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第65話 軍服の少女


 視界いっぱいに闇が広がっている。


 ここはどこ? 


 疑問に思う間もなく二つの人影が映る。


 大きな背中と小さな背中。視界に入っただけで胸の奧がぽかぽかした。目頭の熱さをこらえて駆け寄りたい衝動に身を任せる。


 すぐに気付いた。間にある距離が一向に縮まらない。


 二人が足を前に出した。


 見る見るうちに背中が小さくなる。胸の奥から噴き上がった焦燥感が言葉となって口を突く。


 待って。


 声を張り上げたのに自分の耳にすら届かない。


 どれだけ口を動かしても二人の歩みは止まらない。叫んでも腕を伸ばしても届かない。


 喉を絞めつけるような焦燥が、独り置いていかれる恐怖に変わる。


 小さくなった二つの背中が闇に消えて――。

 


「――待って!」


 自分の叫び声で目が覚めた。


 清潔感のある天井が映った。遅れて消毒液の臭いが鼻につく。


 目をしばたかせて視線を下げる。


 吊るされたパック、腕から伸びているチューブ、床に立つ点滴装置。


 全部見覚えがある。最新の器具なのか見慣れない様相だけど、負傷した際にお世話になった医療器具の数々だ。


「どうして、私」


 生きてるの? その理由をぼんやりとした頭で考える。


 プランテーションを脱出した。車内でふくらはぎの痛みにうめいて、燃料が尽きたから徒歩で森の地面を歩いた。


 途中で脚の怪我が悪化して動けなくなった。恋人にツムギちゃんを託して、去り行く背中を見送ってから慟哭どうこくした。


 その場所で私は終わったはずだ。


 何せ自爆を試みた。どうせ殺されるならと、二人を逃がすために手榴弾のピンを引き抜いた。少しでも威力を上げようと前に出た。


 記憶はそこで途絶えている。


 おそらく私は失敗した。こうして息をしているのがその証拠だ。自爆を阻止されて機械軍に捕縛されたに違いない。


 悔しい。


 そう思った刹那せつな、口から小さな笑い声がもれた。目元からあふれた何かがほおを伝い落ちる。


 不謹慎でも嬉しい。


 二度と追いかけることは叶わないと思っていた。手りゅう弾ともに爆ぜて一生を終えるのだと覚悟してピンを引き抜いた。


 でも私は生きている。


 生きていれば二人の背中に追い付ける。じんわりとした温かさを覚えて、瞬時に気を引きしめた。


 この場は敵地。相手の目的は明白だ。


 私を生かして捕らえたからには情報を引き出そうとするはず。拷問が行われる未来は容易に想像できるし、聞き出した後には間違いなく始末される。


 二人と笑みを交わす未来は、ここから逃げ出さない限り実現しない。


「逃げなきゃ」


 意を決してベッドからお尻を浮かせる。


 体が異様に重い。相当長い間寝たきりだったらしい。筋力のおとろえを嫌というほど思い知らされる。


 そんなもの、思い描いた未来の前には極めて些事さじだ。


 腕に突き刺さっている点滴の針を丁寧に抜き取って抜針部を指で押さえる。


 こんな体じゃ脱出もままならない。捕縛されてこの部屋に連れ戻されれば今度こそ体の自由を奪われる。


 怖い。じっとしていると体が震える。


 でも愛しい人たちに再開する芽が残っているんだ。未来を想うだけで熱が泉のごとくわき上がる。


 室内を視線で薙いで武器になりそうな物を探す。


 銃器はもちろん刃物もない。


 身体能力が下がっている現状では格闘技を用いた無力化も厳しい。同僚に見つかれば逃げられない。


 口惜しい気持ちを抑えて部屋のドアに耳を近づける。


 板の向こう側から音は聞こえない。


 本当に誰もいない? もしくは待ち伏せている? 悪い想像が頭の中をグルグルと駆けめぐる。


 時間が経てば経つほど状況は悪くなる。警報がないだけで、私が起きたことを知った誰かが部屋に向かっているかもしれない。


 口元を引き結んでドアをそっとスライドさせた。廊下を素早く見渡してスリッパの裏を廊下の床につける。


