第4章 多忙。食べよう。
春の温かな陽射しが村を照らし、山々の雪が溶け始める季節が訪れた。それでも、エリオ・ヴァルカスの毎日は、過酷な忙しさに包まれている。まだ10歳の彼は、実り手としての役割を一人で担い、村のすべてを支えるべく日々働き詰めだ。医師として、気象予報士として、また教師として、彼の役割は限りなく広がり、休む暇もない。
エリオは幼少期から前世の記憶を持ち、山神の祝福を受けて知識を与えられた。しかし、その知識を後世にどう伝えるかが彼の最大の悩みだった。山智としての知識は、村の長老たちのそれをはるかに超えており、その膨大な情報を村の人々に伝えなければならない。しかし、村では「伝統を守れ」という理由で、すべての知識が口伝で伝えられており、紙や書物などは存在しなかった。エリオはそれに対して、心の中で葛藤を感じ続けている。
「伝統を守れって言っても、このままじゃ何も残せない。」
エリオは静かに呟く。山智の知識は膨大で、それをすぐにでも記録に残したいと思っているのだが、村ではそれが許されない。そんな中でも、彼は一生懸命に口伝で村人たちに知識を伝え続けている。
「伝統を守ることが大切だと言われても、どうしても納得できない。」
エリオは、何度も思っていたことを再び心の中で呟いた。しかし、村長を始めとする長老たちの強い意向を前に、反論することはできない。だからこそ、彼は一つ一つの知識を口伝で伝え続け、未来のために準備をしているのだ。
その日も、エリオは忙しく村を駆け回っていた。手にした薬草の束を見つめながら、またしてもため息をつく。目の前には、病気で寝込んでいる村人が横たわっている。山智の力で病の原因を特定し、薬草を調達したばかりだが、休む暇もなくその薬草を煎じ、病人の元へ向かう。
「大丈夫だよ。しっかり飲んで。」
エリオは優しく言葉をかけ、薬草を渡す。病人は安心したように目を細めて受け取った。エリオはその場を後にし、次の仕事へと向かう。村のために尽くすことが、今の自分の役目だと改めて感じながら。
「エリオ、天気が気になるんだが…。」
村人が声をかけてきた。村長を通じて、村に天気の情報は伝達されているはずだが、エリオは悪い顔をせず、即座に答える。
「三日後、季節外れの大雪になるでしょう。そろそろ準備をしておいた方がいい。」
村人は感謝の言葉を言い、エリオは次の役目をこなすために歩みを進める。
「今日はユグモノ芋の乾燥法を教えるんだ…」
エリオは心の中でつぶやきながら、村の子供たちを見渡す。彼の役目は決して簡単ではない。医師としての仕事に加え、天候を予測し、村の子供たちに知識を教えるという仕事も担っている。それが実り手の仕事だからだ。だが、情報の伝え方には問題があった。
「口伝か…。このままだと、何も残らない。」
エリオは心の中で再び呟く。山智としての膨大な知識を、彼はできるだけ多くの人々に伝えたい。だが、伝承方法が「口伝」に頼らざるを得ない現状に、エリオはどうしても不満を感じていた。
「ユグモノ芋の根をどうやって保存するか、覚えておいてね。」
エリオは穏やかに説明を始める。ユグモノ芋は貴重な食材であり、冬の間に生き延びるためには、この芋をどう保存するかが重要だ。子供たちに手を取らせながら、エリオはその乾燥法を実演してみせる。子供たちは真剣にその手順を学びながら、エリオの話に耳を傾けている。
その後、エリオは急いで村の広場に向かい、大雪に備えて村人たちに指示を出す。肉の保存方法や収穫物の確保を手伝いながら、彼は体力が限界に近づいていることを感じていた。しかし、エリオはその疲れを乗り越えて、何とか村を守り続けようと努力している。
「ジジイが死んだら、絶対に紙で作成してやる。俺の知識を、もっと効率的に伝えるために。」
心の中でそう思いながらも、エリオは仕事に集中する。大雪に備えて物資を確認し、村人たちと協力して準備を進めていく。たとえ口伝であっても、今はそれを精一杯活用して、村の人々に必要な知識を伝えることが最優先だ。
その夜、村の静寂を破るように、エリオは焚き火のそばで瞑想にふける。冷たい空気に包まれながらも、エリオは深く呼吸し、心を落ち着けようとしていた。
「恵みの息吹…」
瞑想を通じて、エリオは山神の力を感じ取ろうとする。その力は言葉ではなく、エリオの体の中で静かに動き、彼を支えている。少しずつ、山神の存在が彼の心にしみ込んでいく。エリオは自分の中の焦燥感を少しずつ解放しながら、その力を感じ取っていく。
「焦るな、エリオ…」
その声は聞こえなかったが、エリオは確かにその存在を感じ取った。山神の力が彼に向かって流れ込んでいるのだ。エリオはその力を自分のものにしようと、さらに深く瞑想を続けた。
その後、エリオは居間に帰り、静かな食事の時間を楽しむ。ユグモノ芋を使ったスープが、暖かくエリオの体を包み込み、心をほっとさせてくれる。村の中での忙しさに押しつぶされそうな日々だが、このひとときだけは、エリオはただ食事に集中して、心の中で少しだけ安らぎを得ることができる。
「美味しい…」
エリオは心の中で呟きながら、スープを静かに飲み干す。彼にとって、この瞬間が唯一、忙しさを忘れることができるひとときだ。
その後、食器を片付けると、祖父の部屋に向かう。祖父はもう寝ているかと思ったが、静かに起きていた。祖父の顔を見ながら、エリオは少しだけ笑顔を見せる。
「今日はスープが美味しかった。」
祖父はその言葉に頷きながら、何も言わずに自分の仕事を続けていた。エリオは静かにその隣に座り、少しだけ疲れを癒しながら、次の日に備えて力を蓄えるのだった。