第11章 山菜採りと春風
春の陽気がクレルヴァ村を包み込み、村人たちは穏やかな日々を過ごしていた。冬の厳しい寒さが嘘のように消え去り、山々には新緑が芽吹き、春風が心地よく頬を撫でていく。そんな中、村の女性たちが恒例の「春の山菜採り」に出かける準備を進めていた。
「今年もたくさん採れるといいわねぇ!」
村の広場で準備をしている女性たちの声が聞こえる。広場には、籠を持った女性たちや子どもたちが集まっていた。子どもたちは興味津々な表情で大人たちの後をついて回り、小さな籠を手にしている。
エリオ・ヴァルカスもその輪の中にいた。春迎祭が終わり、少しはゆっくりできるかと思いきや、アリシアに無理やり連れ出されたのだ。
「エリオ!せっかく山智を持ってるんだから、一緒に来て山菜の採れる場所を教えてよ!」
アリシアは赤髪をリボンで結び、意気揚々と籠を抱えていた。その隣では、青い髪を揺らすルシアが静かに控えている。彼女は籠をきちんと抱えながら、少し緊張した様子だ。そして、深緑のスカートを身にまとったエレナは冷静な表情を浮かべながら、一枚の地図を手にしていた。
「エリオ、見て。この地図、ホルギンガンド家に代々伝わる特別な地図なのよ。山菜が採れる場所が詳しく書いてあるの。」
エレナは自慢げに羊皮紙の地図を広げた。その地図には、山々の地形や特徴が詳細に描かれており、特定の場所には印がついている。
「すごいな。でも、この地図って……だいぶ古くない?」
エリオが指摘すると、エレナは軽く鼻を鳴らした。
「古いけど正確よ。家に伝わる伝承に基づいて描かれているんだから、間違いないわ。」
「まぁ、山智で確認すれば間違いもすぐわかるし、役に立つならそれでいいか。」
エリオがそう言うと、エレナは少しムッとした顔をしたが、口を閉じた。一方、ルシアはおずおずと口を開いた。
「エリオ、私も手伝うから……頼りにしてくれていいよ。」
「ありがとう、ルシア。でも無理はするなよ。」
彼女の控えめな笑顔に、エリオは軽く頷いた。こうして、一行は山へと向かうことになった。
山の中腹に到着すると、木漏れ日が柔らかく差し込み、足元には春の花々が咲き誇っていた。山菜の香りが風に乗り、鳥のさえずりが耳をくすぐる。
「さぁ、ここからが本番だね!」
アリシアは意気込んで走り出し、次々と山菜を籠に詰め込んでいく。しかし、足元の泥に気づかず、盛大に転んでしまった。
「きゃあああ!」
赤いスカートが泥まみれになり、エリオが駆け寄った。
「大丈夫か、アリシア?」
「……うぅ、大丈夫。でも見てよ、これ!」
彼女は泥だらけの手を見せ、顔をしかめた。エリオは苦笑いしながらハンカチを差し出すが、アリシアはそれを払いのける。
「自分でやる!エリオに助けてもらうほどじゃない!」
「いや、そこは素直に頼ってくれよ……。」
一方、その様子を少し離れた場所で見ていたルシアは、おずおずとエリオに近づき、小さな包みを差し出した。
「エリオ、これ……お弁当、作ってきたの。もしよかったら、味見してほしい。」
「お、ありがとう。ルシアが作ったのか?」
エリオが包みを開けると、可愛らしく詰められた岩角羊のサンドウィッチと山菜の和え物が入っていた。ひと口食べると、優しい味が口の中に広がった。
「うん、美味しい!ルシア、本当に上手だな。」
「……ほんとに? よかった……。」
彼女は少しだけ笑顔を浮かべたが、その様子を遠目に見ていたアリシアがむくれた顔で駆け寄ってきた。
「エリオ!私も山菜料理を作ってきたんだから、あとで感想聞かせてよ!」
「わかった、わかった……。」
さらに奥へ進むと、エレナが羊皮紙の地図を見ながら山菜の種類について説明を始めた。
「この辺りにはクレゴという山菜が多いのよ。見て、この形。覚えておくといいわ。」
「へぇ、すごいな。でもこれはクレゴじゃなくて、タマワだよ。」
エリオが山智を使ってさらりと訂正すると、エレナは一瞬固まり、その後顔を赤くしてムッとした表情を浮かべた。
「……まぁ、私だって全部知ってるわけじゃないけどね。」
「うん、でもすごく勉強になったよ。ありがとう。」
エリオがフォローすると、彼女は微妙な顔をしながらも頷いた。
山菜採りの最中、一行は泣いている子どもの声を聞いた。声の主はリナ、村の少女であり、エリオの教え子だった。
「リナ?どうしてこんなところに?」
「……遊んでたら、迷子になっちゃったの。」
ルシアが優しく抱きしめ、エリオは山智を使って村への最短ルートを探し出した。途中、リスやウサギなどの小動物が顔を出し、リナが泣き止んで笑顔を見せる場面もあった。
夕方、山菜をたっぷりと籠に詰めた一行は、満足そうな顔で村に戻った。
「今日は楽しかったね!」
アリシアが笑顔で言うと、ルシアとエレナも控えめながらも頷いた。
エリオは三人の姿を見て、ふと心の中で思った。
「……この距離感、まだまだ掴めないけど、それも悪くないのかもしれないな。」
村に戻ると、暮れなずむ空の下で、村人たちが迎えてくれた。春風が頬を撫で、笑い声が響く中、穏やかな一日が静かに幕を下ろした。