第77話 脱出
高坂さんの指示を受けて元来た廊下をたどった。ドアをスライドさせて部屋の床に靴裏をつける。
相変わらず飾り気のない部屋。デバイスを所持することも許されない。工作員を疑われている弊害だ。
リハビリのためのトレーニングを除けばろくに外も出歩けない。地下区画だから外の情報もシャットアウトされている。
その一方で爆音は振動として伝わる。最初は微かだった揺れが、刻一刻と近づいてくる。
私は武器の所持を許されてない。
戦えないなら逃げるしかないけど、窓を介して外に出ることもできない。廊下から迫られたらアウトだ。
私のことを疎んでいる彼らは、この部屋まで来て避難誘導してくれる? このまま室内で待機するのが正解なの?
動くべきか。
動かざるべきか。
答えの出ない問答が引き金となって、脳裏にプランテーション内でのできごとが想起される。
あの時は手記が引き金だった。
血と土に汚れた文書から伝わる悲しみ、怒り、憎悪、殺意。強烈な感情で彩られた紙束は、人類軍の事情を赤裸々《せきらら》に語ってくれた。
当時はジンくんと相談して脱柵を選んだ。短い安息よりも大好きな人たちとの将来に懸けた。紆余曲折こそあったものの、脱柵は成功して今がある。
今この場にジンくんはいない。一人で考えて身の振り方を決めなくちゃいけない。
あらためて部屋の中を見渡す。
機械軍の主力は無人兵器。その攻撃は銃弾だ。向こうの攻撃には一撃必殺がつきまとう。
遮蔽物になりそうな物はゴミ箱くらいだけど、防弾性ゴミ箱なんてトンチキな物は期待できない。無人兵器の射撃を妨げる、もしくはそれをなせる何かがほしい。
手鏡をポケットに突っ込んだ。リーチの長い何かを求めてハンガーラックを分解する。
棒を握って準備完了だ。ドアの取っ手に指をかけてそーっとスライドさせる。
廊下は静まり返っている。人影一つ見られない。
廊下の床に靴裏をつけた。想像以上に靴音が鳴り響いて体がぴくっと跳ねる。
ある程度の自由が許されているとはいえ、勝手に動けば処分命令が出るかもしれない。
「誰かいませんか?」
小さな声で敵じゃないアピールをしてみた。
耳を澄ませて、人気がないことを確認してから歩を進める。監視カメラを見かけては、ジェスチャーで参戦希望の旨をアピールする。
破裂音が廊下を駆けめぐった。
反射的に姿勢を低くした。左胸の奥がバクバクとハイペースで鼓動を打つ。
人影は視認できない。曲がり角まで走り寄って手鏡を傾ける。
曲がり角の先で灰色の無機物が走っている。銃身が伸びたドラム缶、とでも形容すべきか。赤い液体に汚れるのも構わず突っ走る。
「よ、寄るな!」
男性がアサルトライフルのトリガーを引きしぼる。
破裂音に遅れて無人兵器の一部がひしゃげた。後に続いた弾が損壊を加速させて装甲の表面をめくり上げる。
男性がうめき声を上げて床に倒れた。奥歯を食いしばって右手で左腕を押さえる。
無人兵器の銃口がとどめとばかりにかざされる。
「やああああああああああああっ!」
意を決して曲がり角から飛び出した。
無人兵器が音もなく銃口の向きを変える。
マズルフラッシュよりも先に私のスイングが届いた。ハンガーラックの丸棒が銃身を打って甲高い音を響かせる。
弾が壁をうがつのをよそに、腰のひねりを利用して再度腕を振るう。
丸棒の先端が装甲の隙間に入った。めくり上がっていた箇所が限界を迎えてその中身をのぞかせる。
すかさず距離を詰める。
銃身の角度変更を体で止めた。棒の持ち方を変えて何度も力任せに振り下ろす。
鉄のかたまりが煙を噴いた。
一息ついて、床の上で顔をしかめる男性に駆け寄る。
「大丈夫ですか? 弾は?」
「抜けてるみたいだ」
男性がのっそりと上体を起こす。
上腕の辺りは血が滲んでいるけど傷は浅い。止血すれば動けそうだ。
「君はプランテーションの。どうしてここに?」
「振動が伝わってきたので様子を見に来たんです。戦況はどうなってるんですか?」
戦況が悪いのは分かる。
順調なら無人兵器が病院内に入り込んでるわけがない。前線が下がっている証明だ。
命を助けられたことへの負い目からか、軍人さんがしぶしぶ口を開いた。
「戦況はかなり悪い。警報の類もクラックされて使い物にならない。だから避難誘導しに来たんだけどこの体たらくだ」
見捨てられたわけじゃなかった。それを知って胸の奥に微かな熱が灯った。
「私も避難誘導を手伝います。余っている銃があれば貸してください」
「君が? いや、しかし……」
濁った語尾が廊下の空気に溶ける。
背中から撃たれる危険や上司からの叱責を恐れるのは分かるけど状況が状況だ。戦える人数は多い方がいい。
「お願いします」
目を見すえて再度頼み込む。
数拍置いて男性の首が縦に振られた。
「分かった。銃の扱いは知ってるんだよな?」
「はい。狙撃銃を除いた小銃は一通り使えます」
「十分だ。この腕だと俺はもう撃てない。床に落ちた銃を使ってくれ」
「分かりました」
落ちている小銃を拾い上げた。さっと点検を終えてガンリスングを肩にかける。
床に横たわる亡き骸に黙とうを捧げて男性の後に続いた。簡単に自己紹介を交わして小木野さんと歩を進める。
院内は鉄臭さと起爆薬の臭いで充満している。清潔感のある廊下は所々がえぐれて、その上に粉々になった窓ガラスがまぶされている。
確認、前進。
確認、前進。
その繰り返し。逃げ遅れた患者を回収しつつ出口を目指す。
犯罪者が怪我をした場合は一般的な病院に送られる。
私もそちらへ送られる予定だったけど、保護された当時は死の一歩手前だった。
機械軍に脅かされるこのご時世。最先端の医療技術は軍人に優先して施される。危篤だった私を治療するには軍用病院の設備が必要だった。
この場は軍用病院。患者は全員軍関係者だ。このひっ迫した状況でもパニックにおちいる人員はいない。
トラブルもなくエントランスまでたどり着いた。視線で外の景観をなぎ、安全を確保して病院を後にする。