第85話
翌日槇原さんが部屋を訪れた。
ミカナも室内に踏み入って部屋の中を華やがせる。
長い腕が伸びた。
「やあプリンセス」
梓沢が菓子を口に含んでもぐもぐする。
ミカナが目を丸くした。
「確か富山で会った」
「そ。あ、そういえば自己紹介してなかったっけ。俺は梓沢秀、解代唯一の親友やってる」
「おい」
ミカナの方をチラ見すると、小さな顔には苦々しい笑みが貼り付いている。
それはプリンセスと呼ばれたことへの反応か、はたまた俺の交友関係が乏しいことを知っての苦笑いか。
前者であってほしいと願うばかりだ。
「先日入寮しました、玖城ミカナです。プリンセスじゃありません」
「知ってる」
軽い自己紹介を経て槙原さんが事後報告を始めた。
富山県での迎撃は成功したらしい。
市街地も建物こそ倒壊した一方で住民の死傷者は確認されていない。想像よりも比較的穏やかな内容を語られた。
槇原さんが口元を引きしめる。
「ここから先は君たちにも関係のある話だ、落ち着いて聞いてほしい。君たちが元いた施設を襲撃することが決まった」
息を呑む音が聞こえた。意図せず俺の背筋が伸びる。
元いた施設。
俺たちにも関係あるってことはプランテーションと見て間違いない。
「どうしてそんなことになったんですか?」
「報復だよ。富山の駐屯地が襲撃されたことのね」
プランテーションには元同僚がいる。
脱柵したし決闘の件もある。俺が彼らの身を案じるには色々とありすぎた。今さら何人戦死しようが一日寝れば元通りだ。
きっとミカナはそうもいかない。
長い間孤独だった俺とは違う。一時期腫れ物あつかいを受けたとはいえ、友人として接した期間がある。すぐに割り切るのは無理だろう。
「少年兵はあの件に絡んでないじゃないですか。攻撃対象にする意味が分かりません」
「確かに富山県の襲撃には絡んでいない。ただ手軽なんだよ。一番近くて、最小限のリスクで人々へのアピールになる。そう判断されたんだ」
「そんなのって……」
ひざの上で繊細な指がぎゅっと丸みを帯びる。
言葉を選ぶように、槙原さんがおもむろに口を開いた。
「人類軍には派閥がある。機械に騙されている子供を助けようと動く穏便派と、機械領の少年兵を機械軍とみなして撃滅すべきと主張する過激派だ。今回の報復作戦は過激派によって立案された」
過激派。
そのワードを耳にして、脱柵前の作戦で拾った手記が脳裏をよぎる。
あれには少年兵への憎悪と殺意が記されていた。
俺たちはその内容を吟味して、未来をつかむために脱柵を決意した。
奇しくも俺たちの予想は当たっていたってことか。
「最近は過激派の方が優勢でね。我々も考え直すように訴えかけたが撤回させることはできなかった。決行は二週間後。おそらくプランテーションは崩壊する。君たちの元同僚も皆殺しにされるだろう」
「ちょっと待ってください。プランテーションは簡単に攻め落とせる場所なんですか? できなかったから今まで少年兵による被害が出ていたんでしょう?」
プランテーションはドームで覆われている。
外の様子を内部から視認できないようにするための設備。手記の内容を考察するまではそう考えていた。
実際のところ、マジックミラーじみた性質はドームに備え付けられた機能の一つでしかない。外側には外敵を迎撃する機能が備わっている。
大口径の砲撃から始まり、毒ガスを用いた生物兵器。他にも地対空兵器など多種多様な防衛機能で人類軍を跳ね除けてきた。
槇原さんが首を縦に振った。
「確かにその通りだ。でも今は事情が違う」
「というと?」
「工作員がシステムにバックドアを仕掛けることに成功した」
発言者を除く全員が目を見開く。
工作員。その言葉に該当するのはおそらくあの少女だ。
赤い眼鏡をかけた元同僚。あっちはあっちで為すべきことを為したらしい。
最大の障害は取り除かれた。軍がためらう理由はどこにもない。
「ドームを無力化すればプランテーションを攻め落とすのは簡単だ。君たちの証言が確かなら人材と装備の質にはかなりの差がある。半日と経たない間に決するだろうね」
