき、夜の役目に向けて静かに気持ちを整えた。春迎祭はまだまだ続く――。