第10話 敵にケチャップを送る
「……どうしよ」
後悔にひたる。廊下の空気に靴音を伝播させて、誰もいない空間をスタスタと突っ切る。
料理勝負の課題はツムギの希望でオムライスに決まった。
オムライスと言えばハンバーグに次ぐ定番料理だ。チキンライスに熱々の卵を乗せて、お好みのソースをたっぷりかけてほお張る。俺も子供の頃は、食卓に並ぶのを見るたびに歓喜の声を上げたものだ。
現在は食材調達の真っ最中。卵などの食材は施設内のショップで購入できる。集めるのに苦労はしない。
それでは勝てない。俺は確信めいたものを感じている。
何せルームメイトの整った顔は余裕に満ちていた。真っ向勝負を仕掛けるだけでは心もとない。負けないためにもう一工夫が求められる。
食堂の床に靴裏を付けた。
テーブルやチェアがずらっと並ぶ空間に制服姿がちらばっている。広々とした空間が雑談でにぎわっている。
今の時代、雑事の大半は人工知能が行う。料理や掃除もロボットやアンドロイドが行う。
俺たちは少年兵だ。隊舎で共同生活して訓練に多くの時間を費やす。
一般人を目にする機会はめったにない。そこには大人の事情、すなわち子供を戦場に出すことへの罪悪感が見え隠れしている。
ツムギを連れてきた三上さんは、俺が少年兵育成施設に入ってから初めて見た大人だ。それくらい生身の成人を見る機会がない。自分たちが徹底的に隔離されていると嫌でも気付く。
あつかいを気にしても始まらない。
どうせ死を待つだけの生活だ。用件を済ませるべくカウンター前の人影に歩み寄った。
「今話しかけていい?」
「どうぞ」
大人の女性が微笑みを浮かべる。
どう見ても成人した女性だが、その実態は大人の女性を模したアンドロイドだ。皮膚の裏には血液とは違う何かが流れている。
目的を達するには十分な相手だ。俺は顔に微笑を貼り付ける。
「頼みがある。同僚と料理勝負をするから食材を分けてくれ。ファースト・マント所有者には質のいい料理が提供されるだろう? その食材を使わせてほしいんだ」
「却下します」
言葉に詰まった。
断られる可能性は考慮していたけど、ここまで取り付く島もないとは思わなかった。
「要件はそれだけですか?」
「ああ。一応理由を聞いてもいいか?」
「勝負なんてつまらない理由で食材を貸し出すわけにはいきません」
「つまらなくはないんじゃないか?」
「ツマラナイ。食べ物で遊んではいけないとママに教わりませんでしたか?」
「親は物心ついた頃からいないものでね」
「そうですか」
皮肉のつもりだったが声は平坦。適当にあしらわれた空気をヒシヒシと感じて、俺は眉をひそめかけた。
「食材で遊ぶつもりはない。作った後はきちんと食べる。競争は料理を美味しくするためのスパイスなんだよ」
「スパイスはコショウがお勧めです」
「露骨にすっとぼけたなあんた」
正面からお願いしても効果は薄い。
俺は判断して切り口を変えた。ファースト・マントの裾をつまんでアンドロイドの視界にちらつかせる。
「これ、ファースト・マント」
「黒いですね」
「だろ?」
「却下します」
「そこを何とか」
「却下、却下」
もはや聞く耳を持っていない。アンドロイドがカエレモードに突入した。
俺は小さく嘆息して背中を向ける。
「また来るよ」
「何度来ても却下」
リベンジを誓って食堂を後にした。
時間を置いて再度交渉を持ちかけたものの、今度は言葉すら返してもらえなかった。
まともな成果を得られないまま決戦に臨んだ。
料理は温かい方が有利だ。同時に完成させるに越したことはないけどルームのキッチンは一つしかない。
どうするのかと思いきやそこは人気者の玖城さん。友人のキッチンを借りて事なきを得た。
俺が完成させて数分後、玖城さんが玄関のドアを開けてリビングに現れた。
俺はチェアから腰を浮かせて料理保温器に歩み寄った。自作オムライスの皿を取り出して、温かい皿の底でテーブルの天板を鳴らす。
ほろ苦くも旨い香りと、ケチャップ特有の甘い匂いが室内に充満する。
俺の皿は卵の黄色に黒褐色で占められている。
不本意ながらもショップで購入した卵を焼き、コショウをかけて炒めたご飯に乗せた。その上にほろ苦くも旨いデミグラスソースをかけた一品だ。
卵焼きをかぶせる際に形が多少、いやほんの少しだけ崩れたが、とにかく味はいいと自負している。
玖城さんが用意したオムライスには、黄色と赤に加えて少しだけ黒が混じっている。
きれいに形の整った卵焼きに、真っ赤なケチャップの点。ちぎった海苔にかざられてひよこの顔が描かれている。遊び心満載な見た目が和やかさを演出している。
「わぁ、鳥さんだぁっ!」
ツムギが目を輝かせた。
俺が調理した皿には目もくれない。胸の内がもやもやして口元を引き結ぶ。
日光を照射されたような圧力。振り向くと、ルームメイトがにやにやした視線を向けていた。
「まだ勝負はついてないぞ」
「私は何も言ってませんけど?」
