第40話 緊張の分隊編成
「ミーカナっ」
後ろから腕が回った。ルームメイトのノノだ。同じ部屋で多くの時間を過ごした分、とりわけ仲良くなった内の一人。そのせいかたまにじゃれつかれる。
室内にいるのは気心を知れた同僚だけ。急いで手を取り払う必要もない。
「こら、急に抱き着かないの。びっくりするじゃない」
「いいじゃんいいじゃん。ああ、やっぱりミカナは良い匂いがするー」
すーっと、耳元で空気を吸う音が聞こえる。最初は顔が真っ赤になるくらい恥ずかしかったけど、何度も繰り返されたらいい加減慣れた。
「みんな使ってる石鹸だよ?」
「それはそうだけど、ミカナは特別良い匂いがするんだもん。やわらかいし」
この手の話題は苦手だ。どう反応すればいいか分からない。
私はもう一人のルームメイトに目を向ける。
「カリンって佐上さんと話したことある?」
「一回だけあるよ」
「あ! そうそう聞いてよカリン! ミカナったら、佐上さんに突撃したんだよ?」
「え、タックルしたの?」
カリンが私を見据える。
真顔。冗談みたいなセリフでも、表情が乏しめなカリンが言うと真に迫るものを感じる。
「うん」
ノノの頷きを経て、カリンがおぉ……と感嘆の声をもらした。
「誰もそんなことしてないでしょ? 適当なこと言わないの」
罰代わりに腕を伸ばして丸い鼻をふさぐ。ノノが耳元でふがふが言った。
「佐上さんと南木さんって仲悪いの?」
「悪いっていうか、相性最悪だね。佐上さんはあまり素行がよくないって聞くし、イインチョは頑固と言ってもいいくらいの堅気さんだし」
イインチョ。佐上さんも言ってたけど、おそらく南木委員長のことだ。
私の同期は一人や二人じゃない。数えれば百を超える。それだけの人数、まとめ役なしにはまとまらない。
そこで委員長に指名されたのが南木さんだ。真面目そうな印象に違わず、佐上さんを叱責していたのは記憶に新しい。
「そういえば午前中の銃声聞いた?」
「ああ、発砲騒ぎあったよね。ミカナは大丈夫だった?」
「あーうん。だって発砲音じゃないし」
二つの視線が向けられる。気まずくなって視線を逸らす。
「もしかして、あの銃声ってミカナの?」
「そうだけど、そうじゃないって言うか」
「さては、佐上さんにやらされたんでしょ? だからやめておいた方がいいって言ったのに」
ノノが頬をふくらませる。秒で佐上さんが悪者にされた。
よほど信用がないんだなぁあの人。まあ実際悪者だったんだけど。
「ごめんノノ。今度からは気を付けるよ」
ノノをなだめつつ、二人の姿を思い浮かべる。
佐上さんと南木さん。性格は正反対だけど、佐上さんは喧嘩腰じゃなかった。相容れないというよりは、言動で誤解されているような感じがある。個人的にはもったいないと思ってしまう。
「あの二人、仲良くできないかな」
「いや無理無理無理」
カリンが右手首を左右に往復させる。ノノもブンブンとかぶりを振った。
「とにかく、ミカナはもう佐上さんに関わっちゃだめだからね!」
「分かったよノノ。ごめんね」
友人に念を押されて苦々しく笑う。談笑はそこそこにして眠りについた。
◇
昨晩お友達と交わした約束は覚えている。
人生はうまくいかないもので、同じ空間に例の二人が揃っていた。
二つの班をまとめて一つの集団を再編成する。今回の訓練はそうしてできた分隊で行われる。
指導官の命令に拒否権はない。相性の悪そうな二人でも、隊を別にしてはもらえなかったらしい。
佐上さんは特に変わらない。あくびをして黙々と足を動かす。
南木さんは不機嫌そうに眉をひそめている。取り巻きが話しかけて機嫌を取っている状態だ。
予想に違わず、佐上さんの周りには人がいない。他の同僚が雑談に勤しむ間も、佐上さんは空や自然の景色を眺めている。誰かに声を掛ける気配がない。
お友達との会話が一区切りしたのを機に、私は佐上さんへと靴先を向ける。視界の隅でノノの頬が膨張した。私は何も見てませんよーっと。
「佐上さん。今日はよろしくね」
フレンドリーに口角を上げる。
ピンクの髪が揺れる。
「あれ、玖城じゃん。まだ友達と仲直りしてないの?」
「だから喧嘩なんてし・て・ま・せ・ん」
どれだけ私を絶対謝らない系女子にしたいのやら。子供っぽいのは規則を破る佐上さんの方なのに。
視界に小型の長方形がちらつく。
道具を使う訓練の際には軍用ポーチを持ち歩く。それとは別に、佐上さんは別のポーチを持っているようだ。
