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山の声に耳をかたむけて  作者: 苔藻丸
エリオ 10歳の春篇
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第9章 春迎祭 ③

 夜の帳が降りると、クレルヴァ村の広場は昼間とは異なる神秘的な雰囲気に包まれていた。空には満天の星が広がり、焚き火の明かりが村全体を柔らかく照らしている。風に揺れる松明の炎は、まるで山神への祈りに応えるように揺らめいていた。


 エリオ・ヴァルカスは、祭司としての役目を果たすため、村人たちが集まる祭壇の前に立っていた。彼の脇には、許嫁候補であるアリシア、ルシア、エレナの三人が控えていた。それぞれが特別な役割を担い、エリオを補助する姿は、山神に仕える巫女のようでもあった。


 三人の服装は昼間とは打って変わり、夜の荘厳な儀式にふさわしい統一感のある巫女装束に整えられていた。アリシアは赤を基調とした華やかな衣装で、その胸元にはガンチャカ家の象徴である花模様が刺繍されている。エレナは深緑の衣装に金糸の刺繍が施され、知的で落ち着いた雰囲気を強調していた。ルシアは淡い青の衣装を身にまとい、長い青髪を月明かりに輝かせている。そのシンプルながらも清楚なデザインが、幼い彼女にぴったりだった。


挿絵(By みてみん)


 許嫁候補たちが補助役を務める理由は、彼女たちが次代を担う重要な存在とされているからだった。村の伝統では、実り手を支える者たちが山神に認められることが、村全体の安泰をもたらすと考えられていた。また、それぞれの家が村の中心的な役割を担っており、彼女たちの存在は村の結束を象徴している。


「エリオ、大丈夫? 緊張してる?」


 アリシアが小声で尋ねてきた。彼女の赤い装束が焚き火の光を受けて鮮やかに輝いている。


「少しだけ。でも大丈夫さ。アリシアがここにいてくれるから。」


 エリオが答えると、アリシアは満足そうに微笑んだ。しかし、すぐ隣に立つエレナが少し咳払いをして二人を見やる。


「エリオ、祭壇の準備は整っているわ。あとはあなたが祈りを始めるだけ。」


 エレナは冷静そのもので、その鋭い目つきは全体を見渡していた。


 ルシアは無言のまま祭壇に捧げる供物を運んでいた。彼女の動きには無駄がなく、幼いながらも役目に忠実で、村人たちの視線を集めていた。


 エリオは深呼吸をし、祭壇へと足を進めた。祭壇は山神を象徴する彫刻や、村人たちが持ち寄った供物で飾られている。岩角羊ワルペの肉や山の鹿ケルザの燻製、春の山菜や果実が整然と並べられ、供物の中央には山神像が鎮座していた。その姿は威厳に満ち、周囲の灯火に照らされて荘厳な雰囲気を放っていた。


 エリオは山神像の前に膝をつき、両手を胸の前で合わせた。そして、静かに祈りの言葉を紡ぎ始めた。


「山神さま、この村に恵みを与えてくださり、心から感謝いたします。これからも私たちを見守り、導いてください。」


 その声は村中に響き渡り、村人たちは一斉に頭を垂れた。広場は一瞬の静寂に包まれ、火の音だけが聞こえる。その中で、エリオは続けた。



『山神さまの祝福を受けしものは、実りを授ける。

癒し手顕るるとき、山に病や傷はない。

読み手顕るるとき、山と天は味方なり。

語り手顕るるとき、山は友となる。

あや、忘れるるべからず。

あや、忘れるるべからず。』


挿絵(By みてみん)


 彼の声に合わせるように、村人たちは静かにこの伝承詩を口ずさんだ。その詩には、村と山神とのつながり、そして祝福を受けた者たちへの感謝が込められている。エリオはその詩を唱え終わると、立ち上がり、村人たちに向けて言葉を続けた。


「この村の未来が平和で豊かでありますように。そして、山神さまの加護がこれからも続きますように。」


 その言葉に、村人たちから感謝と祝福の拍手が巻き起こった。


 アリシアがエリオに小さく声をかける。


「エリオ、お疲れさま。すごく堂々としてたわ。」


「ありがとう。でも、みんなが支えてくれたおかげだよ。」


 彼が微笑むと、エレナが真剣な表情で言った。


「次は山神への供物の配置よ。ルシア、あの果物を頼むわ。」


 ルシアは無言で頷き、慎重に供物を運んだ。その様子を見ていたエリオは、ふと彼女に声をかけた。


「ルシア、ありがとう。君がいなかったらこの祭りは成り立たなかったよ。」


 ルシアは少し驚いたように顔を上げたが、すぐに微笑んで小さく頷いた。


 祭壇への供物の配置が終わると、広場は再び静けさに包まれた。そして、夜空には満天の星が輝き、焚き火の炎が揺れる中で、祭りはひとつのクライマックスを迎えた。


 エリオは星空を見上げ、心の中で静かに祈りを捧げた。


「どうか、この村がこれからも山神さまの加護を受けられますように。」


 その祈りの中で、彼の心には許嫁候補たちとの微妙な距離感や、村全体への責任感が入り混じっていた。しかし、それでも彼は自分の役割を果たすべく、前を向いて歩みを進める決意を新たにした。


 春迎祭の夜は、静かで温かい光に包まれながら、ゆっくりと幕を下ろしていった。

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