言葉とは裏腹に、玖城さんの笑みは私の勝ちーとでも言いたげだ。言葉に説得力が欠けている。
「料理は味、味なんだ」
「味も私の勝ちだと思うけどねー。さぁツムギちゃん、冷めないうちにめしあがれ」
どうぞと言わんばかりに両腕が伸ばされた。
ツムギが元気よくうなずく。
「うん! いただきます!」
小さな手がスプーンを握って玖城さんのオムライスを掬った。薄い卵の下にチキンライスをのぞかせて、頬を膨らませたリスのごとく頬張る。
幼い顔立ちがぱぁーっと華やいだ。
「おいしいっ!」
声は感激と歓喜に濡れていた。
「ありがとうツムギちゃん。がんばって作った甲斐があったよ」
自信にあふれていた表情が慈愛に満ちた。俺が先程覚えたくやしさはどこへやら。眼前の微笑みに目をうばわれる。
見惚れたのも数秒。視界で動く物に意識を引かれる。
ツムギの腕だ。オムライスが二個あることも忘れて、玖城さんが作ったオムライスをぱくぱくとほお張っている。
くやしくない、くやしくないぞ断じて。
だって、次は俺のオムライスが美味しいと言われる番なんだから。
「ツムギ、こっちのオムライスも食べてみてくれ」
「うん」
スプーンを握る手が俺のオムライスに伸びた。下の米ごと卵をすくってデミグラスソースをたっぷりつけて口に運ぶ。
ツムギが可愛らしく眉根を寄せた。
「おいしくない」
「え?」
「このオムライス、まずい」
しぶい顔にトーンの低い声。
予想とはリアクションが真逆だった。天空から地底まで叩き落されたようなギャップを前に言葉を失う。
気まずそうな玖城さんの顔が見えてハッとした。
「まずいって、そんなはずは!」
スプーンを握って自分の舌で味を確認する。
デミグラスソースはほろ苦くて旨い。食欲をそそるように仕上がっている。
ご飯のコショウもしっかりと効いていて食が進む。まずい要素は何一つ存在しない。
「ツムギちゃん、勝敗は?」
俺はあわてて手をかざした。
「ま、待て! ツムギ。もう一口、もう一口だけ食べてみてくれないか?」
まずいと言われた直後だ。ツムギの判定は目に見えている。
せめてもう一回チャンスを。その真摯な願いが通じて細い首がこくっと揺れた。
再度デミグラスソース付きのオムライスがスプーンで掬われた。
つぼをうめた量は先程の半分。緊張して見守る中、コンパクトな口がオムライスをぱくっとする。
顔をしかめられた。
「やっぱりママのオムライスの方がおいしい」
無邪気な言葉にとどめを刺されて、力なくチェアの背もたれに体重をあずける。
味は悪くない、悪くないはずだ。
料理中に味見はした。先程自分の舌で確かめたのだから間違いない。卵の形こそ崩れたけど形状については明言されていない。
負けた理由に思いいたる節がない。
「一口食べる?」
玖城さんが自作のオムライスを差し出した。
「何の真似だ? 敵にケチャップを送ったつもりか?」
「それを言うなら塩ね。判定に納得できてないんでしょう? 食べてみれば分かると思うよ」
「……それじゃ」
しぶしぶスプーンを握ってひよこオムライスの端っこを掬う。
口に含むなり程よい甘みとほのかな酸味が広がった。もちもちした米の触感に混じって調和された味が食欲をそそる。
「甘い、な」
卵だけじゃない。ライスに混じった鶏肉でさえもほんのりと甘い。
コショウ由来の辛さとは無縁。味が徹底的に甘さだけで統一されている。
俺は一つの可能性に思いたった。
「まさか、ツムギが甘党だって知ってたのか?」
「うん。解代くんがいない時に色々と作ってあげてたからね」
「ずるッ⁉」
反射的に叫んだ。
たった今明かされた衝撃の真実。玖城さんを非難せずにはいられない。
端正な顔がむっとした。
「ずるくなんかないですよーだ。子供は大体甘いものが好きなんだよ。それに解代くんが証明したかったのは、『ネットがあれば誰でも万人受けする料理を作れる』って理論でしょ?」
「ああ」
「だったら勝負は始まる前から私の勝ちだよ。勝ち負けを決めるのはツムギちゃんなんだから、好みの味を提供した方が勝つのは当たり前でしょう?」
「ぬ、ぬぅっ」
言葉に詰まる。向こうが正論だと認識してしまった。
審査員たる者公平であるべき。それはあくまで俺の価値観だ。
ツムギは子供。自分の好きな味に飛び付くのは当たり前だった。
完全敗北。ひさしく感じなかった概念にさいなまれる。胸の底でいかんともしがたい感情が泉のごとくわき上がる。
ユウヤのことを考えて作っていた頃なら、俺もツムギの趣向をリサーチして皿を仕上げただろう。今の自分は過去の自分にすら負けている。その事実が普通にショックだ。
しかしそれはそれ。腕を動かして、ケチャップのかかったオムライスをもう一口いただく。
「デミグラスソースの方が好きなんじゃないの?」
「そうだけどこれも美味しいからさ。駄目だったか?」
「……別に」
玖城さんがそっぽを向く。
視界内に映る耳が微かに赤みを帯びていた。