 見覚えのない内装だ。清潔感があるのは施設の廊下と同じだけど、高さや横幅など微かな違いが目につく。


 大方この場は裏切り者を収容する施設だ。脱柵を決行した身に待つのは死罪しかないんだから。


 前方から靴音が近付く。


 鉢合わせたら勝ち目はない。とっさに視線を振り回して物陰を探す。


 少し太めの柱が目についた。スリッパの音を抑えて柱の陰に潜り込む。


 息をひそめていると二人の男性が映って、思わず目をぱちくりさせる。


 大人の人だ。


 プランテーション内で生活する大人の人数は限られる。隊舎で目の当たりにした大人なんて、ツムギちゃんを連れてきた失礼な女性くらいだ。


 絶滅危惧種に等しい大人が二人並んで階段を下る。


 奇妙に思いつつも柱に身を寄せた。二人組の歩みに合わせて、姿を見られないように少しずつ回り込む。


 靴音が遠ざかる。


 やり過ごした。確信してほっと息をつく。


 一回やり過ごしただけだ。施設の外に出るにはこれを何回も繰り返さなければならない。


 心臓が爆発しそうだけど、憂鬱ゆううつに浸っても始まらない。


 まずは上の階を目指すべく柱の陰から出た。二人組が下りてきた階段を仰ぐ。


「ばあっ!」


 いかつい顔が視界内に飛び込んだ。


「きゃあ――!」


 口元を手で押さえられて悲鳴がくぐもった。もう片方の隆々とした腕に両手を拘束される。


「っ⁉ ~~っ!」


 くぐもった声がむなしく空気に溶ける。すごい力だ。全く身動きが取れない。かかとで男性の足を踏みつけてみたけど、腕を拘束する手は微動だにしない。


 私の履物はスリッパ。


 対して男性の履物は頑丈な軍靴。踏んだところで大したダメージになるはずもない。


 格闘技で迎え撃つこともできない。完全に無力化されてしまった。


「本当に生きてたよ。すげーなナノマシン」

「高価なだけはあるな。で、どうするよ? マワす?」


 男性の口端が吊り上がった。生理的嫌悪感が刺激されて一瞬息が詰まる。


「外見は可愛いから気持ちは分かるけどさぁ、見つかったら事だぞ?」

「見つからなきゃ大丈夫だろ。大体こいつらには何人も仲間をやられてんだ。やり返してえだろ」

「だな」


 ぶるっとした震えが体中を駆けめぐった。ろくでもないことが始まろうとしているのを肌で感じる。


 二人の言葉は聞き取れる。人種こそ違えど施設内でも使われた言葉だ。自身がなぐさみ者にされかけている事態を把握する。


 彼らの言葉から察するにばれてはまずいことなのだろう。


 そのリスクを踏まえた上で手を出そうとしている。場合によっては、証拠隠滅の意図で口封じされることも十分に考えられる。


 下卑げびた笑い声が廊下を伝播する。


 怯えと焦燥感に駆られて再度腕に力を込めた。何度もかかとを落として逃れようともがく。


 体をくねらせることしかできない。根本的に膂力りょりょくが違いすぎる。暴れる様子が可笑しいのか耳元で嘲笑が上がった。


 やだ、やだ……っ! 


 こみ上げる悔しさが視界をぼやけさせる。


 せっかくつかみ取った奇跡が、少し前まで思い描いた未来が手のひらからこぼれ落ちていく。


 ひどいよ、こんなのって……!


「お、泣き出したぞ。いいねぇそうこなくっちゃ」

「あっちにカメラの死角がある。行こうぜ」


 グイッと引っ張られた。日の光降り注ぐ階段が少しずつ遠ざかる。


 冷酷な現実を直視できずにぎゅっとまぶたを閉じた。抑えられた口で大好きな二人の名前を叫ぶ。


 大声を出したところで聞こえるはずもない。これから薄暗い廊下に引きずり込まれて、見ず知らずの男性に体をもてあそばれるのだろう。


「――その手を離せ! エミール一等兵!」


 心があきらめに呑まれかけた時だった。凛とした声が廊下を駆けめぐる。


 目を開けると、階段に軍服をまとう少女の姿が付け足されていた。


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