第11話 未来の次席と未来の首席
手足を振り乱す。ワンピースのすそが跳ねる。
脚を振り上げるたびに、ひらひらが膝にまとわりつく。
うっとうしい、もどかしい。わたしはもっと速く走れるのに、これじゃ追いつかれちゃう!
焦燥に負けて振り向く。
無機質な物体が距離を詰めてくる。草木をまとったような深緑のボディに日光を反射させて、くるくるとした足で地面の上を滑る。
円柱状のボディからは細い筒が伸びている。ストローを思わせるそれは死神の鎌だ。こうしている今もわたしの首を刈り取ろうと小刻みに動いている。
銃口からのぞかせる闇と目が合った。
喉に氷の柱をねじ込まれたような感覚に遅れて、破裂音と光が散った。
爆散したのは筒の先端。硬質な音に遅れて無機物の花が咲いた。
誰かいる!
衝動のままに振り向くと人影があった。
細身の体に暗い緑色のマントが垂れている。中性的な顔立ちだけど頼りなさとは無縁だ。
何せ手にはハンドガン。たった今無人兵器の銃身を変形させた代物が握られている。その威力を目の当たりにしたら頼もしさしか感じない。
助けが来た。
安堵した刹那。いやに人影が少ないことに気付いた。
視認できるのは年の近そうな少年だけ。残る無人兵器は二機。男の子一人で相手するには心もとない。
「走れ!」
「ひゃっ⁉」
気が付けば少年が近くにいた。右手首をがしっと握られて茂みの中に引き込まれる。
頭の近くで樹皮が弾けて思わず身をすくめた。
「まだ走れるよな?」
「それ今聞くこと⁉」
声が荒くなった。
でも走らなきゃ死ぬんだ。走って息が切れてるのに、無駄な問いかけで余計な体力を使わせないでほしい。
「これからどうするの?」
「独りでやるには数が多い。ここは退く」
現実的な判断で安心した。
この年頃の男の子は喧嘩っ早いイメージがある。独りでやると言い出したらどうしようかと思った。
それにあまり異性と二人きりでいたくない。同じ施設の男子はわたしが嫌がることをしてくるし、手を引く男の子もそうじゃないとは言い切れない。早く大人の人が助けに来てくれないかな。
視界が開けた。
前方に地面は続いていない。行き止まりだ、
なのに男の子の足は止まらない。
「跳ぶぞ」
「え、うそ⁉ うそっ⁉」
落ちる! 絶対死んじゃう! ブンブンとかぶりを振って再考を願う。
「跳ばなきゃ死ぬぞ。死にたいなら手を離すけど」
「やだ!」
「じゃあ跳べ!」
男の子が地面を蹴った。
立ち止まると二人して真っ逆さまだ。わたしが足を止めるわけにはいかない。
「えいっ!」
もう自棄だった。わたしも地面を蹴飛ばしてまぶたをぎゅっと閉じる。
浮遊感。
次の瞬間には重力に足を引かれた。
落ちる、落ちる。落ちる! たましいの震えが悲鳴となってわたしの喉を震わせる。
腰の辺りに何かが巻きついた。背にも温かいものが添えられる。
少しだけまぶたを開けると、男の子が左腕でわたしを抱き寄せていた。
羞恥を感じたのもつかの間、男の子を下敷きに葉っぱのクッションに突っ込んだ。
パキパキガササと、体の向こう側で子気味いい音が鳴り響く。枝や葉のクッションがあっても痛いらしく、男の子の目元にしわが寄った。
彼が庇ってくれたおかげで私はあまり痛くない。
不思議な気分だ。わたしが知っている男子はお世辞にも危険から守ってくれる存在じゃない。
現実味に欠けていて夢心地。この人まつ毛長いなぁ、なんて場違いなことを考えてしまう。
ぎゅっと閉じられていたまぶたが開いた。
「無事、か?」
問いかけられてハッとした。ふわふわした心持ちを気取られないようにうなずく。
「う、うん、ありがとう。あなたは大丈夫?」
「だい、丈夫。それより早く下りてくれないか? 重い」
重い。
助けてくれた感謝の念がその一言で吹き飛びかけた。
彼は命の恩人、命の恩人。今のわたしがいるのはこの人のおかげ。
心の中で自分に言い聞かせて、口元を引きつらせながら慎重に地面を目指す。
木の幹から手を離した。重力に身を任せて土の地面を踏みしめる。
男の子がとなりに着地して空を仰いだ。
「まだいるな」
男の子の視線を追ってぎょっとする。
崖の上にまだ鉄のかたまりがあった。銃口を向けてわたしたちを見下ろしている。
「何で突っ立ってるの⁉ 早く逃げなきゃ!」
「大丈夫、あの機体じゃ弾はここまで届かないよ。むしろ問題はこれからだ」
言葉の意図を察して息を呑む。
さっき下を見た限り地面は遠い。飛び降りたら脚の骨が折れるだけじゃ済まない。一般人のわたしには、この状況から脱する手段なんて思い付かない。
でもこの男の子は違うはずだ。
銃を持っているし身なりも軍人風。ロープか何かで下りる手段を用意しているに違いない。
「下りる道具はないの?」
「あーうん」
少年が気まずそうに目を逸らす。
嫌な予感がした。
「ロープは? 懸垂下降みたいなの」
「難しい言葉を知ってるんだな」
「小説に書いてあったから。それでロープは?」
「あるけど、ここから降りるには長さが足りない」
足場が消えたような感覚にさいなまれた。頭からサーッと熱が引く。
ここから下りられないの? 助けはいつ来るの?
