第18話 規則EX
「またか」
勝手に口が動いた。両の拳が勝手に角張る。
意図しないつぶやき。そこに俺の意思は介在しない。
口を開かせたのは感情だ。間欠泉のごとくあふれる衝動が胸の奥を激しくかき乱す。
それは憎悪と憤怒。大事にしている空間を他者に土足で踏み荒らされたことへの怒りだ。
廊下を満たす空気は、かつて俺が受けた悪意とこの上なく似ている。
「またお前たちは、俺から居場所を奪うのか……ッ!」
手の平に痛みを感じて、それでも力を緩めない。
あれらを近付けるな、排除しろ。免疫における抗体のごとく、覚えある悪への敵愾心が噴き上がって止まらない。
たまらず下くちびるを噛みしめた。痛みと鉄の味で無理やり理性をつなぎ止める。
敵は廊下で嗤う連中だけじゃない。ここで怒りをぶちまけても無意味だ。むしろ下手な暴力は玖城さんやツムギの立場を悪くする。
深く空気を吸い込む。
同僚の嘲笑で穢れた空気でも無いよりはマシだ。気を落ち着かせて為すべきことを思考する。
「あっれ、今日は独り? 奥さんに逃げられちゃったー?」
別の男子グループが通りかかった。愉快気に喉を震わせて俺の横を通過する。
身をひるがえして男子生徒の肩をつかんだ。力づくで向き直らせる。
「わっ⁉ な、なんだよ急に⁉」
黙して相手の目を見据える。
言葉こそ反抗的だが、同僚の表情には明確な怯えが見て取れる。フレンドリーな笑顔を浮かべたつもりだけど失敗したらしい。
怖がっているならそれでもいいか。
「そのうわさ、誰から聞いた?」
「誰からって、そんなの知らねえよ。耳に入っただけだし」
他のメンバーに横目を向ける。
「お前は?」
「俺はこいつから」
「お前は誰から聞いた?」
「よそのクラスのやつ」
「そいつの名前を教えてくれ」
情報源の名前を電子メモ帳に書き記して、その人物が住まう部屋へと足を運んだ。
インターホンを鳴らす。
人差し指の先端で連打する。
ドアを蹴飛ばして部屋の主を叩き起こした。再度フレンドリーな笑顔にリトライする。
失敗した。無理やり情報を聞き出してメモ帳に書き込む。
男子、女子、男子、女子。
同じことを繰り返して真の発信源を突き止めた。
その相手は体育館にいた。ボールを手に、いつもの取り巻きとスポーツをたしなんでいる。
深く空気を吸い込み、憤怒と混ぜて吐き出した。
「グリモアードッ!」
同僚が一斉に向き直った。視線の先で金髪の少年が顔をしかめる。
面白くないものを見る表情から一転、薄ら笑いが表情をニヤつかせる。
「これはこれは、首席様じゃないか。何の用だ?」
「言わなくても分かってるだろう」
「はてさて、何のことやら」
レオスが手の平を天井に向けて肩を上下させる。
挑発上等。苛立ちを隠さず足を前に出した。
「片っ端から聞き回った、お前が発端なのは分かってる。何のつもりだ? 玖城さんに叩きのめされたからその報復か?」
「俺は負けてねえッ!」
体育館に荒い声が伝播した。
取り巻きのびっくりした視線に気付き、レオスが喉を鳴らして仕切り直す。
「別に何も? 俺は思ったことを言っただけだが?」
なぁ? レオスが周りに同意を求める。取り巻きが次々と賛同の声を上げた。
取り巻きはレオスの味方だ。客観的視点を欠くそれらは無意味で無価値。論ずるに値しない。
これではらちが明かないな。
「よし、決闘しよう」
「……はいィ?」
間抜けな声が体育館の空気を揺らした。取り巻きと顔を見合わせて目をぱちくりさせる。
「決闘だよ。分かるだろう? 決闘だ」
「だから何言ってんだよお前」
「規則にあるじゃないか。こういう正否のつかないトラブルは決闘で正否を判定するってさ」
共同生活にトラブルは付き物だ。監視カメラもあるとはいえ、それで全てのトラブルを解消できるなら苦労はしない。誰が嘘をついたか分からないケースもある。
決闘の権利はそういった場合に行使される。
今は戦争の真っただ中。民衆の役に立つ強い者こそが正義。そんな考えの元に作られた悪法だ。
しかし悪法もまた法。自らの罪を認めない相手に有効なのは実力行使のみ。歴史において警察や軍隊がそれを証明してきた。
施設に俺の味方はいない。眼前の敵を黙らせるには純粋な暴力に物を言わせるしかない。
体育館に舌を打った音が響き渡った。
「うっざ。何でオレがお前なんかに時間を使わなきゃなんねーの? 勝手にやってろよ」
「逃げるなよ、そんなに俺が怖いのか? いや、身の程を知っているんだな。お前は」
「何だと?」
レオスの顔にしわが寄った。予想した通りの反応すぎて思わずほくそ笑みそうになる。
レオスが俺に対抗心を燃やしていることは知っている。
眼前の男はユウヤにあこがれていた。その弟である俺に劣等感のようなものを抱いている。
だからそこを突く。俺は意図して口端を吊り上げた。
「俺は、この施設内で最も強い。お前もわきまえているようだな万年三位」
最優秀の証たるファースト・マント。それを背から垂らす自分こそが頂点。わざとらしく右腕で首席の証をひるがえしてやった。
レオスの顔がぐしゃぐしゃになった。
「ざけんなッ‼ 誰がわきまえてるだ⁉ あァ⁉」
「落ち着けレオス! 挑発に乗ったらこいつの思うつぼだぞ!」
青筋を立てるレオスの肩に取り巻きの手が置かれた。
一人くらい殴り飛ばされるかと思いきや、レオスが深く空気を吸う。
「……おう、そうだったッ」
怒りの感情が鳴りをひそめた。醜悪な顔にニヤリとした笑みが復活する。
気持ちの切り替えが異様に早い。だてに成績上位者ではないようだ。
「残念だったなぁ解代。俺は決闘しない」
「ああ、本当に残念だ」
こらえきれずに嘆息する。
レオスが誘いに乗ってこない可能性は考慮していた。俺は陰鬱とした感情を振り切って高らかに宣言する。
「規則EX。決闘の権利行使を宣言。首席生徒解代ジン。ファースト・マントの特権を行使してレオス・グリモアードとの決闘を所望する!」
「なっ⁉」
目を見開くレオスの前に電子的なウィンドウが展開された。決闘が強制承諾された旨を伝える電子パネルだ。
俺も自分あてのウィンドウを視線でなぞる。
連ねられた文章が日程や場所、決闘方法や時間の記載を要求している。
「お前、どこまで……ッ!」
レオスが奥歯を噛みしめる。
俺は嘲笑混じりに鼻を鳴らした。
「条件はどうする?」
「く……明日の十時に訓練場、得物はゴム弾のみ、実戦形式で撃ち合って相手が降参したら勝利。これでどうだ⁉」
「いいだろう。また会おう、万年三位」
体を反転させて足早に出口へ向かう。
連中と同じ空気なんて吸いたくもない。速やかに体育館を後にした。