第63話 陳腐で虚ろな空模様
目覚めた俺を待っていたのは検査と診断の日々だった。
機械軍は生物兵器を使う。かつては感染させた子供を人類領に送り込む手法が取られた。
密集地で咳をするだけで爆発的に感染者の数が増大する。一見無害な人間にしか見えないから誰も警戒しない。究極のバイオ兵器は人間などという冗談がトレンドになったくらい猛威を振るった。
教訓を踏まえて、外から来た人物には検査が行われる。
俺も同様だ。ウイルスの有無だけじゃない、機械軍や他国のスパイの線も疑われた。
何かしらの線引きをもって俺はシロと判断された。経過観察も終えて医療機関から出ることを許された。
俺に私服の持ち合わせはない。私物は銃器と戦闘服くらいだけど、それらを身に着ける許可は下りず返却されることもなかった。
見舞いに来た槇原さんに頼み込んで衣服一式を用意してもらった。ジャケットにシャツを着込み、伊達眼鏡で目元を飾ってコンクリートの地面を踏み鳴らす。
街には人があふれている。男女年齢問わずあっちこっちで地面を踏み鳴らす。
銃器の類は一切見られない。ほとんどの人が動きにくそうな格好で歩いている。
プランテーションにいた頃には考えられなかった光景だ。大勢の大人を見る機会は限られていたし、隊舎や施設を出れば他者と出くわすのも稀だった。
幸運の象徴とされていた大人が、今は視界内でぞろぞろとうごめいている。
俺と人々。
おかしいのは、俺の方に違いない。
少年兵の身で二十歳を超えるほど長生きするケースは少ない。制服を着て歩くのは当たり前で訓練の際には銃器を持った。
休日でも要請があれば出動した。平穏とは言い切れない毎日を過ごしてきた。そんな殺伐とした日々と平和のギャップが俺を浮足立たせる。
気を取り直して人工的な地面から靴裏を浮かせた。談笑する男女や子供を見ないように努めて賑やかな空間を突っ切る。
視界内でうごめく人影が消えて静けさに包まれた。歩みを進めた先で横長の古びた建物が映る。
残喜院。ツムギが収容されている児童養護施設だ。
俺とツムギの間には血縁関係がない。義理でも親子でいられたのは、機械の上官にそう命じられていたからだ。
人類領には人間のルールがある。
俺ではどこまで行ってもツムギの他人にしかなれない。事前に槇原さんからその説明を受けている。
一緒には住めない。
それでも一目会いたい。その一心でツムギのいる児童養護施設を聞き出して、訪問の予約までこぎ着けた。
門の近くに女性が立っている。
今の時代、大半の面倒事はロボットが行う。
反逆予防のためかそれほど知能は高くない。その一方で簡単な作業は難なく遂行できる。
機械に任せることなく女性が箒を手にしている辺り、この施設はあまり豊かなところではないようだ。
「っと、忘れるところだった」
ポーチの口を開けて折りたたまれた財布を握った。出世払いということで槇原さんから借り受けた紙幣を準備する。
残喜院の訪問時には応援金が必要だ。訪問者から得たお金は児童養護施設の運営費にあてられる。
電子技術が発達した現在でも紙幣はその役目を終えていない。
人工知能に反旗をひるがえされた時、破壊工作の一環でクラッキングが頻発した。電子マネーや仮想通貨のシステムが大打撃を受けて信用が暴落。世界各地で深刻な経済恐慌が起こった。
紙のお金はクラッキングでは溶けない。価値が約束された紙幣を持って女性に歩み寄った。
「こんにちは。訪問予約した解代です」
女性が掃除を中断して視線を向ける。
息を呑む音が聞こえた。女性の表情が一気に引きしまる。
「話は聞いています。こんなことを言いたくはないんですが、帰ってくれませんか? ツムギちゃんのためにも」
「……え?」
耳にしたことを理解するのに数秒を要した。
俺は事前予約してこの場に足を運んだ。時間も指定して、ちょうどその時間に足を運んだ。追い返されるいわれはないのに。
混乱する俺をよそに女性が続ける。
「ツムギちゃんは頑張っています。不幸な身の上に負けることなく優秀な成績を修めているんです。あなたが来ると、あの子の邪魔になりかねないんですよ」
「俺が邪魔って、どういうことですか?」
「あなたは機械軍の少年兵だったんでしょう?」
今度は俺が息を呑む番だった。
俺の存在はメディアで大きく取り上げられた。
プランテーションから逃げ延びた少年兵だ。報道規制がかかっても取り上げたがる所はごまんとある。伊達眼鏡でごまかせてはいるみたいだけど、素顔で出歩いた際にはどうなるのか想像もつかない。
俺の境遇とは裏腹に、ツムギの顔写真が漏洩する事態は避けられた。
まだ年端も行かない年齢だったことが幸いした。成果第一の大人たちも幼女をさらし上げることは躊躇したらしい。
その事情を想起して腑に落ちるものがあった。
「そういうことですか。俺と関わらせたくないってことですね」
思わず苦々しい笑みがもれた。怒りの情が微塵もわき上がらないのは、心のどこかでこうなることを予感していたからだろうか。
よほど痛々しく映ったのか女性が目を伏せた。
「その通りです。あなたと関わることで、ツムギちゃんもプランテーションから来たことがばれるかもしれない。残喜院には機械に両親を殺された子もいるんです。だから――」
あの子のことは放っておいてあげてください。女性がお願いを口にして頭を下げる。
即座にはうなずけなかった。足元の地面が崩れ去ったような感覚に苛まれて、体からすぅーっと熱が抜ける。
込み上げる別の情をかみ砕いて、飲み込んだ。
「分かりました。ツムギに会うのはやめておきます」
「……ありがとう」
女性に背を向けて足を前に出す。
何かに駆られて足を速めた。歯を食いしばって力の限り地面を蹴りつける。
息が切れて足を止めると緑あふれる場所にいた。中心に据えられた噴水を背景に笑顔が散らばっている。
場違い感を無視してベンチに腰を下ろす。
疲労と虚無感に負けてまぶたを閉じた。引き込まれるような睡魔に身をゆだねる。
「――観覧車乗りたい!」
子供の声を耳にしてまぶたを上げる。
視線を振った先で小さな女の子が男性の腕を揺らしていた。
「観覧車、か」
プランテーション内の遊園地で過ごした時間が脳裏をよぎる。
腰が浮いた。足が動いた。
子供と男性の後をついて行った。いぶかしむような視線を向けられながらも娯楽施設に足を運んだ。
多少混んではいるものの予約なしで入場できた。遠くに映る輪っかを目指して歩を進める。
いくつもの笑顔とすれ違って観覧車の根元に到着した。係員の指示を受けてゴンドラの中に靴裏をつける。
自動扉によってゴンドラ内と外が隔たれた。足元が微かに揺れて地面が下方に遠ざかる。
すでに日が落ちかけている。奇しくもあの時の空と同じ色合いだ。
観覧車の性能は比較にならないほど良質だ。景色の質も、無機質なドームに覆われていたプランテーションと比べると段違いの一言に尽きる。
それでも驚くほど心が震えない。感嘆とは違う震えが込み上げて、目元からあふれた雫がほおを伝う。
一人で見る夕焼けはどうしようもなく陳腐で虚ろに映った。