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第62話 夢と現実


 真っ暗だ。辺りを見渡しても場所の輪郭すら捉えられない。


 唯一視界に映るのは前方にある少女の背中。肩から白いマントを垂らした姿には傷一つ見られない。


 施設から脱柵する前の、敗血症を患う前の恋人がいる。


 その靴裏が離れた。微かに、されど確実に華奢な背中が小さくなっていく。


「待って、待ってくれ! ミカナッ‼」


 慌てて足を前に出す。


 距離は一向に縮まらない。喉が焼けるほど声を張り上げても愛しい少女は歩みを止めてくれない。


 離れていく。すらっとした脚が歩みを進めるたびに焦燥しょうそうが募る。


 全力で走っても追いつけない。腕を伸ばしても届かない。


 胸の奧からこみ上げるものに耐えきれず絶叫する――。




「はぁっ、はぁ……っ」


 闇が開かれた。視界内に清潔感のある内装が飛び込む。


 正面にあるのは天井。室内を視線でなぞると、周りは人工物特有の小奇麗さで満ちている。


 土ぼこり一つ見られない。モニター機器の規則的な電子音だけが静かな空間をかき乱す。


「……ははっ」


 屋内にいる。それを悟って喉が震えた。


 笑いが止まらない。口端の引きつりがうっとうしくなって顔をわしづかみにする。指先に力を込めてうるさい口を黙らせる。


 目元から熱い何かが伝った。


「何で、生きてるんだよ」


 情けなく揺れた声色が空気に溶ける。


 目が覚めるまでのことは覚えている。体は傷だらけだった。あらゆる所が鉄臭い赤にまみれていた。


 それでも人類拠点までたどり着いた。


 ツムギは意識を失っていたけど命はあった。ミカナの遺志はしっかりと果たし終えた。


 後は天にされて、先に逝った最愛の少女や短気な兄と邂逅かいこうを果たす。それでハッピーエンドのはずだった。


 それが何の因果か、俺はベッドの上で息をしている。腕から妙なチューブを生やして命をつないでいる。


 最悪の気分だ。ベッドのシーツから背中を離して、衝動に駆られて両腕で自分の首を絞める。


 息苦しい以前に全く力が入らない。これならツムギの方が握力あるんじゃないだろうか。

 

 無様な自分に苦笑していると、離れた板の向こう側から軽快な打撃音が鳴り響いた。


 うなだれたまま沈黙する。


 無遠慮に開いたドアが男性の顔をのぞかせた。


「返事はなかったが失礼させてもらうよ」


 室内と廊下が再びドアで隔たれた。微かな期待を裏切られて視線を手元に戻す。


 失意の中でも生存本能は健在だった。思考は明瞭めいりょうさを取り戻して未来図を紡ぎ上げる。


 この場は人類領。拾った手記の内容が正しければ、ここには俺たちに害意を持つ者がいる。目の前に立たれるなり拳を飛ばしてくるかもしれない。


 それを知った上で相手の接近を許した。


 今さら、どうでもいい。


「目が覚めたんだな、よかった」


 指にぎゅっと力がこもった。


 いいわけあるか。そう告げる代わりに顔を上げる。


 私服姿の男性が微笑みを浮かべている。おせじにも殴りに来たようには見えない。


 声には何となく覚えがある。意識を失う前に聞いた声だ。


「ここは……」


 分かり切った問いも最後まで続かない。


 男性が律儀に口を開いた。


「病院だよ。人類領内のね」


 表情は笑んでいる一方で、その指先はズボンの一部を握ってしわを寄せている。


 失笑をこらえきれなかった。


 俺は機械領で少年兵をしていた。させられていた。


 手記の内容をあらためて機械に騙されていることを知った。ミカナやツムギと三人で脱出を決行して今に至る。


 決死の覚悟で逃げてきた。機械のために命を懸けるのは御免だから血まみれになって森の中を駆け抜けた。


 そんなことは人類領の人間には関係ない。彼らからすれば、俺は機械軍に属していた少年兵の一人だ。


 スパイかもしれない。どうやったってその疑惑はぬぐえない。


 どちらにせよ俺は厄介者だ。前にすれば緊張もするだろう。


「女の子は?」


 一言発して会話を続ける意志を伝えた。


「無事だよ。君と違って銃創じゅうそうは見られなかったから検査を終えて退院した。今は残喜院ざんきいんという児童養護施設に収容されている」


 ツムギは無事。


 それを聞いてちょっとだけ救われた気分になった。顔を上げて恩人の顔を見据える。


「助けてくれてありがとうございます。俺は解代ジンです。機械軍のプランテーションから逃げてきました」

「槙原浩治だ。やはりプランテーションから脱柵して来たのか。君の同僚は今もあの施設にいるのか?」

「はい。大半はプランテーション内にいると思います。上司が機械と言っても信じてもらえるとは思えなかったので、情報を打ち明けずに俺たちだけで逃げてきました」


 そもそも俺には他人と敵しかいなかった。下手に情報を広めてはミカナやツムギに危険がおよぶリスクもあった。


 有象無象の命と愛しい二人の命。どちらを取るかなど天秤にかけるまでもなかった。


「……あの」

「何だい?」


 口を開きかけて手元に視線を落とす。


 指先にぐっと力を込めた。


「森の中で、俺と同い年くらいの少女を見ませんでしたか?」


 男性がまゆをひそめる。


 その表情に察するものがあった。


「いや、森の中はあらためてないから分からないな」

「そう……ですか」


 期待はしていなかった。


 逃走の途中で爆発音を耳にした。俺たちを逃がすためにミカナが自爆したのは分かっている。


 奇跡が起きて生き残ったとしてもあの衰弱ぶりだ。自力で人類拠点にたどり着くのは不可能だろう。


 俺が受けた治療の痕跡からして数日は経っている。ミカナが生きている確率は無に等しい。迎えに行っても無駄に終わるどころか、恋人の変わり果てた姿を拝むことになりかねない。


 グズグズに腐り落ちた姿を目の当たりにして、俺は正気を保てるだろうか。


「気を落とすには早い。まだどこかで生きているかもしれないだろう?」

「そう、ですね」


 心にもないことを告げてうつむく。


 目の前に長方形の紙がかざされた。


「何かあったらこの電話番号に連絡してくれ。可能な範囲で力になる」


 俺は事務的に礼を告げた。私服姿の背中が廊下に消える。


 俺は身をひるがえしてまくらに顔をうずめた。


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