第75話 昨日の敵は今日の友
模擬戦は俺の勝利で終わった。
校内一の実力者として知られる梓沢を負かしたことで、俺は教室にて不可侵の存在となった。
ここまでは予定通り。仮にミカナが入ってきても手を出されることはない。プランテーションにいた頃を思い出す孤立ぶりだけど、周りが敵だらけなのはあの頃と同じだ。
唯一想定外があるとすれば、一人距離を詰めてくる人物が残ったことか。
「おはよう解代」
長身の少年が右腕を九十度に上げる。
無表情だが雰囲気は和やかだ。まるで友人にあいさつしたように馴れ馴れしい。
迷った末に振り向いた。
「……おはよう」
「おお、返ってきた」
「もう話しかけるな」
「冗談だって」
梓沢が椅子を引いて腰を下ろした。袋から棒状の菓子を引き抜いて口にくわえる。
もごもごする頬を眺めていると袋をかざされた。
「いる?」
一瞬思考が漂白された。
「食べる?」
「いや、意味は分かってる」
「じゃ何の間だったの?」
「よく当たり前のように話しかけてくるなと思ってさ。あんなことがあったのに」
「あんなことって?」
「模擬戦しただろう? 俺はお前の存在意義を砕いたんだぞ」
梓沢は最強の兵士をコンセプトに作られた。
機械領の出身とはいえ俺は同年代だ。梓沢のプライドが粉々に砕け散ってもおかしくない。
細い首が角度を帯びる。
何で? と言いたげな表情だ。
「別にいいよそんなこと。クラスメイトなんだし仲良くしようよ」
それに関しては思うところがある。俺が加害者みたいになっているけど、元はと言えば梓沢が名乗りを上げたのが原因だ。
ミカナの居場所を確保するための宣言に興味本位で首を突っ込まれた。あの時の苛立ちは今もくすぶっている。
しかし敵対関係に落ち着くのも不都合だ。
俺に負けたとはいえ梓沢は強い。耳も良いからクラスメイトの小細工を看破できる。味方につけておいて損はない。
「分かった。仲良くしよう」
梓沢が口をとがらせた。
「あんまり嬉しそうじゃないね」
「当たり前だ」
「お菓子いる?」
「いらん」
大人が教室の床を踏みしめた。教壇が踏み鳴らされてショートホームルームを迎える。
模擬戦の前と変わらない時間に身をゆだねる。
座学を終えて食堂に足を運び、何故か隣に座った梓沢と昼食を摂った。
午後は行軍訓練。数キロにおよぶ未整備の道に靴裏をつける。
装備一式を背負っての徒歩移動。人の手が入らないだけあって道はガタガタしている。
コンクリートの地面を歩くよりも砂浜を歩く方が疲れる。雨が降れば視界はふさがり、ぬかるんだ土に足を取られる。
体力自慢の同僚がこんなはずじゃないのにと悲鳴を上げる。プランテーション内でも見た光景だ。
プランテーションで行われた時はダウンした同僚を介抱する羽目になった。汗と土の臭いにまみれた思い出はとても美談にはできない。
人類軍の訓練でも行われる辺り、行軍訓練は一定の効果が見込めるらしい。
状況対応能力を高める訓練。そう自分に言い聞かせて野道に歩いた証を刻みつける。
森に差し掛かった。視界内が既視感のある緑に埋め尽くされる。土と草木の濃厚な匂いが血まみれになって歩いた記憶を呼び起こす。
数日前なら最愛の少女の亡き骸に怯えて歩けなかったかもしれない。ミカナの存命が分かっている分だけ気が楽だ。
「楽ちんそうだね」
「何でここにいるんだ? 勝手に列から出たら怒られるぞ」
「だってみんなひいひいうるさいんだもん」
梓沢が不満げに目を細める。
訓練に参加した全員が数十キロの荷物を持っている。長距離走に慣れていても重荷を背負って足場の悪い地面を歩くのはつらいものだ。普段使わない筋肉にも負荷が掛かって予想以上に疲れがたまる。
悲鳴を上げる同僚がうるさい。
俺もプランテーションで経験した出来事だ。不覚にも親近感を覚えた。
「ねえねえ」
「今度はなんだ」
「解代が脱柵した時ってこの辺りを通ったんだよね?」
「ああ。たぶん」
「たぶん?」
「あの時は景色を眺める余裕なんてなかったからな」
この辺りまで来た時はすでに疲労困憊だった。追っ手も迫っていて地形など記憶する余裕はなかった。
