第73話 小人のステップ
体調は改善に向かっている。
敗血症の合併症はない。医療用ナノマシンも摘出されて自然状態での治療に移行した。
受け答え可能と判断されて事情聴取が始まった。
取り調べでは知っていることを洗いざらい話した。プランテーション内の軍施設にまつわることから部隊構成、運用兵器まで役に立ちそうな情報を提供した。
協力的な姿勢を評価されてある程度の自由を許された。
自由を得たことはリハビリに都合がよかった。病気は治ったものの寝たきりで身体能力が落ちている。ジンくんやツムギちゃんとの再会に備えて様相を整えておきたい。
軍施設の設備を使う許可は得られた。今日もトレーニングルームに足を運んでルームランナーの上を踏み鳴らす。
「こんにちは」
凛とした声を受けて振り向く。
すらっとした脚が距離を詰める。トレーニングルームだけあって、軍服ではなくトレーニングウェアを着用している。
高坂瑞樹。
恩人にして元同僚の少女。少尉の階級にある軍人さんだ。
本来は駐屯地で待機する立場だけど、私を守った際に手榴弾の破片を受けた。その治療で時々病院に足を運んでいる。
視界に映る体には包帯などの衛生材料は見られない。
走りながら微笑で応じた。
「こんにちは高坂さん。包帯取れたんだね」
「ええ。玖城さんもあれから問題はなさそうね」
「うん。おかげさまで元気になったよ」
「私は何もしていないけれど」
「私がトレーニングできるように計らってくれたでしょ?」
私が機械領出身なのは他の軍人さんも知るところだ。
脱走を試みた際に絡まれたことは記憶に新しい。名目上は保護でも一人で立ち回るには危険な場所だ。
懸念とは裏腹に平穏な日々を送っている。私を人気のない場所に引きずり込もうとした二人にも遭遇していない。
「私は余計なちょっかいをかけるなって言っただけよ」
「それを計らったって言うんじゃない?」
「言わない」
「そうかなぁ」
「私を良い人にしたいのは分かるけれど、あまり信用しない方がいいわよ? 私だって軍人。上官の命令には逆らえないんだから」
「そんなつもりはないんだけどね」
プランテーションにいた頃はめったに言葉を交わさなかった。
何かが違っていれば二度と顔を合わせなかった関係だ。再び巡り合ったことに特別なつながりを感じる自分がいる。
「少し歩かない?」
お誘いされたのは、高坂さんが来て十分ほど走った時だった。
「いいの? ここに来てからそんなに時間経ってないけど」
「さっきから私を気にして集中できてないじゃない。また怪我でもされたらたまったものじゃないわ」
「やっぱり優しい」
「血濡れのバーサーカーが怖いだけよ」
互いにルームランナーを止めて床に靴裏を付けた。シャワールームに足を運んでトレーニングウェアを脱ぐ。
体形が戻ってきた。これなら見られても大丈夫。
お花が咲いた思考を湯のつぶてで汗とともに流した。ふかふかのタオルで水滴を拭き取り、ドライヤーの熱風で髪をそよがせる。
ラフな衣服にそでを通してトレーニングルームの空気に身をさらした。ドリンクで喉を鳴らしてタンパク質を摂取。用事を終えてトレーニングルームを後にする。
「これ首に掛けて」
高坂さんがカードホルダーを差し出した。
「何これ?」
「許可証。今のあなたは、あの部屋とトレーニングルームくらいしか出入りできない。一時的にその制限を取り払うための物よ」
ケースを受け取ってひもを広げた。首からかけて高坂さんに向き直る。
「似合う?」
「似合う似合う。行くわよ」
高坂さんが背を向けて足を前に出す。
苦々しく口角を上げて後に続いた。
「人類軍はアナログなんだね」
「電子はすぐ偽造されるのよ。こっちの方が安全で確実なの」
「なるほどね」
がらんとした廊下に靴音が伝播する。質素な景観が後方に流れて、視界の隅に映る壁がガラスに移り変わる。
下には軍人がまばらに配置されている。遠くには生い茂った緑が日光を受けてその色を際立たせている。
窓から差し込む陽光を浴びつつ雑談に花を咲かせる。
「証明証の偽造って言うけど、人工知能には人類軍に味方する派閥もあるんだよね?」
「ええ。といっても友好派の仕事は無人兵器で戦うことくらいだけどね」
「どうして? データ処理やクラッキングに回した方が効率良いんじゃない?」
「そんなの任せられないわよ。私たちは友好派を完全に信用してないんだもの」
人類に友好的な人工知能。
はた目には敵対派と区別がつかない。機械軍の工作員とみなして資材の流通を遅らせるなど嫌がらせをする人も多かったらしい。
機械に守られることへの屈辱もその手の行為に拍車をかけたのだろう。耐えかねて機械軍に寝返ったケースもあったんだとか。
その気持ちは少し分かる。
プランテーションから脱柵して人類軍に保護された身だ。恩を仇で返すつもりはない。
それでも考えてしまう。
もし高坂さんに助けてもらえずあの二人組に犯されていたら、今頃はどんな思考をしていたか分からない。
その可能性を考えると、寝返った人工知能を裏切り者と糾弾する気にはなれない。
「不安?」
「え?」
顔を上げる。
問われて、自分がうつむいていたことに気付いた。
「目覚めてすぐあんな目に遭ったわけだし神経質になるのは分かるけれど、ああいう連中ばかりじゃないのは分かってね。中には気の良いやつもいるのよ」
「大丈夫。プランテーションにもその手の人たちはいたもの。場所で人を決めつけたりはしないよ」
ジンくんやツムギちゃん、高坂さんともプランテーションで知り合った。機械領にいてもかけがえのない絆ができた。
その一方で苦手な人もいた。
友達からはデリカシーのない言葉をかけられた。
意識がもうろうとしている時に鬼畜な発言をした輩もいた。
どこにでも人のために動ける人と他者を傷つける人がいる。一時の感情で全てを決めつけたりはしない。
「それならいいのだけれど」
「ちなみにこれからどこに行くの?」
「特に決めてない」
「それなら外の空気吸いたいな。中庭とかある?」
「屋上庭園ならあるわね」
「いいね! そこに行きたい!」
心の中の小人がるんるんとスキップを始める。
ずっと閉鎖的な空間にいると気分がまいってくる。窓を開ければ新鮮な空気は入って来るけどそれじゃ満足できない。
久しぶりに日の下に出て呼吸できる。今日はいい天気だし、高坂さんとの仲を深めるチャンスだ。
目指せ名前呼び!
意気込んだ刹那、けたたましい音が廊下を駆け巡った。