第1話 首席生徒の憂鬱
人型が地面を踏みしめる。
枝が真っ二つに折れて軽快な音が鳴った。尾の先端が地面をなぞって土に赤い線を引く。
尾に見えるそれは破れた衣服だ。着用者の血を吸い上げて重みを増し、重力に負けて垂れ下がっている。
流出する血の量に違わず、人型はゾンビのような様相をしていた。所々に銃創が点在し、破けた衣服からは裂傷が顔をのぞかせる。
見るからに重症。見た目に違わず苦しいのだろう、鮮血に濡れた顔が眉根を寄せる。
筋肉が収縮するたびに傷口から命の液体が流れ落ちる。倒れてのたうち回ってもおかしくない容態だが、額に脂汗をにじませても土に靴跡を刻み続ける。
何がそんなに人型を駆り立てるのだろう。
使命感、責任感。あるいは背中に担いでいる少女が関係しているのか。痛みに顔をしかめても、爛々《らんらん》と輝く瞳は前だけを凝視している。
これから先、天地がひっくり返っても彼が歩みを止めることはないのだろう。
土と樹木の芳香漂う空間には、湿った靴音だけが絶えず鳴り響く。
銃のトリガーに人差し指が掛けられる。
パンッ! と乾いた音が広場の空気を震わせた。あちこちで発砲音が連なり、閉塞した空間が騒々しさで満たされる。
並び立つ円状の的から破片が弾けた。少年少女が無邪気な笑みを交わして喜び合い、年相応のあどけなさが和やかな雰囲気を醸し出す。
微笑ましさであふれる光景だが、数十の手に握られるのは本物のハンドガンだ。
彼らの身を包むのはパリッとノリの効いた制服。着崩す者は一人としていない。室内を伝播する歓喜とは裏腹に場の空気は張り詰めている。
腐っても少年兵。あつかう物が銃器だけにふざける人影は皆無だ。
「よし、次!」
中年男性が声を張り上げた。
肌はおろか身にまとう衣服すらも青白い。秒で倒れること間違いなしの顔色だが、その正体は上半身が出力されただけの立体映像だ。
コルド・ギャビストン。少年兵の教官を務めている。
生徒を教え導く立場にもかかわらず生身をさらしたことは一度もない。
執務室でくつろぎながら教えているのか。規格化された訓練ゆえに映像を使い回しているのか。全てが謎に包まれている。
いつか生身を引きずり出してやる。
俺は心に誓って射台の前に立った。イヤーマフで耳を塞ぎ、両腕を肩より高い位置に上げる。目を保護するためのシューティンググラスを介して前方の的を見据える。
「第一射、始め!」
反射的に腕を下げた。ホルスターから飛び出しているグリップを握って黒い得物を引き抜く。
トリガーを引いた数は五回。
全ての弾が的のど真ん中をうがった。後方で感嘆の声を上げた同僚を無視して銃をホルスターに戻す。
セカンド・ラウンドに備えてまぶたを閉じる。静かに呼吸を整え、教官の指示に従って再び両腕を上げる。
「第二射、始め!」
パッとまぶたを開ける。
代わり映えのない視界に揺れ動く物が映った。色あせた葉がひらひらと宙を踊り、重力に誘われて床に迫る。
動かない的を撃つのはつまらない。標的を落ち葉に変更して人差し指を引きしぼった。
落ち葉に風穴が開く。
一拍遅れて金属質な音が鳴り響いた。
へこんだのは的の端っこ。真ん中からは大きく逸れたものの、落ち葉と的を射る目的は達せられた。達成感を胸に口角を上げる。
「っしゃ! 全弾真ん中に命中!」
右方で歓声が上がった。
声につられて視線を振った先で、少年が大げさにガッツポーズを取っていた。
長い金髪がトレードマークの同僚だ。発砲者の口端がつり上がって、俺は思わず顔をしかめる。
何かと突っかかってくる相手だ。その反応は予想していたが、苛立ちで落ち葉と的を撃った達成感が吹き散らされた。
同僚と競争するつもりはなかった。全弾当てたぞどうだ! みたいな視線を向けられても困る。
俺と成果を比べて、勝てば得意げに笑む。
この手の同僚は後を絶えない。その理由は、俺の背中から伸びる黒いマントにある。
この外套はファースト・マントと呼ばれる。訓練や実践で最も戦果を挙げた者に与えられる、いわば首席を表す勲章だ。我こそ一番と叫びたい者にとって、俺の存在は目の上のたんこぶに他ならない。
さらに言えば、ファースト・マント所持者には特権が与えられる。
食堂で特別メニューを注文できる。月に三回だけ我がままを通す権利も与えられる。
その一方でマントの着衣は強制。譲渡も規則で禁じられている。俺は同僚からの熱い視線をガン無視する毎日を送ってきた。
今日この日はその限りじゃない。
強烈な虚脱感に身を任せて黒いかたまりから弾倉を抜いた。スライドを引いて薬莢を確認し、銃身を台の上にそっと横たわらせる。
イヤーマフとシューティンググラスも銃身の横に並べた。身をひるがえして出口へと足を前に出す。
青白い映像が口を開いた。
「解代、どこへ行く」
「お手洗いに行ってきます」
射撃場を後にして廊下の床に靴裏を付ける。
防音のため射撃場は地下に設けられている。外に出るには一階に上がらなければならない。
上階へ続く段差に足をかける。顔を上げると、段差の終わりが温かな日の光に彩られている。
窓越しの温かさを肌で感じつつ一階の廊下を踏みしめる。
中庭へ続くドアを開け放つと、草木織りなす緑の芳香に鼻腔をくすぐられた。中庭の歩行スペースに踏み出してマイナスイオン漂う広場を見渡す。
前方にがらんとしたベンチが目についた。俺はまぶたを閉じて視界情報をシャットアウトし、ベンチに腰かけて眠る自分を想像する。
「……駄目だな」
夏に向けて気温は上がっているけど少し肌寒い。日に照らされるのは絶対条件だ。腰かけに木陰が伸びているのもよろしくない。
歩みを再開。日向ぼっこに最適な場所を求めてさまよい歩く。
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