わたしたち、これからどうなるの? 不安がぐるぐると頭の中を駆けめぐる。
「そんな顔するなって。大丈夫さ」
「何が大丈夫なの? わたしたち、ここから下りられないんだよ?」
意図せず口調が強めになった。子供っぽいとは分かっていても、気休めの言葉でなだめようとしたその無責任さに耐えられなかった。
男の子が困惑して頬をかく。
「カリカリしてるなぁ。きっと疲れてるんだ。ちょうど木陰があるし、ここで一休みするといいよ」
「ばかにしないで」
中性的な顔立ちをにらみつける。気にしていない様子なのが少しくやしい。
「何だ、疲れてないのか?」
「疲れてるよ。機械に追われて逃げてきたんだもん」
「だったらなおさら休んだ方がいい。長くなるかもしれないし」
男の子が小枝を拾い始めた。何をするつもりだろうと思って眺める。
集められた枝が崖の隅にまとめられた。男の子がポーチの中に腕を差し入れる。
引き抜かれたのは長方形の物体。カチッと軽快な音に遅れて紅蓮の穂が灯る。
集められた枝からもくもくと灰色が立ちのぼる。
「それ、ライター?」
「知ってるのか?」
「うん。孤児院の人がおたばこ吸ってたから。もしかしてあなたも吸うの?」
念のため聞いてみた。
あのにおいは嫌いだ。この足場は広くないし、こんなところで吸われたら逃げ場がない。
「そんな嫌そうな顔しなくても吸わないよ。このライターは野宿用で持ち歩いてるんだ。タバコなんて見たこともないから安心して」
男の子がライターをポーチに収めて向き直る。
「ぼくは解代。きみは?」
「玖城、です」
「玖城さんだな。状況を確認しよう。ぼくたちはここで救助を待つ。今狼煙を上げたけど、いつ見つけてもらえるかは分からない」
「そう、だよね」
目を伏せる。
助けが来るまでどれくらい時間が掛かるんだろう。ここには飲食物がない。餓死なんて嫌だ。
目がうるむ。不安で喉が震える。
同じ施設の子を庇っておとりを引き受けたけど、勇気を出したことを後悔しそうになる。
解代くんがポーチから長方形の袋を取り出した。
包装は赤と紫が混じって毒々《どくどく》しい。何が入っているんだろう。
解代くんがわたしの視線に気付いて袋を差し出した。
「これ食べる?」
「食べるって、これ食べ物なの⁉」
「ああ」
袋を凝視する。
よく見ると商品名が書いてあった。『戦神マルスの指』と言うらしい。
「指って、指⁉」
思わず自分の手を見る。
計十本の指。似た物が袋に入っているんだろうか? 想像したら気分が悪くなってきた。
「あれ、知らない? マルスってローマ神話の戦神だよ」
「知ってるけど、解代くんはこれを見て何も感じないの? 指だよ?」
「指って言っても、中身はただのパワーバーだぞ?」
「でも指と名付けられた物を食べるのはちょっと」
何というか、生理的に嫌だ。もっといいネーミングはなかったのかな。
「それは困った。これ以外に持ち合わせはないんだけど」
解代くんが眉でハの字を描く。
胸の奥が微かにふわっとした。
この状況において食料は貴重だ。隠れて一人で食べ尽くすこともできたのに、彼はわたしのために袋を出してくれた。その事実がたまらなく嬉しい。
同時に罪悪感が込み上げる。
せっかくの厚意。受け取らないのは解代くんに失礼だ。
「あ、あの、やっぱりもらっていいかな?」
「ん? ああ、いいよ」
はい。解代くんが微笑みとともに毒々しい袋を差し出す。
袋を握って恥ずかしくなった。
一度拒否してからの受け取り。解代くんに食いしんぼうだと思われないだろうか。
「おーいジン! いるかーっ!」
意図せず体がぴょんと跳ねた。
解代くんが身をひるがえして崖の隅に走り寄る。
「いるよー!」
「トランポリンを用意したぞ! 落ちてこーい!」
「分かったーっ! 玖城さん、こっちこっち」
解代くんが手招きする。
歩み寄って身を乗り出すと、はるか下に円状の器具が設置されていた。その近くには解代くんと似た装いの人影がある。
助かった。
そんな安堵が、一瞬のうちに消し飛んだ。
「ねぇ……遠くない?」
トランポリンが小さい。下で待ってる人たちも豆粒みたいだ。
これ、本当に落ちて大丈夫なの?
「よし、行こう」
「無理無理無理っ!」
死んじゃう! 絶対! 一生懸命かぶりを振る。
「無理と言われてもなぁ。飛び降りないと餓死するぞ?」
「うっ、で、でも」
試しに踏み出そうとしても足がすくむ。心臓をわしづかみにされたように動けない。
「……やっぱり無理っ!」
数歩下がって自分の体を抱きしめる。
「そっか、無理かぁ」
解代くんが腕を組んで「んー」とうなる。
何を思ったのか、右こぶしの底で手の平を打った。地面に靴跡を刻んでわたしの真横に回り込む。
「時に玖城さん、お姫様抱っこって知ってる?」
「え?」
「こういうのを、言うんだってさ!」
「きゃっ⁉」
足を掬われた。背と膝裏に腕が回されて視界の下方移動が停止する。
眼前には解代くんの顔。思わず身をこわばらせる。
温かい。
そう感じたのもつかの間。解代くんが地面を蹴った。
重力に引かれて風に吹かれる。
「いやっほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」
どこから声が出ているのか分からない。そもそも叫んでいるのはわたし? わたしの口からこんな情けない声が出ているの?
分からない。分かりたくない。
ただ一つ言えるのは、私と解代くんはいい出会い方をしなかったってことだ。