「どうにかならないんですか?」
小さな問いかけが空気に溶ける。
旧友たちを見殺しにすることへの無力感と絶望がミカナの視線を床へと誘う。
「一つだけ、方法がある」
指し示された希望を前に、ミカナがバッと顔を上げた。
「本当ですか?」
「ああ。過激派が事を起こす前に、我々の手でプランテーションを落とすんだ」
「そんなことをしていいんですか? 過激派よりも先にバックドアを使ったら非難されそうですけど」
「そうなるだろうね」
工作員は長い時間をかけてバックドアを仕掛けた。それが無駄になるのは人類軍にとって大きな痛手だ。
「だから一発勝負になる。我々が動けば確実に過激派も予定を早める。少年兵とゆったりドンパチする時間もない」
「短時間で攻略できるとは思えませんが」
「攻略じゃない。説得するんだ、君たちがね」
「俺たちが?」
思わず瞠目する。
言葉をかみくだいて反論の言葉を紡ぎ上げる。
「俺たちは脱柵してきたんですよ? 逃げる際には同僚に銃口を向けました。何人か殺しもした。説得がうまくいくとは思えません」
「それでも可能性があるとすれば君たちしかいないんだ」
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
「実例があるからさ。君が所持していた手記にも書いてあっただろう? 少年兵の保護は前々から行われていた。保護された子供は、私たちが人類軍と言っても信じない。いや、信じたくない子が多いんだよ。解代さんと玖城さんなら分かるんじゃないか?」
手記の中身をあらためた時のことを思い出す。
人類のために戦っているつもりが、実は機械軍の兵として戦わされていた。
それは今までの時間が否定されるのと同義だ。少なくとも兵士としての自負や誇りは砕け散る。
元が人類軍を削るための使い捨てだ。心を鍛えるような教育はなされていない。少年兵の多くは転機に恵まれず、軟弱な精神のまま成長する。
弱い心を守るには現実から目を背けるしかない。
ミカナやツムギに会えてなかったら、手記の内容を知った俺はどうしただろう。
「今回は君たちがいる。同じ境遇にいた君たちの言葉なら混乱を誘発せずに届くかもしれない。不憫な子供たちを助けるために、私たちに協力してくれないか?」
「私、やります」
「ミカナ」
俺は横目を振る。
強い視線と目が合った。
「ジンくんの懸念も分かるよ。銃口を向けられる可能性はあるし、命を張って助けるべきかは分からない。でも悪いことばかりじゃなかった。プランテーション内にも楽しかった思い出があるの。私はそれを嘘にしたくない」
脱柵を決めた時と同じ瞳に見据えられて息が詰まる。
同僚につま弾きにされてきた。逃げる際にはミカナを傷つけられて、一度は生きることをあきらめようとした。
それでも笑った記憶は確かにある。
ミカナやツムギとの団欒、兄のユウヤに振り回された思い出。
そして自殺騒ぎで疎遠になった姉妹。彼女らをその他有象無象とひとくくりにしていいのか。
ユウヤが大切にしていた人を、このまま見捨てていいのか。
「解代さんはどうする?」
部屋にいる三人の視線が集まる。
俺は目を閉じて、人類領に来た時のことを想起する。
ミカナやツムギの件でショックを受けていた。気分は最悪に近かった。
その一方で微かな安堵があったのも事実だ。
機械の傀儡として死ぬ宿業から逃げおおせた。
その安心感と達成感は今でも記憶に新しい。ミカナと合流して日常が開けていく期待もある。
元同僚たちはそれを知らずに死んでいく。
そう考えると少しばかり憐憫の情がわいた。
「分かった。助けよう、全員」
「ありがとう」
ミカナと槇原さんが口元を緩める。
正直気持ちの整理はついていない。孤立させられたことはいまだにくすぶっている。
それでもミカナが助けたがっている。兄が愛した同僚も取り残されたままだ。
生前のユウヤには何も返せなかった。
だから彼の影響を受けた者を助けて、それを恩返しとする。
そう思うことにした。