第13章 もえる山⑥ 萌える山
山は再び静寂を取り戻していた。しかし、それはただの沈黙ではなく、神秘的な力が満ちた特別な空気を感じさせる静けさだった。燃え広がっていた炎は完全に消え去り、黒く焦げた大地と祠が、その名残として山に佇んでいる。
エリオは祠の前に膝をつき、肩で息をしながら荒れた大地を見回した。黒い影は跡形もなく消え去り、空は次第に明るさを取り戻していく。だが、その光景を前にしても、エリオの心は晴れることがなかった。
(あれは、本当に消し去るべき存在だったのか……?)
影が最期に見せた光の輝き。その中に宿っていた清らかで優しい力。そのすべてが、エリオの脳裏を離れなかった。彼は拳を握りしめ、震える声で呟く。
「……俺は、間違ったのかもしれない……」
その言葉は、静寂に包まれた山の中に溶け込んでいった。自分がしたことが正しかったのか、それとも誤りだったのか――その答えを得る術はもうなかった。
その時だった。
祠から突然、眩い光が溢れ出した。その光は静かに広がり、夜空を裂くように天へと昇っていく。まるで、影の消滅が山に新たな力を呼び込んだかのようだった。エリオは思わず目を細め、その光景を見つめる。
次の瞬間、山全体に柔らかな風が吹き渡る。その風は、先ほどまでの炎が放つ熱とは異なり、優しく温かい感触を持っていた。それは命そのものを包み込むような、心地よい風だった。
「……これは……」
エリオは立ち上がり、驚きの中で祠を凝視した。そして、その目の前で起こる奇跡を目撃する。
黒く焦げた大地に、ゆっくりと新しい命の兆しが芽吹き始める。裂け目のようにひび割れていた地面から、青々とした若葉が顔を出し、草花が咲き誇り始める。枯れ果てた木々が新たな葉を芽吹かせ、その姿は次第に生命力を取り戻していった。
目の前で繰り広げられる光景は、エリオに言葉を失わせた。祠の光と大地の芽吹き――それは紛れもなく、山神の力の発現そのものだった。
「これが……山神の力……」
エリオの声は震え、その言葉と共に胸の奥に抱えていた感情が溢れ出そうになる。目の前の奇跡は、山が再生している証そのものだった。しかし、その喜びの陰で、彼の心はさらに深い迷いと後悔に包まれていった。
(影も、これと同じように何かを守ろうとしていたのか……?)
影との対峙の中で交わしたわずかな言葉。その中に感じたのは、ただの敵意ではなく、何かを守る意志だったのではないか。だが、エリオはそれを理解する前に力で押さえ込んでしまった。そう思うと、彼の胸に後悔が押し寄せた。
「お前は……本当に悪い存在だったのか……?」
祠の光が静かに弱まり始めた頃、エリオは拳を握りしめ、目を閉じた。影の囁きが耳元で再び響くような気がする。
『……君も気を付けて……奴らは……穢れを……』
その言葉が最後に意味するもの――それを理解することができないまま、影は消え去ってしまった。だが、その警告が重大な意味を持つことだけは直感的に感じ取れていた。
「俺は……何も知らないまま、ただ力を使ってしまった……」
エリオは深く息を吐き、空を見上げた。そこには、赤い月が沈みゆく様子が静かに広がっている。それは、夜が明ける兆しを告げていた。
ふと、祠から吹き抜けてきた風がエリオの頬を撫でる。その風は、まるで彼の迷いや後悔を包み込むかのように優しく穏やかだった。山神が無言で彼の行動を肯定しているかのようにも感じられるが、エリオの心にはまだ答えが見つからない。
「お前は……この山に何を託したかったんだ……?」
祠に向けて呟いたその言葉は、静かな風の中に溶けていった。答えはない。だが、エリオの心の中には新たな決意が芽生えていた。
(俺は……この山を守り続ける。そして“奴ら”と呼ばれる何者か――それを突き止める。)
エリオは祠に向かって深く頭を下げると、再生の兆しが広がる山道をゆっくりと歩き始めた。その背中には迷いと共に、小さな希望が宿っているように見えた。
夜明けの空が徐々に明るさを増し、赤い月は完全に姿を消した。山は新たな命の息吹と静寂を取り戻し、未来への一歩を踏み出したのだった。




