第34話 死んでも継なげ
「ああああアアアアアアアッ‼」
走る、走る。手脚を振り回して慟哭する。そうでもしないと、喉の奥からせり上がるものに意識を塗り潰されそうだった。
後方での爆発音は俺の耳にも届いた。その地点はミカナを置いてきた場所に近い。
追っ手がミカナを手に掛けるには早すぎる。彼らにとってのミカナは、俺達の行方を知る貴重な情報源だ。普通は拷問してでも情報を吐かせる。動けないミカナにとどめを刺す意味はないし、貴重なグレネードを消費するなど愚の骨頂だ。
ミカナが追っ手を巻き添えに自爆した。俺がその答えにたどり着くのは簡単だった。
「くそっ、くそっ! くそォッ‼」
やっと見つけた、気を休められる居場所。
初めて心から好きになれた少女。
そんな大事な人を助けられなかった。湧き上がる後悔が重い脚をひたすらに突き動かす。
重りが乗ったように脚が重くなった。視界がぶれて地面が眼前に迫る。
受け身を取る気も起きない。地面目掛けて突っ込み、擦りむいた痛みを甘んじて受ける。
起き上がる気力はない。地面の冷たさで頭が冷える。
心も、冷える。
「パ、パ……ちょっと、休みたい」
横目を振ると、ツムギが地面に手を突いていた。
「……ああ」
俺はのっそりと体を起こし、木の幹に体当たりして寄り掛かる。
ツムギが隣に腰を下ろした。膝を抱えて、お腹と脚の間に顔を入れる。
すすり泣く声が耳に入った。俺はおもむろに頭上を仰ぐ。
重なる葉と葉。覗かせる灰色からポツポツと水滴が落ちる。勢いが強まり、小さな泣き声が雨の音でかき消される。
水に濡れたら体の熱が奪われる。体力の低下も著しい。これ以上衰弱しては人類領に踏み込むことも叶わない。
それでいい。それがいい。
体力よりも先に、気力が尽きかけていた。
「もう、いいや」
ミカナは死んだ。もういない。
仮に拠点まで行き着いても、俺達の身柄が保護されるとは限らない。記憶にない因縁をつけられて報復で逝くなど哀れな末路にも程がある。
どうせ死ぬなら、少しでもミカナに近い場所がいい。そうすれば昇った先で再会できるかもしれないから。
まぶたが重みを増す。俺は眠気に逆らわず目を閉じる。
もう、疲れた。
――諦めんのか? お前。
聞き覚えのある声だった。
兄の叱り声だ。久々に聞いた気がする。
ユウヤは故人。死人の声が聞こえる道理はない。疲れ切った脳みそが聞かせる幻聴、あるいは走馬灯だろうか。
思えばユウヤにはたくさん叱られた。
辛い訓練に音を上げた時。実戦で動きが悪かった時。組み手で攻撃をためらった時。思い返せばキリがない。他者の兄とチェンジしたい、そう考えたことは何度もある。
その上で尊敬はしていた。物事に一生懸命で、ムードメーカーで、常に背中で周りを引っ張っていた。
死んでほしくなかった。ユウヤが凶弾に倒れた時、近くにいなかったことをずっと後悔してきた。
敬愛する兄があの世にいる。ミカナも先に逝った。
息絶えれば二人に会えるかもしれない。暗い視界で死を希う。
「だって、仕方ないじゃないか。逃げ切れるわけないんだから」
現状は詰んでいる。追っ手はワラワラ湧き、こちらの戦力は俺一人。ツムギを逃がすのもおぼつかない。
――んじゃマジで諦めんのか? この際同僚はどうでもいいさ。お前をいじめた奴らだしな、はっきり言って自業自得だ。
「じゃあ、もういいだろう?」
――いいわけあるかよ。お前、あの子に託されたんだろうが。
「託され、た……」
ふと横を見る。
隣にあるのは、膝を抱えてうずくまる女の子の姿。雨音に紛れて泣くさまは、指の一突きで崩れ落ちそうなほどに弱々しい。
「ツム、ギ……」
娘のように想ってきた少女。
自然と、母親を担っていた恋人を連想する。
――生きて、継ないで。私達の子を、安全な場所まで送り届けて。
「……そうだ、継ながないと」
体の奥に熱が灯る。
ミカナにツムギを託されていた。想い人の最後の願いを蔑ろにはできない。
死んでも継なげ。それが彼女を愛した者としての責務だ。
地面から腰を上げる。リュックから折りたたみ傘を引き抜き、娘のもとへと踏み出す。
誰かに背中を押されたような気がした。
「ツムギ、そろそろ行こう。立てるか?」
小さな頭が縦に揺れる。
俺は折りたたみ傘を開き、左手で娘の手を握る。右の肩を濡らしながら拠点へと足を進ませる。
小雨になって足を止めた。繋いでいた手を離し、小さな手にしっかりと傘を握らせる。
「パ、パ?」
幼い顔立ちが見上げる。
俺はポーチから携帯端末を取り出し、これもツムギに握らせた。膝を曲げて視線の高さを合わせる。
「ツムギ、先に行っててくれ。道筋はこの端末が示してくれる。落とさないように気をつけてな」
「パパも……しんじゃうの?」
くりんとした目が不安に揺れた。
俺はミカナの真似をして口角を上げる。
「俺は死なないよ。ちょっと露払いをするだけだ。事が済んだらすぐに追いかける」
「ほんと?」
「ほんと。目的地まではもう少しだけど、足元に気を付けて歩くんだよ?」
「うん」
言葉では了承しても不安なのだろう。小さな手が左袖をぎゅっと握った。
俺は細い指をつまみ、一本一本ゆっくりと引き離す。
抵抗はされなかった。俺はツムギの頭に手を乗せて優しくさする。
「さあ、行っておいで」
ツムギがこくっと頷いた。背を向けて一歩、また一歩と踏み出す。小さな顔が振り向くたびに、大きな目を見つめて歩行を促す。
小さな背中が見えなくなった。俺は奪った突撃銃の安全装置を外し、木の幹に隠れて追っ手を待ち伏せる。
靴音が迫る。木陰から確認すると元同僚が見えた。数は五人。相変わらずの数的不利だ。
不意打ちから入った。一人が血飛沫を上げて転倒する。
「ぐっ⁉」
肩に衝撃が走った。熱した鉄の棒を押し付けられたように熱い。
顔をしかめながらトリガーを引き絞った。フルオートの弾が別の相手を亡き骸に変える。
小細工をする余力はない。棒立ちのままひたすらに弾をばら撒く。