生きてこの場にいるのがいまだに信じられない。あの時のことを想起するたびに思うのだ。
実はとっくに死んでいて、この体は幽体なのでは? と。
「……痛ってッ⁉」
頬に針を刺したような痛みが走って振り向く。
梓沢が俺の頬をつねっていた。
「何してんだ⁉」
「いや、解代がぼーっとしてたから」
「そんな理由で人の頬をつねるな!」
「ほい」
相変わらずの鉄仮面。
抗議の視線を向けても効果はないようだ。
「んでさ、何を物思いにふけってたの?」
素直に感傷を告げるのもしゃくだ。
ふと思いついたことを口にする。
「富山県はあっちかと思っただけだ」
ミカナが入院している富山陸軍病院。元気とは聞いたけど懸念は残っている。
俺は機械領出身を理由にいじめられた。模擬戦で力を示した今でも偏見の目は存在する。
ミカナも同じ思いをしていないだろうか。そう思うと心がざわつく。
「もうちょっと西じゃない? ここからなら一時間も掛からないかも」
梓沢が地図を広げた。俺は首を傾けて紙面を盗み見る。
クラッキングの心配皆無な地図には富山県の文字が記されていない。
「西ってどこを見て言ったんだ?」
「ここには描かれてないよ。俺の頭に入ってるだけ」
「その記憶は信用できるのか?」
「もちろん。俺非常に優れてるから」
「あっそ」
ため息が混じりに告げて肩をすくめる。
踏段が普段だからどこまで本気で言ってるのか分かりゃしない。
「まあいい。時間をかければ徒歩でも行けるんだな?」
「できるだろうけど止めた方がいいと思うよ」
「どうしてだ? ちょっと腹痛を起こして道に迷うだけだぞ」
周りは樹木であふれている。地図や方位磁石があっても慣れない者が歩けば簡単に迷う。
俺は未熟な少年兵。列を離れて用を足したはいいものの、帰り道が分からずに迷っても仕方ない。
「……それ、本気で言ってる?」
無表情な顔がドン引きした。
「何だその顔は」
「いや。俺解代のこと誤解してたよ。この色ボケめ」
「バカにするならもっと笑ったらどうだ? そんなんじゃ拳を叩き込む気にならないぞ」
「挑発したわけじゃないよ。女のことになるとバカになるんだなぁって思っただけ」
「失礼な奴だな」
梓沢が小さく嘆息した。
「冷静に考えてみなよ。解代は異物なんだ。行軍訓練中にどこかへ向かったと知られたら、スパイが尻尾を出したと勘繰られてもおかしくない。射殺指令が出ても文句言えないって」
「スパイ疑惑は晴れてるぞ」
「表向きはでしょ? 一度貼られたレッテルは簡単に剥がれないよ」
実際模擬戦するまではいじめられてたんだし。
そう続けられた言葉を否定する材料は浮かばない。
「軍人って面倒くさいな」
空を仰ぐ。
目にかかる前髪のごとく、枝から伸びる葉が蒼穹を汚している。
天然の天井はオレンジから黒へ。夜闇をキャンパスに光が散りばめられる。
野宿も訓練の内だ。冷たいインスタント食品を胃に収めて短い仮眠をとった。
見張りの番が回って上体を起こした。ぼんやりした頭をしゃきっとさせて、闇夜に忍ぶであろう仮想敵を警戒する。
世界が黒以外の色を取り戻す。
同級生の疲れた顔は無視して身支度を整えた。クマよけの鈴が状況開始を告げて靴裏を浮かせる。
二日目の行軍訓練中にそれは起きた。
「ん?」
梓沢が足を止めた。後ろの同級生が背中に鼻をぶつけても微動だにしない。
「どうした?」
「足音が近づいてくる」
左胸の奧が鼓動を打った。
常軌を逸した聴覚を持つ梓沢が言うんだ。信ぴょう性は高い。
この付近で他の部隊が訓練をする話は聞いていない。俺は小銃を構えて耳を澄ませる。
近くの同級生がぎょっとした。
「何してんの⁉」
「黙れ」
梓沢に横目を送る。
「方角は?」
「三時の方向」
長い指先が示す先に銃口を向ける。
梓沢の言葉通りにザッザッザッと物音が迫る。ペースが速い。相手は走っているようだ。
この場は視界の悪い森の中。相手が少年兵なら忍び寄って奇襲をかけるだろう。堂々と靴音を鳴らす辺り獣の可能性がある。
「鈴」
「あいよ」
梓沢がクマ避けの鈴を振り回した。何事かと周囲の視線が殺到するけど横目も振らない。日和った連中に付き合って噛み殺されるのは御免だ。
足音がすぐそこまで来た。