第83話
「面白かったーっ!」
ミカナが満足げに口角を上げた。
映画の登場人物は最後まで武器を握らなかった。
それでも物語は進んでハッピーエンドを迎えた。銃器がなくても人間は生きていける。映画を通してそれを教えられた気がする。
「次はどこ行く?」
「んー今日はもういいかな」
「疲れたのか?」
「うん。色々見すぎちゃったのかも」
見慣れない街の景色に加えて、どこに行っても人人人。視界情報だけでも疲れるのは俺も同じだ。
「分かった。じゃあ日用品を買い揃えたら寮に戻ろう」
元より街を歩く目的は二つあった。
ミカナに街を案内する以上に、寮生活に備えて日用品を買い揃える方が重要だ。
「ごめんね。色々考えてくれてたみたいなのに」
「気にしないでくれ。ミカナが楽しめないなら意味ないからな」
靴裏で帰途の地面をたどる。
ミカナが思い出したように口を開いた。
「そういえばツムギちゃんがいる孤児院って遠いの? 近いなら顔を見ていきたいな」
意図せず足が止まった。
ミカナが振り返って不思議そうに首を傾げる。
正直に言えばいい。孤児院の係員に、ツムギに関わるなと告げられたことを。
正論だと思ったから俺は身を引いた。
ツムギの将来を考えれば、少年兵とのつながりはマイナスにしかならない。父親を担う者としての選択はこうあるべきだと確信している。
でもそれを告げようとすると喉元に何かがつまる。
ツムギに会える。
その期待に満ちたミカナの笑顔を、自分の言葉で壊すのが怖い。
「ジンくん?」
ハッとしてとっさに思考をめぐらせた。
「あ、いや、孤児院は予約しないとだめなんだ」
嘘じゃない。本当だ。ホームページに予約制と記されている。訪問するなら予約は必須だ。
そういう問題じゃない。
分かってはいても先延ばしにできる魅力には抗えなかった。
「そっか、事前に言っておけばよかったね。じゃあ後日予約して一緒に行こうよ」
「……ああ」
あいまいに返事を発して再び靴裏を浮かせる。
ミカナも士官学校に通うことが決まった。
学費を要求されない一方で、日用品は各自買い揃える必要がある。
俺が入学する際には槙原さんからお金を借りた。身元引受人がいない身では頼れるあてが他になかったからだ。
今回は事情が違う。
俺は特殊士官学校に通う身だ。毎月学生手当が口座に振り込まれている。
お金持ちとまでは言えないけど、小さな買い物をするくらいの余裕はある。
メモした物品を片っ端からカゴに収めた。お菓子の箱も三個ほど入れてカウンターに足を運ぶ。
携帯端末を用いて電子決済を済ませた。自動ドアの隙間に足を差し入れて外気に身をさらす。
「今日の分は口座に振り込まれたら返すね」
「いいよこれくらい。どうせ買いたい物もないし」
後は帰るだけだ。談笑を交えつつ足を前に出す。
視界内に校舎が映って、歩きがてらに昇降口やグラウンドなどの位置を簡単に説明する。
ミカナが住まうのは女子寮。夜中は男性の立ち入りを禁じられるけど、日のある間なら問題ない。
管理人に許可はもらっている。女子寮の廊下を踏み鳴らしてミカナの部屋の前に立つ。
ノックしても応答がない。
ドアノブを回すとドアが開いた。
二人部屋だけどルームメイトは見られない。道具が置かれている辺り、単に留守にしているだけのようだ。
「荷物を運んでくれてありがとね。お茶淹れようか?」
「いや、俺は帰るよ。ルームメイトが帰ってくるかもしれないし」
ここは女子寮だ。戻ってきて知らない男子がいたらいい気分はしないだろう。
第一俺はクラスメイトからヘイトを買っている。そのことでミカナに飛び火しないとも限らない。
梓沢との模擬戦で力を示したから大丈夫とは思うけど、念には念を入れるに越したことはない。
「また明日な」
「うん、また明日ね」
善は急げ。内側からドアを開けて廊下に踏み出す。
反射的に足を止めた。
となりの部屋のドアが微かに開いている。
その隙間が、結われた黒い房をのぞかせる。
女子だ。計四つの目が部屋に引っ込む。
「見てたのは分かってる。出て来いよ」
気を引きしめる。
どういうつもりかは知らないけど、場合によってはもう一度締めておく必要があるかもしれない。
観念したように二人の女子が顔を出した。
「どうしたの?」
ふわりとした甘い香りが鼻腔をくすぐる。
振り向くとミカナの顔があった。クラスメイトの方から息を呑む音が聞こえる。
ミカナが廊下に出た。
「こんにちは、玖城ミカナです。今日からこの部屋でお世話になります」
元気のいい声が廊下に響く。
端正な顔に浮かぶのはスマイル。俺には絶対浮かべられないフレンドリーな表情だ。
「こ、こんちは」
クラスメイトの視線が俺を捉える。
「見世物じゃないぞ」
余計なことは言うな。無言の圧を視線に乗せる。
俺は教室で暴力騒ぎを起こした。いじめられていたとはいえ、あの素行は褒められたものじゃない。
プランテーション内での決闘でもミカナには小言を言われた。クラスメイトの脚にサッカーボールキックをくらわしたと聞いたら、ミカナはどんな顔をするだろう。
四つの目が細められた。
「教室でのこと言っちゃうよ?」
「教室でのこと?」
ミカナに問いかけ混じりの視線を向けられた。
「いや、えっと」
誤魔化さなければ。
言い訳を考える間に二人の女子がミカナに詰め寄った。
「ねえねえ! もしかしてあなたも機械領から来たの?」
「え? う、うん」
「じゃあさじゃあさ、解代とどういう関係?」
「もしかして恋人? 俺の女に手を出すやつは許さないとか言ってたけど」
「言ってない!」
反射的に声を張り上げた。
似たようなことを発した気がしなくもないけど、そんな歯が浮くようなセリフは口にしていない。
「なになに?」
離れた位置でつぶやきが聞こえた。
部屋のドアが開く。廊下の角からも新しい顔が双眸をのぞかせる。
注目を集め過ぎた。
俺が寮を出ようと提案する前に、名も知らぬ女子がミカナの手を握った。
「下にいいカフェがあるの。そこで色々聞かせてよ」
「え、あの」
ミカナが同級生に引っ張られて駆け出す。
「おい!」
追おうか逡巡した末に足を止める。
先程の一言で黙らされるのがオチだし、あの分ならミカナに危害を加えることもない。放っておいても問題なさそうだ。
女子寮に用はなくなった。
足早に男子寮に戻って自室のドアを開ける。
「よ」
ベッドの上で腕が上がった。
俺は軽くあいさつを返して自分のチェアに腰を下ろす。
思わずバッと振り返ってベッドの上を二度見する。
俺の部屋は二人部屋だけど今まで一人で使っていた。ルームメイトができるなんて話は聞いていない。
なのに、いる。
決闘で負かしてから親友を自称する男が、何故か我が物顔で漫画を読んでいる。