第66話 高坂瑞樹
こんな状況なのに少女から目が離せない。
年が近そうなのに大人びている。黒い髪に白い肌。コントラストのはっきりとした容貌が引きしまった雰囲気を醸し出している。
どこかで見た顔つきな一方で、華奢な体は見覚えのない制服に包まれている。
「こ、これは高坂少尉!」
手首を押さえる圧力が消えた。振り向いた先で二人の男性が敬礼を取る。
少女が廊下の床を踏み鳴らした。
「彼女をどこに連れて行こうとしていた?」
「元々収容していた部屋に戻すつもりでした! この場で、脱走しているところを見かけたので!」
「そうか、ご苦労。お前たちは戻っていいぞ。後は私が引き継ぐ」
「はっ!」
二人組が上り階段へと足を進ませる。
少女がため息をついて私を見据えた。
「そういうわけなの。脱出しようとしていたところ悪いけれど引き返してくれない?」
口調こそお願いだけど、断ればどうなるかは私でも分かる。
首を縦に振って元来た廊下をとぼとぼ歩いた。目覚めた部屋に入室してベッドに腰を下ろす。
何故か少女も部屋に踏み入った。
「無茶してくれるわね。私が来なかったらどうするつもりだったの?」
「ごめんなさい」
声色は自分が発したとは思えないほど弱々しい。
嘆息が室内の空気を震わせた。
「ずいぶん覇気がないわね。いけすかない男に膝蹴りしたあなたはどこへ行ったの?」
「……え?」
思わず顔を上げる。
記憶にある限りでは、誰かに膝蹴りを繰り出したのはツムギちゃんを守ったあの一件だけだ。
機械領にいた人にしか知り得ない一幕。一つの推測を口にした。
「あなた、プランテーションにいたの?」
「ええ。工作員として潜り込んでいたわ。ついでに言うなら、あなたの男に自動運転車を提供したのも私よ」
「私の男、って」
お風呂でのぼせたように耳たぶが熱を帯びる。
頬に両手を当てた。手のひらに伝わる熱が何とも面映ゆい。
でもこれ、嫌いじゃないかも。
「そっちに反応するの? あと体はくねらせなくていいから」
少女が呆れたように目を細める。
ジトっとした視線に気づいて咳払いした。
「私を助けてくれたのはあなたなの?」
「ええ。あの時はびっくりしたわよ。ぐったりしてると思ったら急に自爆しようとしたんだもの。私が手りゅう弾を蹴飛ばして押し倒したからよかったものの、一歩間違えたら死んでたわよ」
「あの場にいた同僚はどうしたの?」
「殺したわ」
短く告げられて息を呑んだ。不謹慎とは思いつつも胸のつかえが取れる。
殺してしまったと思っていた。
瀕死の私にひどいことをしようとした同僚だ。言って分かるような相手じゃなかった。
でも心のどこかで後悔をしていた。やってしまったと、心に暗いものが落ちていた。
そのつかえは解消された。変わりに罪悪感がわき上がって目を伏せる。
「ごめんなさい」
気付くと二度目の謝罪を口にしていた。
「どうして謝るの?」
「あなたに、人を殺めさせてしまったから」
あんな連中でも人は人。命の恩人を苦しめると思うとやりきれない。
「……ああ、そういうことね」
少女が思い至ったように腕を組んだ。
「玖城さんが気に病むことはないわよ。あのグループは以前から不愉快だったし、手りゅう弾の破片を受けてのたうち回っていたもの。介錯と考えれば少しは気が楽になるかしら」
気が楽になる?
聞き間違いかと思って顔を上げる。
恩人の表情は真剣そのもの。冗談を言ったようには見えない。
歳の近い、女性の軍人。
共通する点はあれど価値観に明確なずれを感じる。
おかしいなんて思わない。私とこの人は生きてきた環境が違う。考え方の差異は非難の要因になり得ない。
ただ悟った。
この少女もまた、私たちの同属なのだと。
「何だか気が抜けるわね」
凛とした表情がふっと緩んだ。
「どうして? 私に襲われると思ってた?」
「まさか。寝たきりだった玖城さんに後れを取るとは思えないもの。血濡れのバーサーカーの恋人だから、どんな鬼女かと思って警戒してたのよ」
むっとする。
ジンくんが血濡れのバーサーカー呼ばれていたことは知っている。そういった風評を止められないことは理解していたし、それが抑止になるならと恋人は語っていた。
でも鬼女はいただけない。ジンくんやツムギちゃんが怖いイメージを持ったらどうしてくれるの?
やり返したい。子供じみた反抗心がふつふつと込み上げた。
「あなたこそ、さっきの二人を叱りつけた時の口調はどこにいったの?」
「あれは口調を作ったのよ」
「軍人の見栄ってこと?」
「そんなところね。ナメられないようにするための工夫だから」
「なめる?」
小首を傾げる。
私を犯そうとした二人は少女を高坂少尉と呼んでいた。敬礼のポーズを取ったことからもどちらの階級が上なのかははっきりしている。
下が上にあなどられるならまだしも、上が下にあなどられるのはしっくりこない。
「想像つかないかしら? プランテーションに大人はほとんどいなかったものね。こっちにはいるのよ、若いやつには死んでも頭を下げたくないって輩が。あの手の連中はこっちが下手に出るとすぐつけ上がるの。つまるところ、うら若き乙女が生きる処世術ね」
それ自分で言うの? そう告げかけて口にはしない。
私から見てもこの子はきれいだ。ナルシストじみた発言に思うところはあっても、少女漫画のライバルじみたクールな在り方には一種の憧れを抱く。
仲良くなりたい。素直にそう思った。
「あなたも大変なんだね」
「そのあなたって言うのやめてくれない? 高坂でいいわ」
「そう? じゃあ高坂さん、私はこれからどうなるの?」
「詳しいことは分からないけれど取り調べはあるでしょうね。玖城さんは貴重な情報の塊だし。そう簡単には出してもらえないと思って」
「そう、だよね。ジンくんとツムギちゃんが今どうしているか知ってる?」
「その二人については知らないわ。少なくともこの施設にはいない」
「……そっか」
気分が沈む。
ほんのちょっとでも期待した分、落胆は大きかった。
「そんな顔しないでよ。気持ちは分からなくもないけれど、どうせここから出られないんだから考えても仕方ないでしょう。おとなしく体力回復のために寝てなさい」
「私元気だよ?」
「よく言うわね、廊下を歩くだけでもふらついてたくせに」
「うそ、私ふらついてた?」
「自覚なかったの? あなた重度の敗血症だったのよ。ダメージは簡単に回復しないし、医療用ナノマシンも入っているから疲れやすい体になってる。今は余計なことせず寝ておくことね」
高坂さんが身をひるがえす。
「待って高坂さん」
「何?」
私はベッドから腰を浮かせて頭を深く下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
暴漢から、森の中での自爆から。何より私を死に至らしめていたはずの病魔から。
こんな私に、大好きな二人に再開できる可能性を残してくれた。どれだけ感謝をしてもし切れない。
ふっとした息遣いが聞こえた。
「どういたしまして」
靴音に遅れて、室内と廊下が一枚のドアで隔てられる。
廊下を歩いた時と比べて歩調は速めに感じられた。