脳裏に閃くものがあった。
「もしかして、そればく――」
「しーっ!」
佐上さんが口元に人差し指を当てる。
しゃべるな、ということらしい。
「また単独行動して破裂させるつもり?」
「それは気分次第だな」
「ふーん」
呆れ混じりに相づちを打って、南木さんに横目を向ける。
離れたところで黙々と歩いている。こっちを見る素振りもない。
爆竹が鳴れば話は別だ。眉をひそめて駆け寄ってくるに違いない。佐上さんもそれは分かっているはずだ。
「爆竹はともかく、どうしてそんなに独りで動きたがるの?」
「ん? だってめんどくさいじゃん」
「めんどくさい?」
「班行動って、数で少数を圧殺するもんでしょ? どう考えたって間違ってる判断でも、班長がやるって言ったら絶対だ。やってらんないって」
致命的に軍人に向いていない考え方だ。語る佐上さんは終始笑顔。どこまで本気なのか分からない。
「そういう玖城は毎日誰かといるよね。疲れないの?」
「疲れを感じたことはないかな」
「へえ。何かコツとかあるの?」
「コツはないよ」
「嘘だぁーさすがに一つくらいあるでしょ? 優等生のテク教えてよ」
優等生。
本来は誉め言葉だ。本人もそのつもりで言ったんだろうけど、正直皮肉にしか聞こえない。
「やだ」
「えーいいだろ?」
「そこの二人、うるさい」
南木さんににらまれた。
「ごめんなさい」
佐上さんに話し掛けたのは私だ。責任を感じて素直に頭を下げる。
「そう怒るなって」
佐上さんが笑顔のままなだめに掛かる。せめて口をつぐんでいてほしかった。
ああ、ほら。南木さんの眉に角度が付いていく。
「怒るに決まっているでしょう。敵はどこにいるのか分からないのよ? 雑談していたら物音も聞こえないじゃない」
「向かう先は無人兵器がいないエリアなんだろ? 大丈夫じゃないの?」
目的地は自然の中にある。
かつて土地開発が行われていた地域だ。トンネルを開通させる予定だったけど、機械軍の強襲を受けて頓挫した経緯がある。トンネルになるはずだった材料は、いまだ現地に残っている。
用があるのは、そのなり損ないを通った向こう側だ。回収班が無人兵器の残骸を集めたはいいものの、撃破数と回収した機体の数が合わなかった。
現在回収班は、別のポイントにおもむいている。未回収の有無を確認できない。
そこで私たちが選ばれた。教官としても、私たちに遠出をさせようと考えていたらしい。ほぼ即断即決で決まったと聞いている。
一度は無人兵器を撃破した場所。安全も多少は確保されている。野生動物相手なら私たちでも対処できる。佐上さんもそう考えたに違いない。
「大丈夫かどうかなんて分からないわ。機械軍だって資源は有限。残骸を回収しに来たって不思議じゃない」
「それ推測だろ? 遭遇のリスク抱えてまでするかねぇ」
「今はどこも資源不足だもの。様子を見に来たって不思議じゃないわ」
佐上さんが渋い顔をする。
舌戦で南木さんに勝つのは無理だ。佐上さんは物を考えるの不得手そうだし。
「分かった。ごめんごめん」
「ごめんは一回」
「すまーん」
南木さんの眉がピクっと震える。
うわ、怒り出しそうだ。空気が悪くなるのは勘弁してほしい。
「これからは私が気を付けるから、ここは抑えて。ね?」
たまらず仲裁に入った。南木さんが眉をひそめる。
「大丈夫なの? また騙されるんじゃない?」
「大丈夫。任せておいて!」
右腕を曲げる。力こぶを見せるつもりだったけどあんまり隆起しない。頼りなさそうに見られなかったことを祈るばかりだ。
ふぅーっと深い嘆息が空気を揺らす。
「まあいいわ、しっかり手綱を握っておいてね」
南木さんが後頭部を向ける。
日頃の信用に感謝を捧げる。優等生やっててよかった。
「悪いね」
佐上さんがウインクする。
笑顔で返す気にはならない。目を細めて応じる。
「これに懲りたら反省してよね」
「してるしてる。また南木が来たらその時は頼むよ」
まったく反省していない。ため息が出そうだ。
前方にトンネルのなり損ないが見えて、私は思わず足を止める。
おどろおどろしい。繁殖した苔がぶわーっとトンネルの外観にこびりついている。廃れた空気が人間NGを突き付けているみたいだ。
奥は暗闇で見えない。いかにも何か出そうな空間へと、同僚がスタスタ足を進める。
「えっ、ここを通るの⁉」
思わず声が張り上がった。