第76話 スパイと王子様
「撃つな! 味方だ!」
聞き覚えのある声を耳にして銃口を空に向ける。
茂みから男性が現れた。後ろには似た服をまとう人影もある。
全員軍服。首を介したひもの先には軍用銃がぶら下がっている。
「槙原さん?」
呼びかけると男性が目を見開いた。
「解代さんじゃないか。そうか、梓沢さんと同じクラスだったんだな」
槇原さんが合点したように一人うなずく。
中年男性が土の地面を踏み鳴らして教官のもとに駆け寄った。二人が列から離れて口を開く。
内容は聞こえないけどチラチラと視線を寄越してくる。先程の物言いからして梓沢に用があるのだろう。
「なるほどね」
「聞こえたのか?」
「うん。チャンスが来たかもしれないよ? 王子様」
「……もしかして、それは俺に言ってるのか?」
「他に誰がいるの?」
首を傾げられた。
さも当然みたいな態度。まるで俺が間違っているみたいだ。
「君はクラスで王子様と呼ばれているのか?」
「違います」
「そうです。解代は王子様と呼ばれてます」
「真顔で嘘をつくな。お前の冗談は分かりづらいんだよ」
「いいじゃん王子様、かっこいいじゃん。それともプリンスがいい?」
「もう黙れお前」
槙原さんが愉快気に身を震わせた。
「君たちは仲がいいんだね」
「いえ
はい」
「友人ができたみたいで安心したよ」
槙原さんは思い込みが激しい人のようだ。すぐにでも正したいところだけど、悪意のない笑顔を見せられたらげんなりするしかない。
中年男性が教官とともに歩み寄ってきた。
「梓沢。お前は行軍訓練から外れてもらう。以降はこちらの賀川中尉に従うように」
「どうして俺だけ?」
「お前は他の連中と違って軍に属している。何より特別だからだ。他に理由がいるか?」
梓沢が手刀をまゆに添えた。
「了解しました。簡単に事情をうかがってもよろしいでしょうか?」
「よかろう」
賀川中尉なる人物が口を開いた。
富山県にある駐屯地や街が無人兵器の襲撃を受けたこと。
梓沢が行軍訓練に参加していることを知って、回収のために部隊と別れてここに来たこと。
それらを簡潔に説明されて俺は口を開いた。声を発しようとした刹那、諦観に負けて口元を引き結ぶ。
どうせ無駄だ。工作員疑惑のある人員を連れて歩くのは向こうも御免だろう。だったら俺が迷っていることは伏せた方がいい。
襲撃された地にはミカナがいる。もしかするとここの選択で永遠に会えなくなるかもしれない。
ミカナの身を彼らに任せるか、射殺を覚悟で訓練を抜け出すか。
「このプリンスも連れてっていいですか?」
リスクを天秤にかけていると、何の前触れもなく指先を向けられた。
「ぷり、んす?」
賀川中尉が目をしばたかせる。
槇原さんが耳打ちした。
「解代ジンです。この前保護した少年兵の」
中尉がかぶりを振った。
「駄目だ駄目だ。その少年は連れていけん」
「何故です?」
「当たり前だろう。君たちはまだ生徒なのだ。君はそういう存在だからともかく他は違う」
「でも解代は俺に勝ちましたよ? 模擬戦で」
「何?」
中尉がまゆを跳ねさせた。槙原さんもバッと首の角度を変えた。
「解代さん。今の話は本当かい?」
話の流れに任せて首を縦に振る。
わざわざ梓沢を拾いにここまで足を運んだくらいだ。本職の人間は梓沢の実力を評価している。
その梓沢に勝ったことは一定の評価が見込める戦果だ。俺の存在も重宝してくれるかも。
中尉が体の前で腕を組んだ。うなり声が森の空気を震わせる。
「しかしなぁ」
「後ろから撃たれることを考慮されているなら気にしなくていいと思いますよ。こいつはプリンセスを助けたいだけですから」
「さっきからプリンプリンと、君は一体何を言っとるんだ?」
プリンス、プリンセス。
どちらもファンシーな意味合いが強い。小ばかにされたと勘繰るのが自然だ。他ならぬ俺がばかにされていると確信しているんだから。
まあまあと槙原さんが仲裁に入った。
「梓沢さんが言いたいのは、解代さんの恋人のことだと思います」
「恋人?」
「玖城ミカナさん。脱柵の途中ではぐれたらしいんですが、現在は富山陸軍病院で保護されているんです」
「我々が向かおうとしている場所じゃないか」
「その通りです。駐屯地を落とされることは彼女の死と同義。その可能性は我々の動き次第で変動する。恋人が落命するリスクを冒してまで邪魔をするとは思えません」
同行を妨げられるのは、俺が工作員かどうか判断できないからだ。
だったらいっそ工作員でいい。その上で有用性ありと判断させれば事は済む。
「俺からもお願いします! 同行させてください! 恋人に会いたいんです!」
入学する際のあれこれで、人類軍が規則よりも戦力確保を優先することは知っている。
ただでさえ切迫したこの状況。裏切りのリスクを排除した上でメリットしか残らないなら、それが現時点で最良の選択肢だ。
さあうなずけ。俺を加えろ。
駄目押しで頭を深く下げた。
沈黙が訪れる。風が吹き過ぎる音と、左胸の奥でバクバクした鼓動だけが聴覚を刺激する。
「分かった。同行を許可する」
上体を起こす。
瞳孔が開く感覚。世界がぱぁーっと色づいたかに思えた。
「ありがとうございます!」
喉からお礼が飛び出した。予想したよりも大きい声量に自分で驚く。
次いで立役者に視線を向けた。
「梓沢もありがとう」
梓沢がきょとんとした。照れくさそうに頬をかいて視線を逸らす。
「まあ、借りがあったからね」
「借り?」
「こっちの話。プリンセス、助け出そうね」
「だからその呼び方はやめろ」
助けてもらった手前無碍にもできない。適当に苦笑いでお茶を濁した。