第15章 春の嵐②
「外の風がまた強くなってきた……。」
タリオが低く呟き、村の集会所(村長宅)の窓から外を見上げた。黒い雲が空を覆い、叩きつける雨と強風がガラス越しに響いている。稲妻が一瞬だけ周囲を白く染め、その後すぐに雷鳴が轟いた。
集会所には幼い子どもを持つ家族や、お年寄りたちが集まり、暖炉の周りに身を寄せ合っていた。誰もが不安そうな表情を浮かべ、外の嵐の音に耳を澄ませている。その静寂の中で、幼いリナのすすり泣きが微かに響いた。
「リナ、泣くなって!」
普段は悪戯ばかりしているルルキが、不器用にリナを励ましていた。彼はリナの肩に手を置きながら、少しだけ眉を寄せて苦笑した。
「泣いたら、風がもっと強くなるぞ!」
「……ほんとに?」
リナは涙で濡れた瞳でルルキを見上げる。その視線に一瞬たじろぎながらも、ルルキは強がった様子で頷いた。
「たぶんな。だから、俺がついてるって。安心しろよ。」
その言葉にリナは小さく頷き、両手でルルキの手を握り返した。エリオは暖炉のそばで鍋をかき混ぜながら、その様子をちらりと見た。
「ふむ、悪ガキもこういうときは頼りになるもんだな。」
「なんだよ、エリオ!茶化すなって!」
ルルキが振り返り、顔を赤らめながら怒る。その表情が微笑ましく、集会所の一部の大人たちから小さな笑い声が漏れた。
嵐が続くことはわかっていた。村人たちの体力と士気を保つため、エリオは夕方から大鍋で特製スープを作っていた。材料は村から持ち寄られた山の鹿の肉、唐辛子、山菜や根菜だ。
「これだけ入れれば、体が芯から温まるだろう。」
エリオは包丁で山の鹿の肉を丁寧に切り分け、鍋の中に入れる。肉の脂が溶け出し、スープに深みを与える。その上に山菜や根菜を次々と放り込み、最後に唐辛子を一つかみ入れると、部屋全体にピリッとした香りが漂い始めた。
「おい、ジジイ!そっちの山菜も持ってこいよ!」
「わしを使うな!」とタリオは口では文句を言いながらも、山菜の入った籠を手渡してくれた。
鍋の中でぐつぐつと煮立つスープは、見るからに栄養が詰まっていそうだった。エリオがひと掬いして味見をすると、唐辛子の辛みが舌を刺激しつつも、山の鹿の旨味がそれをしっかりと包み込んでいた。
「よし、これなら文句なしだ。」
エリオは満足げに頷き、集まった村人たちに声をかけた。
「みんな、これで少しは温まろう。ほら、一人ずつ順番に。」
エリオが鍋のスープを器によそうと、村人たちはそろりと集まってきた。幼い子どもからお年寄りまで、一口飲むたびに表情がほころぶ。
「これは……本当においしい!」
リナが器を抱えながら目を輝かせる。彼女の隣でルルキも無言でスープを飲み干し、すぐにおかわりをねだった。
「エリオ、これもっとないのか?俺、あと二杯くらいいける!」
「お前は少し我慢しろ。他の人にも回せ。」
そのやり取りに、大人たちからも笑い声が漏れた。唐辛子の辛さと山の鹿の肉の旨味が、嵐の緊張感をほんの少し和らげたようだった。
その時、集会所の扉が突然激しく叩かれた。
「誰だ!?こんな嵐の中で!」
タリオが立ち上がり、扉を開けると、アリシアが嵐に濡れながら立っていた。彼女の赤いスカートは泥と雨にまみれ、髪も乱れている。
「エリオ!」
彼女の声は震えていたが、その目には必死さが宿っていた。
「アリシア!?どうしたんだ、こんな嵐の中で!」
エリオが駆け寄ると、彼女は息を整える暇もなく言葉を紡いだ。
「お父さんが……帰ってこないの!嵐が始まる前に山の小屋に行ったきりで……!」
村人たちがざわめき、空気が一変する。
「なんてこった……。」
「無事だといいけど……。」
エリオは冷静に、しかし確固たる声で答えた。
「アリシア、落ち着け。お父さんはきっと無事だ。すぐに俺が探しに行く。」
アリシアは涙をこらえながらも不安そうに頷く。その姿を見て、エリオは振り返り、タリオに声をかけた。
「ジジイ、俺が行く。星勇を連れてすぐに出発する!」
「馬鹿言うな、こんな嵐の中で……だが、止めても無駄だな。」
タリオは一瞬目を閉じ、何かを考える素振りを見せた後、重く頷いた。
「行け。ただし、無茶はするな。村に戻るまでが使命だぞ。」
「わかってる。任せておけ。」
エリオは星勇にまたがるため、嵐の中に飛び出した。扉が閉まると、集会所の中は再び嵐の音だけが響く静寂に包まれた。村人たちは祈るように暖炉の炎を見つめ、エリオの無事を願っていた。
外では嵐がさらに勢いを増していた。雨と風が容赦なく村を叩き、空を裂く稲妻が夜の暗闇を一瞬だけ明るく照らす。エリオの姿はすぐに闇の中へと消えていった。暖炉の火が揺れ、集会所の中には不安な静寂が広がっていた。